散歩者goo 

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昨日記170214火(有償ボランティア ジム ランニング)

2017年02月15日 17時08分06秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高 / 最低 8.6   1.3、  曇一時雨後晴
午前中は、ブログの記事を読み返し個人的な健康体験を追加した。

午後は、有償ボランティアで、病院へ車いすを使用しての付き添いのボランティアを行った。
タクシーを使用しての通院だった。
病院は日本赤十字病院だ。
1990年から95年の阪神淡路大震災の年の3月ごろまで日赤病院のすぐ近くでギャラリーを営業していた。
当時日赤は古い病院であり、新しい病院建設は決まっていて、一部工事を始めていたように思う。
この地域で営業していた時に、私が腹痛か腰痛で日赤で受診し、そのついでに、耳鼻科で右耳の聴力回復のための手術が可能かということについても受診したことがあるが、聴力検査の結果、聴力回復の見込みなしという検査結果で手術は無理とのことだった。
今回日赤病院の中に入ったが、昔の面影は全くなかったし、周囲の環境も大きく変わっているようだった。
ギャラリーを西天満に移転した1995年は、震災のみならず、私にとっても激動の年だった。
この年の春、上本町近辺でのギャラリーの廃業を決意していて、虚無感に支配されていた。
その後も様々なことがあって、秋に脳梗塞で入院中の母が老衰で亡くなった。
当時近鉄上本町駅の南にはABCギャラリー(近鉄、朝日放送、大林組)という、大きな現代美術のギャラリーがあり、日本を代表する現代美術コンクールの一つであるABCコンクールもここで行われていた。
そうした関係で、近鉄上本町駅の南で営業を始めて、その後現代美術に関心を持ち出したが、それまで現代美術の知識はほとんど持っていなかったし、現代美術を取り扱うつもりもなかった。
そんな意味でも日赤周辺は、非常に思い出深い地域である。

有償ボランティアからギャラリーの思い出話になってしまった。
ボランティア終了後、社会福祉協議会のボランティア担当に報告に行くと、その部屋に中学校の同窓生のK氏が、おもちゃ病院の打ち合わせで来ていて、ボランティアの業務報告後に彼と雑談し、春に中学校の同窓会を開くということで出欠を聞かれたので、参加の意向を伝えた。
中学の同窓会は、散歩コースを5km程度歩いて途中に宴席会場を入れることが多かったが、今回は、北区の有名ビル内の宴席らしい。

帰宅後昨日記を書き上げ、ジムに行った。
ランニングを行ったが、体が重くかなりしんどい目をして30分近く走った。
途中2度も靴ひもが緩んだため、正確なタイムは、測れなかった。

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