散歩者goo 

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昨日記170301水(ラジルのストリーミングとYouTube ジム・筋トレ)

2017年03月03日 17時09分34秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低 14.1  2.6   曇後時々雨
朝食後の片付や調理をしながら、NHKのラジルのHPから右コラムの過去の放送の情報・カルチャーをクリックし、面白い放送は無いかと探した。
その中の「カルチャーラジオ芸術その魅力」を開いて見ると、昨年12月に放送された「富士山と日本人の心」というのシリーズでやっていて、11回が北斎の富嶽三十六景の話しだったので聞くことにした。
しかし、ラジルはほとんどが、ストリーミングで、この番組もストリーミングだった。
ストリーミングでは、再生スピードの調整ができない。
YouTubeでは、設定で速度調整が出来、いつも1.5倍速から2倍速で聞いている。
等倍速で話を聞くのは、時間がもったいないと思うのだ。

何とか、ストリーミングでも速い速度で聞けないか調べたが、多分原理的にそもそも無理なのだ。
多分YouTubeは、ダウンロードすることでPC内の速度調節が可能になっているのだと思った。
結局速度調節を諦め、しばらく富嶽三十六景の話しを聞いた後、その講座の後が大好きなバッハのシリーズであった。
これは、聞き逃せないと思いさっそく第1回の話しから聞いた。
実際の演奏も解説に入るので、非常にわかりやすい。
その話の中で、同時代に生きた、ニュートンの話が少し出た。
講師は、ニュートンが錬金術師だったというのだ。
トップレベルの天才科学者であるニュートンが、怪しげな錬金術師(科学<実証>とは正反対の、事実に基づかないことを信じる事による迷信)だとはにわかに信じられなかった。
そこでウイキで調べた。
長大なニュートンに関する解説が掲載されていた。
読み進めると、偉大な彼の業績がよくわかった。
同時に、人生の後半は、行政官であり錬金術師であり、宗教家であったのだ。
近代科学に大きな足跡を残したニュートンが、錬金術師や宗教家の一面を持っていたとは、新しい発見だった。
以前から、18世紀より以前の科学は、神の業が、正しいことを証明するための科学であったということは、科学史の本を読んで理解していた。
学問として独立した近代科学の概念はなかったのである。
科学と哲学も結びついていた。
そういえば、古典哲学に科学に関する議論も含まれているようだ。
そんなわけで、バッハの講義の1回目を聴いた後、ニュートンのことを調べるのに楽しみながら、かなり時間を割いた。

午後になってユーチューブを調査し、NHKラジオの情報番組の録音を調べると、いろいろあることが分かった。
そこで、気になる番組にリンクを貼る作業を行った。
そうすることで、聴きたいときに、速い速度で番組を効率よく聞くことが出来る。

夜になって、ジムに行き、筋トレを行った。
記録は多少上昇傾向にあった。

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昨日記170228火(イスラムとムスリム ジム・ランニング30分4.6km)

2017年03月03日 12時31分21秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低 11.7   1.6  晴
この日午前中、みんぱくの行事の中のウイークエンドセミナーのタイトルに、イスラムとムスリムに関したことがタイトルになっていた。
今までムスリムとイスラムは同じものと思い込み、最近はムスリムを使っていた。
しかし違いがあるらしいことが分かりネットで調べた。
調べる前に、ひょっとするとイスラムはイスラム教のことで、ムスリムは信者やその社会のことを指すのではないかと思ったが、やはりムスリムとは、イスラム教徒のことだった。
そのついでに、イスラム教のことを調べてみた。
イスラム教に関しては、ユダヤ教―キリスト教の流れと同根の宗教であることは知っていたが、それ以外のことは知らなかった。
調べて分かったことは多くあった。
イスラム教成立過程で、教団拡大のため経済的理由で征服戦争が不可欠だったということを知った。
教団成立時は、征服戦争の連続だったようだ。
それに、宗教指導者は慣習法を基に指導しているという。
その構造は、キリスト教社会の西欧文化と根本的に違う。
しかも慣習法は、属人的属性が強い為地域や指導者により、変化する可能性があり、現実にイスラム圏の地域により生活習慣に大きな差があるという。
我々の歯垢体系は、西欧的合理主義思想が基本の思考体系になっているので、価値観の違うイスラムやムスリムを心情的に理解するのはなかなか難しいかもしれないが、理性的に想像し理解するほかなさそうだ。

多分同様のことは、欧米人から見たディープな日本の神道や仏教・修験道といった宗教と、それに根差した行事習慣を理解するのも同じようなことかもしれない。
更に、同じ日本でもユネスコの世界無形文化遺産に一括登録しようとしている「なまはげ」等の日本各地で行われている「来訪神行事」は、我々日本人ですら、知らないし、まして理解していないし、多くの日本の都市住民にとっては異文化を見る目と変わりない。
そこには中央と地方の価値観や美意識の違いがあるのかもしれない。
価値観とか美意識は、論理ではなくありある意味の嗜好性や意思と同じようなものなので、比較や優劣はつけられない。

ムスリムの生活が慣習法で構成されているとすると、慣習法は宗教体系に基づく価値観に根差しているので、価値観の範囲を前提とした論理構成はあるが、普遍的(科学的・合理的)な論理で論理的に外部から矛生活習慣や考え方の矛盾を指摘したりするとトラブルになるだろうし、違う価値観で他の価値観を批判できない。
パラダイム(エピステーメー)や次元が違うのだ。

夜になって、ジムに行った。
この日は、初めから走ろうと覚悟していた。
体調は、元気はつらつということは無く、できればさぼりたい感じだった。
とりあえず、まず30分間走ること
最低スピードを時速9kmに保つこと。(1月までは8.5kmだったので、多少無理がある)
最高時速11kmで走ること。
以上の3つを最低条件にして走ることを決めた。
更に走る時間を時速11kmを1分間、時速9kmを4分間の繰り返しで走ることにした。
この条件では無理があるので、最悪耐えられなければ時速11kmを短くすることにした。

走る前は不安であり、走っている最中は、足の疲れを感じ、息が上がり苦しかったが耐えて、30分間走りきり4.6km走った。
ジムから帰っても疲れは残り、寝るまで少し疲労感があった。
少し無理をしているなと感じた。
だがこれに慣れ、その後更に負荷を上げれば、時速10km走行も夢でなくなると思い、今後もこのトレーニングを続けることにした。
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