先ほどのNHKスペシャル「原発事故あのとき何が」では、原発事故当時の被災地域と官邸の動きを、そのときの記録とインタビューに基づき同時進行でまとめていた。
その件に関し、菅前首相は国会でも激しく執拗に追及され、責任を問われた。
しかし、実際の状況を見る限り、あの国会の追及は何だったのかと思う。
政府も、打つ手もなく、原子力安全委員会や原子力安全保安院も機能せず、東電も無責任な状態が続いていたのは、民間の事故調査委員会でも明らかになっている。
日本の優秀と言われる官僚組織が、このような非常時になぜ十分機能しなかったのか疑問を感じる。
それは、菅前総理の資質に起因するのか、始めから官僚組織に危機対応能力に欠けていたか、又は予測していなかったのか、それとも分っていたが政治主導に反発してサボタージュ(スピーディー情報を上げなかった等の可能性は疑えないか?)したのか明らかにする必要があるだろう。
多分、現段階の様々な情報では、原子力関連組織やシステムは、今回のような危機対応は100%想定外の形で組織・構築されていて、全く予測していなかったように見える。
また全電源喪失の原子炉の危機的状況に関する、明確な具体的な情報は何も伝わらず、適切な国の専門家からの助言もなく、水素爆発に至った。
水素爆発を生じ、避難を検討し最悪の事態に備え避難距離を拡大し、あえてチェルノブイリの避難を参考にしたと言う判断は、得られる限りの情報を元にした対応とすれば、よくやったといえるのではないか。
しかし、避難に関して国の規定では、避難は10kmまでで、避難に必要な10-20kmの範囲の情報は全くなかったという。
今回のドキュメントの経過を見て考えると、誰がトップを勤めてもまともな原発事故の危機対応は出来なかったのではないか。
その意味で、官邸を責めるのは酷な気がする。
それ以上に、東電の撤退要求を拒絶し、決死隊に近い形で現地に対応を求めた決断や、東電との統合本部を作り処理にあっりメルトダウンした原子炉を冷温停止に導いた事等は、官邸の決断として、日本の命運を分けた決断ではなかったのか。
今後この事態を、徹底検証する必要があるし、本当にどこに責任があったのか見ていく必要がある。
それよりも、官邸に適切な助言や指導・対策を要望をすべき、東電や、原子力安全委員会や原子力安全・保安院の働きがどうだったのか、もっと明らかにして欲しいと思う。
このドキュメントで、原発事故当時の地元の動きの一端や、原発事故のために発生した悲劇の一端を見ることができた。
多分原発事故がなければ、助かった人がいた可能性があったことが分った。
その件に関し、菅前首相は国会でも激しく執拗に追及され、責任を問われた。
しかし、実際の状況を見る限り、あの国会の追及は何だったのかと思う。
政府も、打つ手もなく、原子力安全委員会や原子力安全保安院も機能せず、東電も無責任な状態が続いていたのは、民間の事故調査委員会でも明らかになっている。
日本の優秀と言われる官僚組織が、このような非常時になぜ十分機能しなかったのか疑問を感じる。
それは、菅前総理の資質に起因するのか、始めから官僚組織に危機対応能力に欠けていたか、又は予測していなかったのか、それとも分っていたが政治主導に反発してサボタージュ(スピーディー情報を上げなかった等の可能性は疑えないか?)したのか明らかにする必要があるだろう。
多分、現段階の様々な情報では、原子力関連組織やシステムは、今回のような危機対応は100%想定外の形で組織・構築されていて、全く予測していなかったように見える。
また全電源喪失の原子炉の危機的状況に関する、明確な具体的な情報は何も伝わらず、適切な国の専門家からの助言もなく、水素爆発に至った。
水素爆発を生じ、避難を検討し最悪の事態に備え避難距離を拡大し、あえてチェルノブイリの避難を参考にしたと言う判断は、得られる限りの情報を元にした対応とすれば、よくやったといえるのではないか。
しかし、避難に関して国の規定では、避難は10kmまでで、避難に必要な10-20kmの範囲の情報は全くなかったという。
今回のドキュメントの経過を見て考えると、誰がトップを勤めてもまともな原発事故の危機対応は出来なかったのではないか。
その意味で、官邸を責めるのは酷な気がする。
それ以上に、東電の撤退要求を拒絶し、決死隊に近い形で現地に対応を求めた決断や、東電との統合本部を作り処理にあっりメルトダウンした原子炉を冷温停止に導いた事等は、官邸の決断として、日本の命運を分けた決断ではなかったのか。
今後この事態を、徹底検証する必要があるし、本当にどこに責任があったのか見ていく必要がある。
それよりも、官邸に適切な助言や指導・対策を要望をすべき、東電や、原子力安全委員会や原子力安全・保安院の働きがどうだったのか、もっと明らかにして欲しいと思う。
このドキュメントで、原発事故当時の地元の動きの一端や、原発事故のために発生した悲劇の一端を見ることができた。
多分原発事故がなければ、助かった人がいた可能性があったことが分った。