散歩者goo 

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昨日記1702221火(アートエリアBIで「超ひも理論」の話を聞く)

2017年02月22日 21時10分39秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低 8.6  2.9  晴一時雪
朝から副食作りをおこない、9食の副食を完成させた。
作るのに4時間近くかかる。
今回はブロッコリが高かったので、入れていない。
午後には遅れていた昨日記を書いた。
夕方になって淀屋橋に出かけた。
京阪電車なにわ橋駅B1にある「アートエリアB1」で行われた第9回ひとこといちば「宇宙は縦・横・高さだけなのか? 〜超ひも理論と高次元の世界〜」に参加するためである。
会場へ行く途中、淀屋橋のファストフードによって読書をした。
以前から超ひも理論には興味があり、素粒子論のさらにその先を行く理論で、確定した理論ではないが、各国で研究されているらしい。
1時間の話しで、しかも物理学に詳しくない素人が対象の話しであったが、たとえ話を使ってわかりやすく説明されていた。
超ひも理論を解くカギは、次元の導入らしいことも理解できた。
講師は、橋本幸士 (大阪大学大学院理学系研究科教授)であった。
橋下氏は若くして教授になっていて、ノーベル賞受賞者の南部氏が阪大に教えに来ているという。
この講座の話は分かったような分からないような話であったが、高校の時に物性論で量子力学の一部を教えてもらったのでシュレディンガーの方程式や、不確定性原理の意味や光子と波動の関係も問題なく受け止められた。
会場で、先生の書かれた漫画「超ひも理論をパパに習ってみた」を10冊販売されていたので、購入した。今日この本を半分ほど読んでみたが、湯川秀樹氏の中間子論の意味が、これを読んで初めて分かった。
超ひも理論が、次元問題と絡んでいる可能性が強いという意味も分かった。
面白く刺激的なセミナーだった。
先生の取り組んでいる問題を解明するとノーベル賞物らしく世界各国の研究者が連絡を取り合いながら研究し、多くの論文を出しているらしい。


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昨日記1702220月(仕事リスト 芸術・価値観・鑑賞 タブレットによるブログ発信)(追)

2017年02月22日 17時57分11秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低 17.8   4.7  曇一時晴後雨
午前中、予定日報表とは別に、仕事リストを作った。
この仕事リストはタブレットスマホと情報共用して、計画的に趣味なり学びなり仕事を続けるようにと思い考えた。
こうした動きは過去何度もやってきて成功したためしがない。
もし成功していたなら、少しはある分野で名を成した仕事をしていただろうと思っている。
若いころは、あることを学ぼうとして数か月続けばいい方だった。
そもそも実力がなかったことも大きいが、飽きっぽいというのでなく、好奇心が強く新しいことに興味が引かれ、そちらに重点が移ってしまうといったことが多かったように思う。

しかし、年を重ねるにし従い、一度中断した物も再開することが多くなった。
例えば考古学関係の勉強は、30代まで様々な講習会に出かけ、本も読んだりしたが、仕事が忙しくなり、自然消滅の状態だった。

だが年金受給を始め、自己破産した頃から、生活が安定し始め、再び考古学関連のことに関心が向き、いくつかの方向について、資料を集めたりして研究に近いことをし始めている。
だが最近は、民族学や現代哲学に関心を持ち始め、考古学関係の比重が軽くなってきている。
それ以外、一時期クラシック音楽からバロック音楽へ興味が移り、バロック音楽のことを勉強しようと思ったこともあったが、他のことが忙しくなったので、バロック入門で終わってしまった。

現代美術に関しては、仕事がらみで勉強してきたが、そもそも芸術は価値観が中心で、通常の学問とは異なるところがあり、論理的整合性云々では議論が成立しないところがある。
現代美術といっても様々なベクトルがあり、現代作家や評論家同士で、作品に対する評価が全く違うところが多い。
はっきり言って、すべての芸術関係の流れは人気投票的なところがあり、客観性が無く多数決の原理で決まっている。(古今東西)

これは、文化文明の形成過程そのものであり、一つの有力な傾向の人気芸術が発生すると、多くの人がそれをまねし参考にし、広まる過程で新しいものが加わり、分派(別の価値観)ができる。
日本でいえば、能や歌舞伎や浮世絵もそうだし茶の湯もそうであろう。

また、何度も言っているが、とある価値観を別の価値観の視点で評価できない。
そういう意味で、アメリカ文化やキリスト教文化の視点で、ムスリムは悪だと決めつけるのは、全くばかげた話である
例えば、浮世絵と現代美術のコンセプチャルアートとは価値基準や美的視点や制作体系の違いは(エピステーメー又はパラダイムの違い。)、明らかであり、比較のしようがないのであり、価値観が違うということは物理学でいう次元の違いに相当することだと思っている。
価値観は論理や倫理ではなく、精神的志向性・嗜好性や信仰であり、正しいとか間違いとか善悪を言うことはできない。
例えばアラブの美的価値観と西欧の美的価値観とは違う。
欧米人が日本文化に興味を持つのは、西欧文化になかった価値観があるからであり、同時に過去の西欧文明から脱皮し、現代文明を構築しようとする人たちにとっては新鮮であり参考になるのだ。
そうしたことは、アフリカ文化を見る目にも現れていて、ジャポニズム同様ピカソ達がアフリカ芸術の影響を受けたのも同じ構造で、新しい価値観の一部に刺激を受け、その価値観の一部を取り入れたのだ。

一つの価値観は通常様々なものを含めた体系をなしているが、一つの価値観はその周辺の物を取り込んで、変化していく。
そういうことは、文化史や芸術史を見ればわかる。
例えば日本文化でも、同時代で見ても地方により大きく違う。
民族学博物館で、日本の祭りを見れば地方により、その違いの大きさに驚かされる。
日本画とて、流派により、微妙にその傾向や視点の置き方が違う。
価値観は、グループ、時代、地域、風土により変化していて、そうしたことを見ても、価値観は論理ではなく主観なので、比較評価しても意味が無く、主観的意見しか出ないだろう。

今まで何度も言ったことを、繰り言のようにまた書いてしまったが、価値観に関しての繰り言は、根底に芸術に関しての評価・評論と鑑賞数に疑問を感じているところが原因だと思っている。
以前にも何度も触れたが、西日本だけでも現代美術一つとっても、無数の展覧会が開かれていて、よく似たものもあれば違う傾向の物もあり、作品の傾向は千差万別である。
そういう意味で評価しにくいし、日本全体、世界全体から見れば、ひとりで見てまわれる数は限られてしまう。
私が観ることのできる美術作品は、プールの中の一滴という気がして、美術鑑賞にどれだけ意味があるのか無力感を感じるのだ。

しかし、よく考えると、優秀な作品を掘り当てようとすると、宝探しのような姿勢になって前述のような結果になるが、そうした中でいい作品を見つけようとして作品と対峙するのであれば、プールの中の一滴といったことを気にする必要はなく、見てまわった範囲の作品群の中から、鑑賞に堪える作品と対峙して、作品から得るものがあればよいのだろう。
そのように視点を変えると、美術鑑賞に対する無力感は無くなるのかもしれない。

芸術は、作者の内面の表現した創造物である作品を介して、作品で表現された作者の美意識や感性や意図や思想との対話作業であるので、大量の作品を観て優劣を選別するのは、本来の芸術ではないともいえるのかもしれない。
作品を観て優劣を感じるのは当然のことで、その感じ方も鑑賞者の力量に寄り全く違う。(芸術はすべて平等と主張する人がいるが、表現行為においては行為は平等だが、質は全く違う。幼稚園児の歌とプロの歌手の歌は違うのだ。)
幼稚園児に名作を見せても、猫に小判であろう。

名作でも、だれでも単に見て分かるだけの作品も少なからずあるが、多くの名作の場合は、観るトレーニング(美的感性感覚を研ぎ澄ます、コンセプトを見抜き理解する、隠喩やユーモアや皮肉批判内容の理解、時代や風土背景を知る・・・)を積んで見えてくる場合が多く、学問と同じで上から下を見下ろすことが出来るが、下から上ははっきりとは見えないのだ。
例えば、国宝の仏像を、仏像や彫刻の芸術的知識のない人に見せても値打ちが分からない。
事実明治維新後に起きた、廃仏毀釈で多くの仏像が破壊された。(信仰の問題が中心で、芸術的価値は認めてなかった。)

もう一つ繰り言を述べておく。
美術鑑賞のために、様々な費用が掛かる(作品を観に行くための交通費、入場料、その他雑費)のは事実であり、私のように月収10万円程度の相対的貧困層よりさらに低所得の貧困層の人間にとっては、美術鑑賞は分相応の趣味ではなさそうなので、極めて限定された範囲のギャラリー回りによる美術鑑賞をするだけでも良しとせねばなるまい。
少なくとも美術は貧困層には費用が掛かり、適さないが、それでも貧困の巨匠は多くいるのも事実である。
表現者は、困難が多い程、内面に抱え込んだ表現欲望が強くなるのかも知れない。
それ以前に才能のある人は、状況に係わらず常に表現したい欲望を持っていて、表現環境が整えば表現しだすのかもしれない。

この日は夕方から、副食を作るための食材の買い出しに出かけた。
食材の買い出しを終えてから、いつも行くファストフードに出かけた。
デザリングや、タブレット端末とキーボードを使用して、家の外でブログ記事を作成し投稿する実験を行った。
このとき、ファストフードで昨日記170218金(鳥調査 図書検索 ジム)を作成し、その場でタブレット端末から投稿し成功した。
これでいつでもどこからでも、スマホでネットを観れるところであれば、タブレット端末とキーボードを使い、家にいるときの環境に近い感じで、長い文章を発信できることが可能になった。

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