食べるということは、人間にとって、本当に大切なことなんだな、とつくづく思えた機会に、最近、たまたまですが、よく遭遇します。
よくよく、考えてみると、人って何かにつけて、食べてる。
ある人は、お腹いっぱいになることを求めて。
ある人は、美味しいものを求めて。
ある人は、こだわりを求めて。
ある人は、思い出作りを求めて。
患者さんの多くは、「食べることができる」ことでご自分の体調のバロメーターにされることが多いと思います。
ただ、単に「いつもの量」を食べることができるだけでなく、美味しいかどうかも、体調を確認するためには大切なことのようです。
それは、患者さんじゃなくても、私たちも同じことだと思います。
終末期のがん患者さんは、さまざまな理由から食べる喜びを味わうことができなくなります。
ここ数ヶ月でお会いした患者さんで、食べることを望みつつも、うまく食べられなかった原因としては、消化管のがんや婦人科系のがんで、手術の既往があり、がん性腹膜炎になっているというものが多かったように思います。
食べたい…。
そのご希望にはできるだけ沿うようにケアさせていただくのですが、何の症状もなく、食べていただくということは不可能に近い技です。
多くの患者さんは腸閉塞を繰り返し、痛みや吐き気と闘いながら食べ続けておられました。
どうして、
どうして、
そんなにまでして食べるの?
腸閉塞なら、絶食にして腸管を安静にするほうが、体は楽じゃないのか…。
痛みがでるとわかっていて、どうして、絶食期間中に隠れてでも食べちゃうのか…。
それは、
食べることが生きている証だから、です。
患者さんの話をうかがったり、食べることへの行動をみていると、どれほど、その方とって、食べることが大切なのかということを知らされます。
本来なら、腸閉塞になれば、絶食にして点滴で様子を見ることが治療としては本筋なのでしょう。
でも、私たち専門家がよいと思う治療は、患者さんにとっては必ずしもよいものとは限りません。
うまく食べることができない病状にあっても、食べることを選んだ患者さんにはできるだけ食べていただくようにさせていただいています。
腸閉塞を繰り返すと、患者さんもご家族もつらいですが、一緒に過ごさせてもらっている私たちもとてもつらいものです。
患者さんも必死に「食べること」「食べたいと願うこと」で生きていらっしゃる。
食べたい、でも、つらい症状はいやだ…。
両方を叶えることはとても難しいのですが、病状を考えながら、なんとか、いい方法はないのか、なんとか折り合いをつけることはできないのか…。
私たち医療者で考えただけでは、そのときの最善の答えを見出すことはできません。
患者さんと常に対話しながら…、ああでもない…、こうでもない…と頭を抱えながら、日々、奮闘しています。
患者さんが、せめて少しでも食べることのできる状態なら、できるだけ、患者さんの食べたいものを食べてもらいたい。ほんの少しであっても、食べることの喜びを体で、気持ちで味わってもらいたい…。
そう願わんばかりです。
生きることは、食べること。
そういいきっても、過言ではないかもしれません。
サチにバ イ ブ突っ込んだ状態でジェットコースター乗ったぞw
みんなキャーキャー言ってんのに
サチはずっとアンアン言って俺のチムポにぎにぎ(。・m・)ププ