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民族差別と日本のルーツ(追)

2018年05月17日 14時11分07秒 | 考古学・古代史・歴史・文化人類学
FBのグループサイトに「DHC会長、狂気の論説の背景にあるもの」http://hunter-investigate.jp/news/2018/05/dhc.htmlに関連した投稿があったのでその記事を読み、下記の長文のコメントをした。

安いのでやむを得ずDHCのサプリを使っていたが、考えたい。
他の製薬会社が同じ価格で出せばそちらを買うし、ニーズは多くあると思う。

その問題は別にしても、DHC会長の論説といわれる「実業界で大企業の創業者の大半は在日帰化人です」といった話は聴いたことがない。
又、「最近、遺伝子の研究により、日本人は彼ら(註:中国人や韓国人)とは全く関係のない民族だということが分かってきました。」という話も、聴いた事がない。

そもそも、純粋の縄文系日本人はおらず、縄文人と渡来人の混血というのが、今の学術的な流れである。
日本=瑞穂の国の根底にある稲作にまつわる文化そのものが、縄文時代末期から弥生時代に渡来人からもたらされたことは考古学的に明確である。
初めて稲作文化を持った家族達が北九州に移住し生活基盤を築き、同時に縄文人と交流し協力することで渡来系の子孫が増加し、更に移住する渡来人や渡来系弥生人も増えて九州・四国・中国・近畿へも移住し、縄文人と交流し混血したと想像され、縄文人の多くは、狩猟採集生活から稲作生活者に変わったのではないかと言われている。(一度稲作文化を受け入れた後、再び狩猟採集生活に変わった地域もある。<狩猟採集生活は気候変動に強く、稲作は気候が悪いと大凶作になる。>)

稲作文化は、稲だけが単独で中国や韓国から伝わったのでなく、稲を育て収穫するには、縄文文化とは全く違った共同作業の必要性(水田整備 水路管理 畦畔管理 収穫作業 農耕具の使用製作<鋤 鍬 石包丁 炊飯道具<甑こしき> かまど・・>)があり、稲作を行うために関連した人も文化も伝わったことは間違いないと考えられている。
日本の原点である弥生時代末期から古墳時代にかけての祭祀に、例えば卑弥呼の館ではないかと言われる、纏向遺跡の桃の種も、明らかに中国文化の影響であり、それには人の関与がある。

古墳時代になると大量の渡来人が日本に来たことは文献上でも確認されている。
例えば、百済の大量難民<百済関連の地名が各所に残る>や、それ以前の、大豪族葛城氏の葛城のソツヒコと朝鮮での活動の記録や、同じ葛城系列の蘇我氏と渡来人の関係を見れば、渡来人が多く来ていたことは容易に想像される。
又、東漢氏(やまとのあやし)や西漢氏(かわちのあやし)や秦氏といった、飛鳥時代の有力渡来氏族の存在や、桓武天皇の母は、渡来人の秦氏の一族であり、京都太秦一帯は秦一族の勢力下であり、河内や飛鳥も渡来人の有力氏族が多く住む地域であった。

こうしたことをざっくりとまとめて言うと、次のようになる。
日本人は旧石器時代・新石器時代から極東の吹き溜まりとして自然に人が集まり、混血して独自の文化を築き、縄文文化となった。
その後、稲作文化が、渡来人が稲や生活様式も含め人とともに日本の北部九州に渡り(縄文時代から北部九州と韓半島南部は交流があったことが考古学的に確認されている。)日本で生活し家庭を築き、その後現地の縄文人と混血を繰返し、その後も多くの渡来人が流入し今の日本文化、日本人が築かれたものと想像される。(下記「参考参照」)
北海道や琉球には、同じ縄文人が分布していたが、稲作の適合の問題があり、北海道や沖縄には縄文文化をそのまま引き継ぎ独自の弥生文化とは違う文化が生まれたと想像される。(北海道の続縄文文化  琉球の前期・後期貝塚文化)

それ以前に、人種で差別しているように見える次の言説「他のアジア人とはまるで違う人種であったというのです(中略)アジアの中でも唯一日本人だけがヨーロッパ人に近い民族だったというのです。」は、ナチスと同じ発想でありその背景には歪んだ日本人は特別という<ユダヤ人と同じ思想>選民意識があり、ヨーロッパ人は優れていてアジア人は劣るといった誤った潜在意識が隠れているように見える。
無論考古学や遺伝子から見ても、様々なアジアの人(中国朝鮮や、北方・南方民族)と文化が日本に流入し混じり合って今の日本が成立していることは疑いようがない。
そもそも、日本人に対しアジア人という概念があるのか。
何を持って、純粋の日本人というのか。
日本人にも遺伝子的文化的に様々な日本人がいるし、日本が単一民族というのは誤りであるということは言うまでもない。

歴史的に見れば、文化の優劣意識は、経済力に比例していると言われている。
様々な事例を見ても、経済的に豊かな国が、その時代の先進国であり、しばらく時間がたってから経済邸に豊かであった国の文化が洗練されて定着し文化的先進国として敬われるのである。
日本文化の根底にあるのは、中国文化であることは疑いようがない。
漢字にしろ、思想や芸術といった多くの文化が、中国文化の影響抜きに考えられない。
保守系の人が大切にする吉田松陰の思想も、国学であり国学は論語といった中国思想が背景にある。
日本人の、教養人の多くが漢詩を嗜んだことを見てもその影響が読み取れる。
だからと言って、日本独自の文化の価値を下げることにはならないし、中国文化を受け入れつつ独自の文化芸術思想を創造したのも事実であり、世界的にも評価され日本文化は独自の文明としてハンチントンの「文明の衝突」でも位置づけられている。
だが、そこだけ切り取って誇大に強調するのは大きな誤りだ。(文化人類学的に考えればよくわかる。そうした観点から見れば、民族主義・国粋主義がいかに遅れているか、そして歴史的にも不幸を生んでいるかよくわかる。)

それ以上に、現代日本は科学文明や人権を中心とした欧米文化の影響下にあり、その影響は過去の文化・文明の受け入れよりはるかに大きく、日本人の日常生活は現代文明一色になっている。
科学技術や人権を中心とした欧米文化は、その合理性や機能性から地域文化の域を超え、今では人類の世界標準になり、通信技術や資本主義の発展により、新しい世界共通の文化を地域を超えて同時発生的に創造しつつある。
現代文明と100年前の欧米文化とは別次元のもので、現代文明は標準化され、地域性は少なくなり(宗教的・風土的・政治的影響により多少地域差がある)、欧米や日本でも100年前の文化は国単位の地方文化=伝統文化遺産として保存されている。
均質化された現代文明の中で、伝統を守る意義は非常に重要であるが、特別な事例(文化財・伝統行事・伝統文化芸能)を除き、伝統を守ることの方が重要という考え方は、受け入れられないだろう。(民意で決める事である。)

今の現代日本には縄文人はいないが、世界各国から多くの民族の人達が居住している。
次の言説「 我々は全くの異人種である韓国人と仲良くすることはあっても、そして多少は移民として受け入れることはあっても、決して大量にこの国に入れてはいけないのです。ましてや、政権やメディアを彼らに牛耳られることは絶対に避けなければなりません。」には、大量移民の問題や土地購入の問題があれば現実的問題として、国民の民意により決定するしかないと思うが、人種問題をことさら意識している点は、選民意識が根底にあり問題と思う。

ただ日本の伝統文化を守るという意味においては考えさせられる問題ではある。
しかし、それを言うなら少子化問題や人口集中の問題を先に政治的最重要課題として取り組むことが先決であろう。
地方では、少子化や都会への人口流出で、後継者がいなくなったり廃村化したり伝統行事の廃止が相次いでいる。
こうした現状を認識し解決せずに、移民問題だけに焦点を当てるのは本末転倒であろう。

参考
ウイキペディア:「ハプログループO1b2 (Y染色体)」より
この記事には「2015年11月にISOGG系統樹が改訂されるまではハプログループO2bと呼ばれていた。」との解説があるので、最新学説かどうか不明である。
従って、下記の言説も2015年まではそういう説もあったとみるべきである。
遺伝子関係の研究は急速に進化しているので、数年前の学説も否定される可能性があるので注意が必要。

ハプログループO-M176は日本人及び朝鮮民族に高頻度であり、満州族でも中頻度で見られる。モンゴル[4][5]、ブリヤート、ウデヘ、インドネシア人、ミクロネシア人、ベトナム人、タイ人、そして中国国内に居住するダウール族、ナナイ、エヴェンキ、シボ族、漢族、四川省カンゼ・チベット族自治州新龍県のチベット族(カムパ)、新疆昌吉地区の回族でも低頻度にみられる。東アジア北東部に水稲農耕をもたらした集団と考えられ、日本人(和人)に高頻度でアイヌ民族には見られないことから、弥生時代以降の水稲農耕民(弥生人)との関連が示唆される[6]。


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