散歩者goo 

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昨日記141106木(インフルエンザ予防接種 私の経済力の変遷)

2014年11月07日 13時18分14秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
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昨日は朝から、先週肺炎球菌の予防接種を受けた医院に行った。
インフルエンザの予防接種を受けるためである。
先週受診した際、医師からインフルエンザの予防接種も無料で受けられるので、どうかでということを薦められた。
無論無料なら異存はない。
肺炎球菌の予防接種後、他の予防接種を受ける場合一週間の禁止期間があるとのことだった。
私の場合、住民税が非課税になっているので、大阪市の場合、生活困窮者として予防接種の自己負担額を無料にしているようだ。

今は、貧困層に属する、生活困窮者に近い経済状態であるが、30年前は、サラリーマン生活をして、年収600万円弱もらっていて、株の売買もしていて、4-5千万円は持っていて、リッチとまではいえないが、多少余裕のある生活をしていた。
よく貯めたものだと思うが、今詳細に当時を振り返り、下記に概要をメモしたが、当然のことだったと思った。

私は工業高校卒業後、大阪市北区天神橋商店街近くにある、町工場のある中小企業の技術部に入った。
そうしてサラリーマンになって以来、家に給料の一部を自主的に渡していて、給料の3分の1程度渡す時もあった。
会社は忙しく、残業や休日出勤も多く、給料やボーナスもそれなりにもらっていた。
母親は、それらのほとんどを、郵便局の定額預金にしていた。
今では、信じられないことだが、当時は郵貯の定額預金の利率が良くて、しかも半年複利なので、10年間据え置くと、ほぼ倍以上の金額で払い戻しを受けることが出来た。

その後、その会社に10年務め退職したが、その間会社は技術力で急成長し、中小企業だった環境試験装置の会社が、私が退職後しばらくたってから、大証2部に上場を果たした。(現在東証1部)
そこに勤務していた時代(中小企業時代)に、会社がボーナスを払えなかった時期があり、その時会社の株を、ボーナス分社員に配り、後日会社が買い戻すことにしたことが、何度かあった。
その株は、会社の買戻しを受けず、社員がそのまま持っていても良かったので、私は持ったまま約10年間在職した会社を退職した。
このことも40代になって、それなりの資産になった。(当時未上場)
よく知る先輩は、ボーナスとして支給された時に、会社株を買い増ししても良かったので、一工場労働者でありながら、株上場後に億に近い資産家になったという話を、本人から聞いたことがある。(本人は質素な生活をしていたようだ。)

その後、30歳になった時に、技術兼任の修理工として、町工場もある食品機械の下請け中心の小企業に採用された。
その後設計部門に移り、昇進し30代後半になって、技術の管理職として働くようになり、平日は9時から最終電車頃まで働くのが当たり前となり、工場のカギも渡され、最後に会社のすべての戸締りをして帰ることも多かった。
技術の幹部として、早朝や土・日曜の会社の幹部会議は日常茶飯のことで、サービス部門の設立や研修といったことや、大規模な見本市への対応等で、東京や北海道への1-2週間の出張もよくあった。
自分の空いた時間は技術関係の最新技術を勉強したり、マネージメントを勉強したりした。
こんな形で、週末に同僚・部下達と深夜まで飲み歩く以外、お金を使う時間の余裕はなかった。
とにかく、製品開発から輸入品の評価、改良、技術サービス体制の整備、品質管理、作業工程の見直し、取扱説明書の作成等、技術に関するあらゆることを、技術係で手掛けた。
一応当時は、肩書きは係長ではあるが、前記の通り、技術の人事・予算・開発計画を任され、技術部門を統括していて経営幹部会に出席していた。
逆に製品に重大な問題が発生すると、顧客の責任者・幹部やトップと面会し技術代表としてお詫びもさせられた。

こんな状態で、サラリーマン時代、大きな買い物をするわけでもなく、ファッションに凝るわけでもなく、お金を使う時間も余裕もなかったので、自然に貯まった。

40歳になった年の年末にその会社を辞め、翌年1月シカゴに語学留学で渡米した。
その準備は会社を辞める数か月前から周到に調査準備し、会社の人事異動が決まる前に年度末退社を会社に告げ、その後予定通り留学した。

留学中ちょっと残念なことが起きた。
アメリカに語学留学していた時に、未上場のNTTの一次未公開株を証券会社の担当者が、数口割り当てると、直接アメリカに電話で言ってきた。
帰国して処理しようか迷ったが、結局帰国しなかったので、手持ちの1口だけの処理に終わったことが残念だった。

余談だが、シカゴでの語学留学は、学生ビザを取っていた関係で、当初の3か月の予定を大幅に超え、1年半に及んだ。
その後、メキシコはじめ中南米のほぼすべての国の首都を回り、民芸雑貨を収集して帰国した。
特に、メキシでは、1か月近く語学学校に通い、ペルーにも日系人の知り合いが出来て2週間以上長くいて、コロンビアには、友人宅に2週間近く滞在したし、ベネゼラでは、現地で研究調査していたアメリカ人の元語学学校のルームメイトで当時シカゴ大学大学院生の友人と、1週間近くアマゾン川とオリノコ川の合流地点(ブラジル・ペルー・ベネゼラの国境)に探検旅行(ガイド付き)に行った。

しかし、こうして貯めこんだお金も、アメリカから帰国後、起業して、喫茶店、中南米の民芸雑貨店、ギャラリーを順次経営して、それぞれの事業に失敗し2000年8月に、金融機関から数百万円の個人債務を抱え店じまいした。
そして2008年12月に、司法書士の勧めで進めていた自己破産手続が完了し、自己破産が確定した。

インフルエンザの無料接種の話から、筆が走り過ぎ、私が若い時から貧困でなく、経済的に恵まれたときもあったことを自慢げに長々書いてしまったが、これも事実の一つなので、私の自分史の一コマの概要として書き留めておく必要があるので、読者の方には迷惑だったであろうがお許し願いたい。

だが、いくら昔はよかったといっても現状は変わらないし、現在は、清貧の生活を送るといえばかっこいいが、お金がなくて何も出来ず、家にウジウジとこもりがちな生活をしているというのが実態だ。
だからこそ、もっと違う視点でこれからどう生きるかが問題なので、どのようにして工夫しながら積極的に自分を活かせる活動をすればよいか日々検討したい。

昨日は、午後から副食作りに時間を取られ、それ以外の時間、以前からたまっているレシートの記帳を行った。
レシートの記帳はまだ7・8月分が大量にあるので、少しずつ処理していきたい。
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