散歩者goo 

タイトルのgooは、同名のHPやブログと区別の為付けてます。HPの「散歩者」はこのブログ筆者の私とは全く無関係です。

昨日記170329水(極僅かな年金のための手続き ブログ追加)

2017年03月30日 19時32分45秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低 15.4  7.0   晴時々曇
先日、60代の時に1年ほど勤務した期間限定失業対策事業の、セフティーサポート隊(大阪府下の小学校警備を行う。警察の監督下にある警備業組合が直接運営)に入隊したことがあり、1か月だけ厚生年金がかけられていた。
その厚生年金基金が解散になったため、その管理組合から支払い手続きを要請する書類が以前から来ていた。
ただ、1か月分で、給与も少なかったので、該当する年金額もわずかと予想されるので放置していたが、数日前再び来たので、仕方なく手続きを行うことにした。
区役所に行き住民票を請求し、銀行に行き口座証明書の印鑑をもらわなければならないし、それ以外にマイナンバーカードの写しや厚生年金の通知書も必要だ。
夕方になってとりあえず区役所に行き住民票写しを申請に行った。
年度末が近づいて、入学入社による転居や移動の人が多いらしく、区役所のロビーは混雑していて、長時間待たされた。

話は前後するが、マイナンバーを調査していて、マイナンバーカード関係書類の中に、スマホで簡単に取得できるとあったので、試してみた。
写真も、その場で撮った写真を送り、確かに簡単に申請が完了した。

その後、大乗仏教関係のブログが読まれていたので読み直してみた。
末尾に貼ってあった関係ブログのリンクが切れていたので、ネットでそれらしいブログを探し出しリンクを貼った。
それ以外に、仏教関係の専門的なブログを見つけ、それにもリンクを貼った。
夕方になってジムに行き、筋トレを行った。
記録は落ちた。

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昨日記170328火(ブログ追加 録音アプリ導入 )

2017年03月30日 18時58分45秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低 13.7  5.1   晴後一時雨
午前中「昨日記170324金(散髪 Wi-Fi登録 スマホの利用)追」を読み返し、スマホの利用の一文を追加した。
このブログにも書いた通り、私にとってスマホは生活に必要不可欠とは思わないが、非常に便利なツールになっていることは間違いない。
少なくとも、秘書的役割は果たしていて、手帳よりはずっと役立っている。

午後になって、今まで決断せずにいたストリーミングの無料アプリの一つを導入し、導入後関連する様々な動作テストを行った。
たまたま導入したアプリは、すべての音を拾う録音方式なので、外部の物音も入るのである。
出来ればネットラジオそのものから、直接音を録音したいと思っているが、無料アプリでは機能が限定されるようだ。
様々なテストをしたが、結論から言えばラジオのストリーミングの音を拾って録音できるが、スピーカーを通しての録音の為音質は、よくないし周囲の雑音をすべて拾ってしまうので、語学や講演会にはよいが、音楽の録音には不向きである。
今後更に違うアプリも試してみたい。

夜になって、ジムに行きランニングを行った。
時速11km1分間、時速9km3分間の休み無しのサイクルで28分間走った。(ジム閉館時間の都合)
非常に疲れた。
多少足の筋肉が不足??
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交差点で

2017年03月30日 17時56分20秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
先程銀行に口座確認の証明印をもらいに行った帰りの出来事であった。
交番の前の片側1車線の小さな交差点の直前で、信号が赤になったので、自転車を止めて車道の端で信号が変わるのを待った。
道は混んでいて、対向車側も車が列が一斉に止まった。
その時、左にある交番前の横断歩道上に、3-40歳代のジャージを着た男が立っていたが、何となくそわそわして足踏みをしていた。
当然すぐ渡るものと思っていた。
ところが、30秒以上たっても彼は、交差点を渡る気配がなかった。
誰かを待っているのだろうと、交差点の周囲を見渡しても、それらしき人影はなかった。
そのうち、横の信号が変わったので自転車のペダルを踏んで前に進み始め、同じ車道に止まっていた車も動き始めた。

その瞬間を待って、男が小走りに赤信号の横断歩道を渡りだした。
男が渡り始めた時、男の目の前の信号は完全に赤に変わっていたし、私の自転車の進む方向の信号は青であった。
先入観があるのかもしれないが、まるで彼が当たり屋のような感じに見えた。
幸い、車は動きかけたが、加速せずに止まり彼の通り過ぎるのを待った。

私は横断しながら、信じられない行動をしている彼のほうを見た。
止まった先頭車両は、彼が車の前を通り過ぎると、即エンジンをふかし加速しながら私を追い抜き、それに続き列をなす車も走り抜けた。
ほんの数秒の出来事だった

横断歩道を渡ってから自転車を車道の端に寄せ、後ろを見た。
彼が横断歩道を渡った後、右に曲がって止まったところまで確認したが、私は彼を見届けてから道を急いだので、その後の彼の行動は知らない。
何故渡った後に彼が止まったのか、分からないままだ。

もし、先を急ぐ車が急発進していたら、彼をはねた可能性が強いかもしれない。
その時、周囲の4個所の歩道上に横断する人は、彼以外いなかった。
それにしても、交番の前でそのようなことをするとは信じられなかった。(月末や年度末で忙しいので、関係した車以外目撃者はいない事になる可能性もある。)
もしかすると、彼は知的障碍者の人かもしれないが、外見上はそのようには見えなかったのだが・・。
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私が情報機関を意識したきっかけと関連する余談 追180817

2017年03月30日 12時50分11秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
ここ数日、突然情報機関関連のブログが読まれ始めたので、読み返したところ、リンクの前にきっかけの話が長く綴られていたので、ここにまとめることにしました。

LもEもブログにより全く違うイニシャルを使っていることがあります。
外国人の友人が、情報機関関係者というきっかけとなったことに関して話しておきます。
この話はブログにも部分的に掲載していますが、断片的でまとまった話にはなっていませんでした。
以下の話は、全て創作ではなく、事実です。
集中的に調査すれば、当時の様々な物証(写真や案内状その他。)も出てくるはずですが、家の中を探しまわるのは至難の業なので、していません。

疑惑を持つきっかけとなった中国人I氏(自称、愛新覚羅)は、ギャラリー時代1992年から1994年に開催された(正確な日は調べればわかる)大阪の現代美術家U氏の展覧会に一人で来場され、長時間作品を観て芳名録にサインをする代わりにU氏にI氏の名刺を渡したので、その時驚くとともにその名前を知りました。(その時の状況は鮮明に覚えている。)名刺の肩書は文部省のみで、役職はありません。(高官と推察した。)I氏は日本の中国人留学生の監視をしていると言っていました。その後2010年以降に愛新覚羅氏の系図を調べたところ、彼の名前はありませんでした。ただし、1990年代当時、現代美術のパーティーに参加していたという何人かの有力美術家の証言を得ていて、現代美術家の間ではよく名前の知れた人だったようです。
(勝手な想像ですが、I氏の話がもし事実なら、1990年代の毛皮企業主催の現代美術コンクールに関係していた可能性を考えれば理解できます。私の記憶に間違いなければ、その後U氏は、当時知名度のあった毛皮会社主催の現代美術展に入選(入賞?)した。<小説の世界かも知れない勝手な妄想ですが>)(以下 2回目の改行迄の文<2つの段落>は、20180817に追加 この記事投稿後2―3時間後に関係者Lの記事が投稿されていた。以前はこうした情報機関関連の記事を私が投稿すると、投稿後1週間以内に関係者Eのカバー写真<投稿者のブログの表紙の写真>の変更通知が必ず来ていた。通常は関係者のカバー写真の変更はなかった。警告?)
その後U氏は、アメリカにも招待され、世界各国でアーティストとして活躍している。  

それ以外に、彼のFBの友人に、私の外国人の友人Eの奥さんの名前があったので、それを彼のコメントで指摘すると、FBで私との関係を遮断された。
Eの奥さんと、U氏の接点は、私以外にない。
それよりかなり前に、E氏の新しい奥さんに友達申請を送ったが、なしのつぶてだったので余計に驚いたのだ。
というのも40年近く前にシカゴの英語学校時代の親友であったEの親友でもあるLが、FBで私の友達になったときに、その後Lは一斉に私のFBの友達に友達申請をだしたらしい。
Lの友達の通知がよく来るので、念の為Lの友達をチェックすると、私のFB友達が何人も友達になっていた。
こうしたこともあって念のためU氏の友人もチェックしたところ、前述のことがあって驚愕した。(友達になる確率はほぼゼロのはずである。非常に異常な事態と思った。)(Lに関しては友達になってすぐにその行動範囲の広さから疑念を抱き、それ以前に、そもそも初めの私への電話騒動で疑問を持っていて、愛新覚羅氏の指摘でE氏の事を疑い疑念は一気に現実のものと思われた。その挙句、Lが来日した時に、問い詰めると数年前までアメリカの政権交代(ブッシュ時代)があるまで、CIAに関係した仕事をしていたといい、今は関係していないといった。
しかし来日時には2人出来て常に2人で行動していた。<石油掘削会社の社員と言っていた。> 
又、最初に電話をかけてきたとき、彼は台湾にいて彼女がいると言っていた。
台湾には頻繁に行っていたようで、台湾では彼女が常に助けてくれていると言っていた。

私は、アメリカや中国やロシアの情報機関が、アーティスト・美術家をターゲットにして、情報収集の道具として使っている可能性があると思っている。
アーティストはそのことを知らない場合が多いかもしれないが、自ら進んで参加している場合もあると思っている。
少なくとも、私の友人である自称元CIAと関係のあった友人L(彼の行動履歴がおかしいので、問いただしたときに告白)は、ヨーロッパでギャラリーをしていて日本人の作家・写真家の展覧会を行っている。(台湾やマレーシアやアフリカや中東でも活動して拠点を置いているが、日本には幅広い人脈<有名人を含む>を築いているようだ。)
芸術家は、アナーキーの傾向が強く、自由人であり、いろんな国に出入りしても怪しまれない。
特に、美術写真関係は現地制作も多く、個展等で招待されることも多い。
近年も大阪で、自称現代美術家と称する人たちのグループ展を見たことがあるが、作品はとても美術家といったレベルではなかったし、経営者も欧米系の外国人で本人の詳細を語らなかった。
しかも、彼らは全て美術専門で職業を持たず美術活動して長期滞在しているという話だったので、(その場に出品作家達はいた。)ますます疑念を深めた。(別の活動をしている可能性、同時に彼らの生活費はどこから出ていたのか。 今そのギャラリーは、なくなっているが、非常に人目に付きにくい、不便な場所にある小さなマンションの3階?の一室をギャラリーにしていた。)

その他、I氏から聞いた話。住居は中南海。鄧小平に直接話せると言い、情報関係にも関係していると言っていた。私のよく知る知人の中国人留学生に関して、一般の人には知りえない経歴や人間関係(私は留学生から聴いていた。)を正確にある時はそれ以上のことを把握していたので、I氏を信用した。I氏の話に興味を覚え、私に会うために来日する前に中国に寄り、中国奥地の立ち入り禁止地区に旅行したというアメリカ人の友人Eの中国での行動について聞いたところ、Eの行動は中国当局にすべて把握されていて、I氏もその報告を受けていたと語り、友人Eは情報関係者だと、断言したので驚いた。
この話を聞いて以降、情報機関を意識するとともに、ある意味恐怖を覚えたので、当初EやLのことに関し知っていることも、このブログには恐ろしくて(中国もアメリカも)ほとんど書かなかった。
それ以降Eから共通のアメリカの語学学校時代の親しい友人(Eは私のルームメイトで生粋のゲルマン系アメリカ人で、スペイン語を自在に使えるEが相談に乗り面倒見ていたのが語学学校生のLで頻繁に部屋に来ていた。そんな関係でその後私とLも親しい友人となり、EやLの自宅にも泊まったことがある。)Lが発見されたという連絡がはいった。
その後の経緯は下記のブログに書いてある。
因みにLは、北朝鮮との緊張一触即発にまで高まったとき来日したが、彼のそれまでの行動はSNSで把握していたが、情報機関関係者でなければ説明のつかない動きをしていたので(ビジネスマンではありえないし、活動費=予算も普通の会社では出せない)問い詰めたところ、ブッシュ政権の時に情報機関の仕事をしていて、今はやめているといった。
その後Lは日本に何度も来日し、人脈を築きヨーロッパに活動拠点を持っている。(Lのことに関しては、ブログ集の情報機関関連の項目の中の、昨日記やブログに多く記載している。因みにこの話は、5年以上前の話で、現在どうなているかは、FBの投稿で知るのみで、現在情報機関関係の仕事もしているかは不明だが、盛んに世界を動き回っていることはFBの記事に出ている。<現在も盛んに投稿>)


以下余談
それ以外に、アメリカに語学留学後、民芸雑貨を仕入れに行った南米の国の一つである、パラグアイのアスンシオンのホテルのカフェテリアで食事の時に出会ったパラグアイの研究者という、プロレスラーのような体格の親切で不思議なアメリカ人仮称A氏のことについて、彼の写真を見せて知らないだろうがとI氏に聞いた。
するとI氏は、彼は情報機関関係の人ならだれでも知っている有名人で、ベトナム戦の英雄のグリーンベレーだと断言した。
そうするとAがいた事務所に数十人のアメリカ人がいて、パラグアイのことについて研究していることや、Aと出会って6か月後にクーデターで戦後から何十年も続いた軍事独裁政権が崩壊したことや、パラグアイ出国の日に、彼の案内で日曜日の休日にもかかわらず、わざわざ国立博物館(日本の感覚からすると小さな図書館程度)の館長が来て、博物館の門を開け、博物館内を私のためだけに見せてくれたことも理解できた。

これとは関係ない話だが、ペルーでマチュピチュからチチカカ湖行に同行した人も、経歴も変わっていて、彼だけがホテルで、私とカフェテリアで食事中、彼は途中抜け出して彼の部屋に戻ると、部屋の中でホテル従業員が荷物を捜索していたので怒ったと、青ざめた顔をして戻ってきた。金銭をとった様子は無いということだった。彼の実家は大阪府で、住所電話番号も聞いていたので、帰国後彼の実家に連絡を取ると、帰国後家に戻ったが、すぐに北部方面隊で勤務しているとの話であった。旅行中自衛隊に関係しているような話は聴いていたような気がするが・・・。


そういえば亡くなった在日の現代美術家だった友人のK氏の最後の展覧会のパーティーに招かれていた人の中に、陸上自衛隊の飛行場の通信部の役職(現役将校で紹介を受けた時に、本人が語っていた。)についている人がいて、以前からK氏の知り合いだったという。
その人は、通信・情報に関するあらゆる情報を積極的に集めているという。(末尾の段落で多少詳細にこの事を再度説明)

K氏は一時期親しい友人でもあった。
出会うと、向こうから呑みに行こうと私を誘ったり、奥さんを含め3人で飲んだこともあるし、彼の行きつけの飲み屋にも何度か誘われて行った。案内状も毎回もらっていた。
ところが、彼はある時期から突然私のいない場所で、私のことを皆の敵だと言って攻撃したことがあった。
そのことは、私の友人がその場にいて聞いた話を語ってくれた。
その後、私が本人と出会ったときにそのことを詰問したが、否定はせず言葉を濁していた。
彼は、国籍は在日韓国人であるが、北朝鮮系の学校を出て、それ以降学校で教えられたことを信じて、その考えのもと行動していたという。
そうした事実化rすると、彼のシンパをふやすことが彼の目的でもあったのではないかと推測している。
事実彼は様々なところに首を突っ込み、人間関係を巧みに構築していった。

そもそも彼と知り合ったのは、団体展のグループ展の中でのことだったが、彼の現代美術との接点は限られていて、団体展や美術研究所仲間とか、北朝鮮民族系美術グループといった狭い範囲に交友関係が限定されていた。(それ以前彼は、日本の団体展に加入したり、朝鮮民族系の美術団体に入ったり、美術研究所のOBとの交流の範囲でとどまっていた事を彼から聞いていて、現代美術に関係したいのなら、交流する範囲を広げる必要があると彼に言った。)
そうした時に、神戸の美術グループを彼に紹介したのも、彼が私の画廊に頻繁に来たのがきっかけだった。

それが、神戸のグループと接触して以来急速に人脈を広げ、逆に私とは疎遠になった。
その頃、先に述べた、彼が私のことについて、皆の敵だということを話していることを伝聞で耳にしたのだ。
(後日<2017年8月>彼のことをよく知る神戸の友人から聞いた話では、神戸のグループには殆ど参加しておらず、神戸のグループとも交流のある、大阪のアナーキー的傾向のある現代美術家グループに積極的に参加していたという。)

ところが、かなり時間がたったある時期から態度が徐々に変わり始め、私に再び少しずつ接触し始めた。
そして最後の展覧会の時、墨書の丁寧な案内状をくれたので警戒しながら個展のオープニングパーティーに参加した。
画風も変わったので、彼に心境の変化の理由を聞いた。
K氏は、北朝鮮の拉致事件は、でっち上げと信じていた。
しかし現実に拉致被害者が帰国し、考え方が180度変わったという。
それ以降態度も、絵に対する考え方も変わっていったのだと語った。

更にそこで、陸上自衛隊の通信部隊の方が来られていて紹介されたので、非常に驚いた。
この話も、情報関係者の絡む話に近い。
その時、自衛隊関係の人に私の周りの情報関係者の話を話したり、質問したりした。
彼がいつのころから、自衛隊通信部の人と接点を持っていたかは知らないが、数年ではなさそうだった。
通信部の人は、日常の通信業務以外に、様々な合法的な情報収集も行っていると話していたが詳しいことは一切語らなかった。
その時、狐とタヌキの化かしあいではないかと思ったこともあるが、真相は闇の中であり、多分永遠に解けない謎だろうし、この話を知る人はそれまでは、極限られていたようだ。
K氏はそれなりに、私に打ち解けて話してくれたし、一緒に飲んだ回数は、数十回は下らない。断片的にではあるが、彼の考え方もかなり知ることが出来たユニークないい友人であった。

追記20180628
私は、彼の葬式に参列した。
500人以上(1000人近い?)の参加者だった。(劇団員・舞踏家・美術家も多く、私の顔なじみの美術家や詩人も多数参加していた。)
彼の死因は熱中症という。
彼が、自転車で大阪から京都の展覧会場(クッドアート展?)に作品を回収(展示かもしれない)に行くのに、自転車で淀川堤防上を走っていた時に、枚方あたりで突然倒れたという。
彼は、以前から遠方に行くのにも自転車を普段から使っていたことは知っていたので、その程度のことで熱中症で死ぬのかと思った。死因がすっきりしないが、たぶん今となっては、本人しか知りえない永遠の謎かもしれない。

追記20201120 ミステリー風妄想話。禁転載
これとは、またく違う話だが、昨年夏(2019年)に飲食店に行って本を読んでいると、目の前を知人Aが通った。Aに話し込まれ読書の邪魔をされるのが嫌で、顔を伏せてて下を向いた。何度か通り過ぎついに彼に見つかった。彼は私と偶然会ったと言ったが、明らかに私を探していたと思っている。彼はこの飲食店にはこの時間よく来ると言っていた。彼とはとある施設で知り合いになった。その施設にはいろんな人が出入りしていて、K氏の奥さん(ギャラリー時代に、一度だけK氏から紹介され3人で食事したことがあるが、それ以来K氏の葬式以外一度も会ったことはなかった。会食では、奥さんも在日の人で政治意識の高そうな話をしていた。)と似た人も出入りしていたが、私は彼女と一度も話したことはない。その人は、偶然ではなく明確に私に接近しようとする行動をするので警戒している。その奥さんと似た人と、この日私を探していたと思われる知人Aが何度も親しく話をしているのを目撃していた。ちなみにAとは施設でも顔を合わせることがあり、たまに雑談もする。しかし、Aはいつもこの店に来ているといっていたが、この飲食店で会って以来、1年以上一度もこの飲食店でAと会ったことはない。なんとなく事実だけを見ると、何の具体的証拠や関連性やストーリーもないが、妄想的仮定を加味するとミステリーじみた妄想を搔き立てられるある意味危険な陰謀論的話ではあるが、K氏関連で掲載した。(ここに記載した事実は、現実に起きたことです。ただしこうした話は容易に根拠のない陰謀論的話=噂話になりやすいので注意が必要。K氏のことに関しては、淀川堤防上で熱中症で亡くなられたことが事実で、それ以上でも以下でもありません。)



情報機関関連(スパイ・工作機関含む)
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