散歩者goo 

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「視覚の現場」と橋下府政

2011年10月24日 20時02分10秒 | 美術・工芸・デザイン・建築
「視覚の現場」10号が、関西の書店や画廊で販売されている。(500円)冒頭の3篇は、独裁発言した橋下府政の文化行政の実態を現場の視点から問いかけている。文化に関心のある方には是非お勧め。(3篇の執筆者:高橋亨、橋爪節也、天野和夫)

以下要約ですが正確さにかけるかもしれませんので、詳細は「視覚の現場」10号を参照ください。

高橋氏は「美術館をもっとつくろう」というタイトルで、6月20日の「美術館は、4館も必要ですか?」という大阪発行の産経新聞朝刊のコラムに対する批判から始まっている。美術館を、商品を扱う百貨店と同列に捉え、近代美術と現代美術の質の違いも分らずに批判するマスコミを批判し、これから作ろうとする大阪市立近代美術館の必要性を説いている。
(国立国際美術館は現代美術が中心の国立の美術館で大阪市の所有ではない。大阪市立天王寺美術館は中国・日本の古美術と貸し会場。サントリーミュージアムは映像中心の為改装に8億5千万円かかり、近代美術館として不適切との、外部委員会の評価が出ているという。)

橋爪節也氏は「独裁を主張する政治家の登場と 森村泰昌の<なにものかへのレクイエム(独裁者はどこにいる)>というタイトルで、冒頭に森村泰昌氏の上記作品に触れ、翻って「独裁」発言の橋下氏の政治姿勢を批判し、それを無批判に流すマスコミを翼賛会的と批判する。そしてやはり6月20日の記事に触れ、維新の会が「このクラスの美術館は、都で作ればよい」という趣旨のコメントに対し、府の美術館計画の挫折、児童文学館の廃止、センチュリー楽団への補助金カット、現美センターの移転遅れ、等の実態から、府の文化行政への姿勢と可能性に疑問を投げかけている。

天野和夫氏は、「大阪府とのパートナーシップを続けて28年――その出会いから別れまで」というタイトルで、今年で最終回になる「画廊の視点」の経緯をつづっている。「画廊の視点」は名称の変更はあるものの、毎年開かれていて、「第一回大阪現代アートフェアー」から数えると28回目となるという。その間の大阪府のトリエンナーレ開催を含む美術行政の裏側を明らかにし、ノウハウを持たない「官の論理」を批判している。そして大阪府の文化行政に対し美術の現場にあるものとして、怒りと落胆を持って、「ギャラリズム」を終えると述べている。(ギャラリズム:10月31日から11月12日まで 10:00-18:00ただし11/3・11/5は16時  11/6休み 11/12は15:30 大阪府立現美センター)
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日本の呼称の始まり、そして趣味の古代史・考古学の流れ(改)

2011年10月23日 21時40分27秒 | 考古学・古代史・歴史・文化人類学
「日本」の呼称が、最古の例となるかもしれない678年の墓誌?中国で発見されたという記事がアサヒコムに掲載されていた。それまでは、日本という国名が使用されたのは、大宝律令(701年)からとの見方が有力だったという。(http://www.asahi.com/culture/update/1022/TKY201110220586.html)

それ以前では、3世紀末に書かれた魏志倭人伝という中国の歴史書の倭の用法に見られるように、中国での日本の呼称は倭である。倭に関しては502年にも倭王武を征東大将軍に進号する、という記事が『梁書』(りょうじょ)に記されている。倭王武は、雄略天皇とする見方で研究者の間ではほぼ一致しているという。(稲荷山古墳出土の鉄剣銘のワカタケル大王でも話題になった。)


ところで、古代史・考古学は、私の主な趣味の一つになっていて、このような古代史考古学情報をいつもチェックしスクラップしている。私が、古代史・考古学に興味を持ち出したのは30代になってからである。

30歳の頃失業中に、遺跡発掘の作業員のアルバイト広告を見つけて応募した。そして東大阪の遺跡保護調査会から、石切近くの日下中学校?にあった遺跡へ1ヶ月余り発掘調査のアルバイトに行った。それまでは、設計や製品開発の仕事しか経験していなかった。覚悟はしていたが、生まれてはじめてのツルハシやスコップを使っての発掘作業はきつかった。川床跡の礫層は硬くて特に大変だった。調査面の土の層まで達すると移植ゴテやその他の道具で丁寧に地表表面を削り遺物を見つける作業になる。発掘面を丁寧に削りならすと、柱穴とか当時掘り返されてところは、土の色が違うという。(なかなか見分けがつかない)たまに土器片を見つけると宝物を掘り当てたように嬉しかった。

発掘作業に従事している作業員や発掘調査員は、学生か卒業して数年程度の若者ばかりで、考古学への情熱を燃やしていた。お昼時は、考古学の話も飛び交い、考古学の門外漢であった私は、全く話についていけなかった。今まで勤めていた会社の社員や取引先の大企業の技術者・ビジネスマン達との世界が普通と思っていたので、それまでと全く違う世界が見えて新鮮でもあった。

あるとき、調査責任者が「これは画期的な論文だから希望者は読んでください」と言って、希望者にコピーが配布されたので読んでみた。それは、都出比呂志先生の古墳時代前夜と高地性集落を論じた小論文だった。考古学論文を読むのは初めてで、予備知識も無い私にとって余り分らなかったが、周りの人の解説で、だんだんと分りだした。

確か石鏃の大きさの変化や、高地性集落の、のろしの見える位置関係や土器の胎土(たいど:土)と婚姻関係も論じられていて、高地性集落は防御用のために作られた集落で、当時魏志倭人伝に記されてあった倭国の大乱の証拠ではないかという論文であったような記憶がある。当時は邪馬台国時代の倭国の乱も、何のことか分らなかった。(倭国の乱については、今も確定した説が無いようだ。)

このようにいつも、考古学関連の話しを聞かされ、発掘作業でわずかな土器片を宝探しのように探し当てたりするうちに、当時話題となっていた邪馬台国関連の本を読んでみる気になった。そして原田大六氏の「邪馬台国論争」を購入し読み始めた。はじめは難しくて全く分らなかった。考古学用語や文献の固有名詞のオンパレードで理解するのに非常に苦労した。考古学古代史は記憶の学問ではないかと思い、読むのを止めようと何度も思ったが、それでも少しずつ読み進め、数ヶ月以上かけて読み終えた。

東大阪遺跡保護調査会のアルバイトは、一ヶ月余りで終わった。その後アルバイトで知り合った知人の誘いで、長原遺跡の発掘調査に加わったが、参加して確か1週間余りで、ある食品機械メーカーの設計技術者として就職が決まりアルバイトを辞めた。その頃長原遺跡の弥生時代の方形周溝墓について知った。

それ以来考古学、古代史ファンになり、講演会に参加し、本を読み知識を深めた。その後大阪市の教育委員会が主催していた、市民考古学講座に参加して、一般教養程度の考古学知識や難波宮や河内の古代や古墳に関しての初歩知識を得ることが出来た。

その後、大阪市の北市民教養ルーム担当者の肝いりで考古学講座のOBが集まって「古代を偲ぶ会」を結成した。偲ぶ会は、今も考古学・文献史学の専門家・研究者(有名な先生や気鋭の学者が多い)を招き、毎月定例講座を開く大きな会に成長している。発足当初は、まだ会の規模は小さかったが、私も定例講座を聴きにいき随分考古学・古代史に対する理解が深まった。

会社に勤めだした時は、クレーム処理とか修理程度の仕事で余り残業せずに帰れたので時間に余裕があり、考古学の専門誌も読んだ。しかし仕事に慣れるにつれ、本職の設計の仕事が忙しくなり製品開発も始まり、遅くまで残業し、更に管理職・技術部門の責任者となってからは、早朝や休日出勤も普通になり、趣味どころではなくなった。40歳になり、それまで必死に働き通したおかげで、経済的に余裕が出来たので、脱サラし語学留学で一年余り渡米した。

帰国後、中南米の民芸雑貨店やギャラリーを経営し、考古学・古代史に触れることは無かった。50代で事業に失敗した後は、低賃金の契約社員として働き、再び残業等に追われ(契約社員のため、いくら残業や休日出勤しても手当ては付かず、会社に体よくこき使われた。)、文字通りの貧乏暇なし状態で食べて行くだけで精一杯の状態になった。必死で働いた契約社員の仕事は、契約更新で打ち切られたので転職し、社労士の下での営業の仕事に就いた。仕事は順調にこなしかなり成果も上げた。その後国の制度上の問題(既得権益)で、会社がそのビジネスモデルの仕事を継続できなっくなった。その為産創館の起業講座に通った後、自営業をはじめた。しかし自営業で始めた営業代行の仕事は、うまくいかず困窮した。無論この年での就職口はほとんど無かった。その後、幸いなことにすぐに年金受給の年となり救われた。年金のおかげで、自由に使えるお金はほとんど無くても、簡素な食事なら食べる事だけは安心して出来るようになった。このように最近まで仕事と貧困に追われ、古代史・考古学どころで無かった。

そういうわけで、社会的活動をあきらめたわけではないが、今時間には余裕があり、図書館から本を借りて古代史考古学関係の本を読んでいる。20年前の考古学の知識は、すっかり古くなっていた。その間考古学の世界では、大量の発掘データーが蓄積され、朝鮮や中国の考古学情報も加わって、古代の国際関係も遺物を通して論じられるようになり、日本の考古学は飛躍的に発達した。その間、私はそういった情報にほとんど接していなかったので、経過が全く分らず、今新鮮な気分で考古学・古代史関係の本をゆっくりと読んでいる。今振り返ってみて、古代史・考古学の趣味を持っていて良かったと思っている。


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2kwから大阪靱公園の「花と彫刻展」へ

2011年10月22日 20時54分05秒 | 美術・工芸・デザイン・建築
今日は、2kwギャラリーに行くことにした。「ギャラリーDen」から「2kwギャラリー」に変わって一度も行ったことがなかった。家を出る時は曇天であったので雨が気になった。

出発前にネットで天気予報の最新レーダー画像を見ると、淡路島から大阪湾上に強い雨雲があり、その雨雲が時速20-40km/hで移動すると仮定すると、距離的に1-2時間すれば大阪上空に到達するであろうと思った。とりあえずギャラリーの作品を見てトンボ帰りするなら、何とか1時間程度で帰れるので問題ないと思い出かけることにした。

念のため傘を用意した。それでも、雨になった場合、途中の大阪城公園の南にある法円坂の坂道の昇り降りが危険なのが、少し気がかりであった。

ギャラリーまでは天気は持ちこたえた。しかし2kwギャラリーにいるときについに雨が降り出していた。ギャラリーを出たとき、一瞬帰ろうかと迷ったが、せっかくここまで来て、傘も用意しているし、目と鼻の先の彫刻展を見逃すことはないと思い「第42回花と彫刻展」が開催されている南に隣接している靱公園に、自転車で乗り傘をさしながら入った。ただ公園の遊歩道の一部はタイル類で舗装されていて、雨にぬれたタイルでタイヤがスリップすることが心配だった。

靱公園に行ったのは、5年以上前でやはり、同じ展覧会だったが内容は余り覚えていない。その意味で今回は新鮮な感覚で「花と彫刻展」を見ることができた。

50点近く出品されている彫刻作品は公園の木々の緑と花と土に囲まれ、ギャラリーで見るのと違い、どの作品も更に存在感を増し美しく見えた。一つ一つ丁寧に作品を見ていくと、写実作品や、現代系のオブジェ・インスタレーションはそれぞれ見方は違うが、それぞれ見ごたえがあり作家の思いが伝わってくるように思えた。

「花と彫刻展」は、公園の環境と芸術作品がうまく融合したすばらしい催しだと思った。

ところが家に帰って今回の催しについて検索してみると、大阪市のHPに「花と彫刻展」の案内が短い文章だけで掲載されていた。お役所仕事に見えた。そこには見に来てもらおうという意欲が感じられない。来る人の関心を呼び起こす為に、せめていくつかの写真でも掲載して欲しかった。それに作家のコメントや苦労話でも掲載できれば更に関心が高まり良い効果が期待できるのではないかと思う。更に、大阪市の取り組みが不十分なら、もう一つの主催者である彫刻家会議がHP等を作って宣伝してもよいのではないかと思った。

マスコミでの、取り上げも少ない。このような状態では人は来ない。今はネットも発達しているのでお金を使わなくても行事をPRできる可能性は大きい。ちなみに、靱公園を管理しているのは大阪市ゆとりとみどり振興局であるが、同じ部門が運営しているサイト「MIGOHSHA」(MIGOHSHAは、大阪のアーティストおよびその活動内容を発信することにより、芸術文化に興味を持つ多くの人びとがアーティストに出会える機会を提供するサイトです。)には、この催しの記事がトップとか特集には出ていない。行政内の意思疎通はできているのだろうか。
見巧者=MIGOHSHA  http://migohsha.com/about/
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簡単な筋トレでアンチエイジング?

2011年10月20日 23時05分06秒 | 医療・健康・運動・食事・予防
先日NHKの「ためしてガッテン」「夢に見た!たるみ解消 美ボディー実現の科学技」を見た。
(詳細は、下記の「ためしてガッテン」のHP参照。)
http://www9.nhk.or.jp/gatten/archives/P20111019.html

この番組のタイトルの中には、「たるみ解消 美ボディー」とあり女性向けに見える。しかし細かく内容を見ると女性だけでなく、中高年全員に当てはまることだと感じた。

具体的な内容は、「スロー筋トレ」と「大股歩き」が「たるみ解消 美ボディー実現」に良いという内容だが、男女問わず、中高年の健康増進と生活の質向上(QOL)に役立つと思った。

例えば、この番組で生活習慣としての「大股歩き」について、次のような解説がある。「歩幅を広げる事で筋肉が大きく伸び縮みするようになるのはもちろんのこと、歩幅が狭い時と比較して、太ももやお尻、腹筋などより多くの筋肉が使われるようになるのです。」すなわち歩行に必要な足腰の筋肉が鍛えられることだろう。

人間は加齢とともに、足腰の筋肉が衰えて行動範囲が狭まくなり、そのことが更に老化を加速する。更に進行すると歩行障害で杖をつく状態になり、最後は寝たきりになり一生を終えるという過程は、多くの人が通過すると思われる。

しかし足腰の筋力強化をすることにより筋力の衰えを遅くすれば、それだけ高齢になった時の歩行障害や寝たきりになるまでの、元気に活動できる期間が延ばせる可能性があるといわれている。

今回の番組を、上記のような老化という観点から「スロー筋トレ」や「大股歩き」の効果を考えると、筋力を鍛えることで足腰が強くなり、行動範囲も広がり、精神的にもウツ予防に繋がるし、体の抵抗力もつくといった効果が期待できるのだろう。(一般的に運動の効果としていわれている。)

以上のようなことを考えると、生活習慣として、意識的に日常の歩行を「大股に歩き」することにより、簡単に無理せず運動不足解消になり、健康増進やアンチエイジングになるのかも知れないと思った。
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グスコーブドリと地球温暖化

2011年10月19日 16時21分50秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
私は、朝に私の3食分の食事を調理して冷蔵庫に保管し、食事前に出汁をいれ電子レンジで過熱して食べる。調理の時間は退屈なので、いつもラジオを聞いている。以前は、FMでクラシック音楽を聴くことが多かったが、最近は第二放送を聴くことが多くなった、

その中に朗読の時間という番組がある。普段は、専門書や新書はよく読むが、小説をほとんど読まない。そういう私にとって朗読の時間は、文学に接する貴重な時間と思うようになった。

少し前まで、太宰治の「斜陽」の朗読を聴いた。太宰治の本は余り読んでないが、朗読を聞いて、なぜ彼の本が人気があるのか少し分った様な気がした。

今日まで、宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」の朗読があった。科学者らしいSF的小説で楽しかった。火山のエネルギーを利用するとか、爆発をコントロールするとか、当時の最新の学説を利用しながら執筆したであろうことがよく分る。

この話には、当時の社会では社会保障や人権保護もなく、農民が大凶作に見舞われると起きる飢饉=逃げることの出来ない格差問題・不条理に対する悲しみを描き、金のためにあくどいこともする人を通して、当時存在したであろう金儲け第一主義の粗野な資本家の暗部を示しつつ、農業技師として農業や農民への愛情が感じられる。

その中で驚かされたことがあった。 最後のほうで炭酸ガスと地球温暖化の話が出てくるのだ。まさに現代の我々が真剣に取り組んでいる地球温暖化問題と本質的なものは同じだ。小説では火山の炭酸ガスを利用して、炭酸ガスを放出し土地を暖め農作物の収穫を増やし、農民が幸せになるという話しだ。(下記参考参照)
実は、人類が生きてきた石器時代から地球は何度か大規模な気候変動を起していて、それが人類の文明の興亡や日本人の源流に影響を与えている可能性があるという。後日そのような話に触れてみたいと思う。


参考
青空文庫 http://www.aozora.gr.jp/index.html
宮沢賢治作 グスコーブドリの伝記より(http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/card1924.html)
ところが六月もはじめになって、まだ黄いろなオリザの苗や、芽を出さない木を見ますと、ブドリはもういても立ってもいられませんでした。このままで過ぎるなら、森にも野原にも、ちょうどあの年のブドリの家族のようになる人がたくさんできるのです。ブドリはまるで物も食べずに幾晩も幾晩も考えました。ある晩ブドリは、クーボー大博士のうちをたずねました。
「先生、気層のなかに炭酸ガスがふえて来れば暖かくなるのですか。」
「それはなるだろう。地球ができてからいままでの気温は、たいてい空気中の炭酸ガスの量できまっていたと言われるくらいだからね。」
「カルボナード火山島が、いま爆発したら、この気候を変えるくらいの炭酸ガスを噴《ふ》くでしょうか。」
「それは僕も計算した。あれがいま爆発すれば、ガスはすぐ大循環の上層の風にまじって地球ぜんたいを包むだろう。そして下層の空気や地表からの熱の放散を防ぎ、地球全体を平均で五度ぐらい暖かくするだろうと思う。」
「先生、あれを今すぐ噴かせられないでしょうか。」
「それはできるだろう。けれども、その仕事に行ったもののうち、最後の一人はどうしても逃げられないのでね。」
「先生、私にそれをやらしてください。どうか先生からペンネン先生へお許しの出るようおことばをください。」
「それはいけない。きみはまだ若いし、いまのきみの仕事にかわれるものはそうはない。」
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命と時間 雑感

2011年10月18日 00時09分32秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
先日NHKで100歳になった日野原重明医師の、命の授業を特集番組で放送していた。
日野原先生のことはいつも尊敬しつつTVなどで出演されると、いつも見ている。
今回の放送では、先生の言葉に、命は時間だといった意味の言葉があった。
非常に哲学的言葉だ。(先生のオリジナルな発想なのか、有名な哲学者が指摘したのか私は知らないが。)
生命には必ず動きがある。最低限、生と死は状態が違う。少なくとも生きている限り代謝はある。
動きは時間に関係する。動きは時間的な位置の変化なのだ。
そういう意味で、命と時間は切り離せない。
又生あるものは必ず死ぬ。
よく言われるように、産まれた時から、生き物は死に向かっているのだ。
仏教の無常観とも通じる。
しかし、ホスピスでの先生の対応に暗さは無い。(キリスト教と仏教=天国と彼岸又は輪廻転生:の違いか)
だからこそ、今を精一杯生きなければという考えだ。(禅宗にも同様の思想があるようだ。)
先生の生き様はまさに、命=時間を体現しているように見える。





我が植えし
長屋表の
金木犀
香り花散らし
秋の更けゆく

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お茶と咽

2011年10月17日 23時59分15秒 | 医療・健康・運動・食事・予防
私は時折、咽に違和感を感じることが多く、痰が咽に引っかかり、咳払いをよくすることが多かった。

今年の夏に夏風邪にかかり、長い期間咳が止まらず病院にいった。そのとき医師が、咳の原因の一つとして鼻からの鼻水による場合もあるといった。

医師は、喘息を含め3つばかりの可能性を示して薬を処方してくれ、治らなかったら又来るようにと言った。
咳が出て喘息の噴霧薬を使用し、それが効いたなら、治療するのですぐに病院に来るようにとも言った。帰宅後、強い咳きが出たので早速喘息の息薬を使用したが効果なかった。喘息では無かったので安心した。その後処方された薬で咳はほとんど出なくなり、治療は終った。

しかし、その後も咳は出ないが、咽に軽く痰が引っかかり気になった。以前からそういうことはよくあった。そのときは、市販ののど飴を服用して数週間すると治ることが多かった。

今回は、医師が指摘した、鼻からの鼻水の可能性を考えた。医師は、鼻水は咽にも行き、痰となって引っかかることがよくあるといった。そういえば寝るときにもよく痰が咽に絡まる。細菌の多い鼻水が咽に触れることで、炎症を起こす可能性があるかもしれないと考えた。

そこで、咽をいつも清潔にしようと考えた。それにはお茶をいつも飲み、咽を洗い流すのがよいと考えた。お茶にはカテキンといった殺菌成分が含まれている。最近はお茶を淹れなくなり、家での飲み物は、コーヒーか水か牛乳であったが、それ以降お茶を頻繁に飲むようにした。

毎回お茶を淹れるのは面倒なので、大きめの急須に4-5杯分作り置きし、お茶が充分抽出できると、お茶の葉を入れた金網のフィルタを取り出し、後は急須ごと冷蔵庫にいれて、適宜飲むようにした。(お茶の葉をそのままお茶に浸しておくとタンニンが多くでるという。)

その結果、お茶の効果かどうか分らないが、今は咽の違和感や痰の引っかかりが無くなった。



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気になるゴーヤの収穫

2011年10月15日 11時47分22秒 | 趣味娯楽・園芸・探鳥・山・海・観光・グルメ
私は、両親が昭和10年ごろこの長屋に移り住んだという古い長屋に生まれ育った。近所にはまだ幼馴染もいる。しかし周辺の家は、ほとんど取り壊され、新しい家が建っている。私の家の南隣にも同じ長屋の2軒の家があったが、20年以上前に取り壊され今は駐車場になっている。

私は、母が亡くなって、この家に一人住まいするようになってから、母が生前家の前に植えていた菊やバラ等の草花を引き継いで手入れするようになった。それまで私は園芸に対し興味はなかった。母の園芸技術は、買ってきた植物に水と肥料をやる程度で、植え替えもせず本格的ではなかったが、それでもよく花の鉢を買っていた。

その後、私がせめて母が植えた植物を枯らさないように手入れするようになって、土や肥料や水を管理すると、植物はそれなりにきちんと期待に応えてくれることを実感するようになった。それ以来徐々に鉢が増え、種を買って育てるようになった。

今では、食用になるフドウ・ゴーヤ・トマト・ミニトマト・モロヘイヤ・ブラックベリー・ブルーベリー・イチジク・イチゴ・パセリ・シソ・ミント・ウコン・生姜といった物も植えている。無論狭い場所での鉢植えの為、出来不出来はある。まして長屋の前は、幅4メートル程度で2トントラックが奥にある工場へ通る程度の舗装された狭い路地だ。(その先は自転車しか通れない道となり、ほぼ行き止まりの状態だ。)

したがって家の表、すなわち路地側は東向きで日照も少ない。始めは園芸なんてとても無理と思っていた。だが今では、先に述べたようにいろんな植物を密集状態で作っている。

今年は、南側の駐車場の壁にネットを貼りゴーヤを表から誘導して這わせた。去年もゴーヤを植えたが、数本の小さなゴーヤを収穫しただけだった。更に虫食いの被害は大きかった。ところが今年は南面の壁を這わした為日当たりもよく、夏には20本近い大きなゴーヤがなった。更に今も、10本近いゴーヤが実をつけている。また、ミニトマトやトマトやイチジクも青い実を付けている。しかし気温も下がり、日照時間も短くなっている。ゴーヤの葉も一部黄色くなり枯れている、でも新芽もでて9割の葉はまだ青々としている。これから先ゴーヤや他の植物がが充分実るのか気がかりだ。
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体力づくり

2011年10月12日 17時58分20秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
始めに、お断りしておきますが、私は今まで2007年から「村ぶろ」というサイトで(散歩者)というタイトルでブログを初めて書きました。そのときも文体で悩んだのですが、最終的に、です、ます、でなく・・だ・・であるという書き言葉になり、普通の文書のように詰めて書くようになりました。したがってgooブログでも、政治経済社会や、文化芸術を論じる場合は、その形を踏襲します。
ただしテーマにより、です。ます。を使うこともあります。
上から目線で書くような感じにもなり不快に思われるかもしれませんが、どうかご勘弁ください。
なお、以前にもgooブログで、「村ぶろ」に投稿したブログを同じ「散歩者」のタイトルで掲載していました。
今回理由があって、村ぶろへの投稿は、以前と逆の関係になると思います。

前置き長くなりました。これからはじめます。



私は週に3日以上ジムに行ったりプールに行ったりして運動してる。
今日もこれからジムに行く予定だ。

現在60代半ばだが、トレーニングしているので、40-50歳の普通の人達(普段積極的に運動していない人達)と同程度以上の運動能力があると思っている。

ジムに通い始めたのは、2005年1月10日から。その当時の記録を見ると、チェススプレス(腕で押す)やラットプルダウン(上から引き下げる)といった運動は13ー18kgを15回程度だったが、数ヵ月後には30kg程度の記録が伸びた。それ以降はなかなか伸びなかったが、それでも徐々に向上している。現在45kg15回に挑戦中だ。(本来15回を2セットだが1セットでやっている。2セットになるには、もっと筋力UPが必要)

ランニングは、トレッドミルというランニングマシンで行っている。初めのころは時速7km/hで10分から15分走るのが体力の限界だった。今では調子が良ければ平均9.5km/hで25分程度何とか走れる。

しかし最近、バランスボールにチャレンジして、バランスが極端に悪いことが分った。2秒もバランスが取れないのだ。その原因は分っている。それについて話すと長くなるので、今日は止めて置く。

プールは一昨年末から通い始めた。昨年の夏は、クロールで100m泳げるかどうかという程度だった。今年は泳法を変えて、ゆっくり泳ぐことで、800mをクロールで泳ぐことが出来た。

年をとると、極体力や気力が落ちるといわれているし、医学的にも経験的にも当てはまる。しかし、私の経験からすれば、積極的にトレーニングすることで加齢による体力の低下を遅く出来場合により向上させることが出来るのではないかと思っている。
生物の体は、使わなければ退化する。


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ブログをはじめます

2011年10月11日 17時41分52秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
今日からgooブログをはじめますのでよろしくお願いします。
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