FM放送でレスピーギ作曲「交響詩“ローマの松”」が放送されていた。
久しぶりに聞いた。
この曲を聴いて、すぐに昨年9月10日の、大阪クラシックの最後の演奏会を思い出した。
最終日の演奏会のチケットを得る為に早朝から市役所の前に並んだ。
以前配布時間に行ったら、既になくなっていたと言う苦い経験があったので、随分早く行ったがそれでも後ろのほうだったが、席は確保できた。
コンサートは、三菱東京UFJ銀行大阪東銀ビルのホールだった。
席は朝の整理券配布で決まっていて、私は壁際の立ち見席だったが30人以上のブロックだった。
私は何とか柱の横がら首を伸ばすと舞台を見ることが出来る場所を確保した。
ただし、立見席はずっと立ちっぱなしの状態である。
演奏は、大植英次指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団である。
演目は、リスト作曲 交響詩「レ・プレリュード」 大栗裕作曲「大阪俗謡による幻想曲」
レスピーギ作曲 交響詩「ローマの松」だった。
多分大栗裕の曲は始めて聞いたと思うが、リストとレスピーギの曲は馴染み深い曲である。
大きな会場の、音の響きは非常に良かった。
演奏もすばらしいものだった。
大植氏の指揮も、過度なぐらい音に強い陰影を付けてすばらしかった。
リストのレ・プレリュードも時に雄大に激しく、静かに、メリハリの効いたすばらしい演奏だった。
大栗氏の曲も大阪のよく知る祭りの旋律が流れ子ども獅子の列の華やかに浮かれる有様や祭りの情景が浮かぶような演奏だった。
レスピーギの「ローマの松」は何度もラジオで聞いているが、(生のコンサートでも聴いているかもしれない)が、大阪クラシックのファイナルコンサートでの演奏は、すばらしいものだった。
軍の行進が目に見えるような感じがあり、その上演奏では金管楽器を立体的に配置してあったので、聴いていてその圧倒的迫力に酔いしれた。
これはラジオではとても感じることが出来ない世界だと思った。
解説でも語られるように、古代ローマ軍が遠くからアッピア街道を進軍し勝ち誇る姿が、目に浮かぶような情景であった。
ファイナル演奏を聞いた人は、皆すごい感激と興奮を胸に秘めて帰ったに違いない。
しかし、そのときに挨拶に立った平松市長は大差で落選し、大植氏も3月で大フィルの音楽監督を退任し、桂冠指揮者に就任することが発表されているという。
橋下氏や維新の会に楯突く者は、見せしめに徹底的に懲罰されるのだろう。
今は、多くのマスコミまでこぞって、維新の会にあらずんば人にあらず、と言うことなのかも知れない。
久しぶりに聞いた。
この曲を聴いて、すぐに昨年9月10日の、大阪クラシックの最後の演奏会を思い出した。
最終日の演奏会のチケットを得る為に早朝から市役所の前に並んだ。
以前配布時間に行ったら、既になくなっていたと言う苦い経験があったので、随分早く行ったがそれでも後ろのほうだったが、席は確保できた。
コンサートは、三菱東京UFJ銀行大阪東銀ビルのホールだった。
席は朝の整理券配布で決まっていて、私は壁際の立ち見席だったが30人以上のブロックだった。
私は何とか柱の横がら首を伸ばすと舞台を見ることが出来る場所を確保した。
ただし、立見席はずっと立ちっぱなしの状態である。
演奏は、大植英次指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団である。
演目は、リスト作曲 交響詩「レ・プレリュード」 大栗裕作曲「大阪俗謡による幻想曲」
レスピーギ作曲 交響詩「ローマの松」だった。
多分大栗裕の曲は始めて聞いたと思うが、リストとレスピーギの曲は馴染み深い曲である。
大きな会場の、音の響きは非常に良かった。
演奏もすばらしいものだった。
大植氏の指揮も、過度なぐらい音に強い陰影を付けてすばらしかった。
リストのレ・プレリュードも時に雄大に激しく、静かに、メリハリの効いたすばらしい演奏だった。
大栗氏の曲も大阪のよく知る祭りの旋律が流れ子ども獅子の列の華やかに浮かれる有様や祭りの情景が浮かぶような演奏だった。
レスピーギの「ローマの松」は何度もラジオで聞いているが、(生のコンサートでも聴いているかもしれない)が、大阪クラシックのファイナルコンサートでの演奏は、すばらしいものだった。
軍の行進が目に見えるような感じがあり、その上演奏では金管楽器を立体的に配置してあったので、聴いていてその圧倒的迫力に酔いしれた。
これはラジオではとても感じることが出来ない世界だと思った。
解説でも語られるように、古代ローマ軍が遠くからアッピア街道を進軍し勝ち誇る姿が、目に浮かぶような情景であった。
ファイナル演奏を聞いた人は、皆すごい感激と興奮を胸に秘めて帰ったに違いない。
しかし、そのときに挨拶に立った平松市長は大差で落選し、大植氏も3月で大フィルの音楽監督を退任し、桂冠指揮者に就任することが発表されているという。
橋下氏や維新の会に楯突く者は、見せしめに徹底的に懲罰されるのだろう。
今は、多くのマスコミまでこぞって、維新の会にあらずんば人にあらず、と言うことなのかも知れない。