緩和ケアをやっていこうと思う、モチベーションって、何なのだろう?
そう思うことが多い、今日この頃。
たぶん。
私は、愚痴ったり、落ち込んだりしつつも、きっと、打たれ強いのだと思う。
そして、自分にいいようにいい加減なところがあるから、緩急がある程度あって、それはそれ、これはこれって、自分の中で割り切れるところがあって。
だから、結局のところは持久力があるのだと思う。
この場面、この出来事。
しんどかったこと、患者さんやご家族から苦情があったこと。ああすればよかったと思うのに、できなかったこと。
それに対して、
自分はどうあればよかったのかな。
いったい、みんなはどんなケアをしているのかな。
文献ではどんな風に述べられているのだろう。
自分の経験と、自分以外のところで語られていることを比較したり、あてはめてみたりして。
自分がこう変われば、これからのこと、これまでのことは変わるかもしれない。
いえいえ。変わるなんて、言い過ぎかもしれないけど、ちょっと、心がけを変えるだけで、目の前で起こっていることの、自分の受け取り方が違ってくるかもしれない…。
そう思っていろいろやってきたのだけどねー。
目の前で起こっていることに対する受け取り方はさまざま。
自分が思う、緩和ケア病棟でのケアって…。
ちょっと、話は変わるかもしれないけど。
本気で、緩和ケアをやりたいのか。
そこのところで、モチベーションは変わってくるのではないかな。
一般病棟のケアと比べると、緩和ケア病棟でのケアは、とてもゆとりがあるように見える。
緩和ケア病棟でも、そんな「ゆとり」を求める声が、ポンが属する病棟では多く存在する。
「ゆとり」
それって、何?
自分たちが満足いくケアを行える時間が確保できること。
ケアをする自分たちがしんどい思いをしないようにできること。
それは、本当のゆとりなのかな。
まるで、自分たち中心じゃないのか。
緩和ケア病棟は、一般病棟からみると、時間の流れがとてもゆったりしているようにみえる。
だけど。
今、この瞬間を逃したら、次はない。きっと、今やらないと、後悔が残る…。
今、この時にしっかりと患者さんやご家族としっかり話をしないといけない。
今、どんなに忙しくても、できるだけ、今までと同じようにケアをしないと、この「今」という時間が損なわれてしまう。「これまで」の時間が壊れてしまう。
そんなことが多々あるのが、緩和ケア病棟だと思う。
「時」を大切にしつつ、ある程度未来の時間単位での予測をしなくてはならないこともあるのが緩和ケア病棟。
それって、ひょっとしたら、救命救急が必要な事態と同じことではないかと思う。
命の尊さ。
命の重み。
命が育むその人の人生とその人の存在。
その人が必要としている家族などの大切な存在。
それらを大切にすることは、医療のどの分野においても、決して一致しないことがあるはずがないと、私は思う。
そこで、自分たちとゆとりを求めるのはいかがなものか。
患者さんやご家族はゆとりのない状態で緩和ケア病棟を訪れる。
だから、医療者にゆとりがなければならない。
その論理はわからないでもないが、緩和ケア病棟に入院したいと希望している患者さんやご家族のニーズに応えるにあたり、自分たちのゆとりを求める姿勢はいかがなものか。
緩和ケア病棟というところは、決して、たっぷりの時間があって、ゆとりを持ちながら、余裕綽々のケアを行うところではない。
緩和ケア病棟は、緩和ケア領域の「救急救命センター」のようなところであるときも多々あるところだと思う。
緩和ケアをしっかりと理解していないと、結局のところ、モチベーションは底をついてしまう。
緩和ケアって、ゆったりと、どの患者さんにも、ご家族にもゆったりと接して、私たちにも時間がたっぷりあって…。
そんな楽園みたいな病棟が、この世にあるはずがない。
残念ながら、今のシステムではありえない。
自分が思う緩和ケア病棟は、そんな感じ。
だけど、「ゆとり」がないから、私たちはケアをできません、と、スタッフから声が上がった。
この病棟、どうなるのだろう?
本当にそう思った。
緩和ケアを、とてもゆとりのある病棟だと思って、ゆとりがあって当然と思っている姿勢にびっくりした。
自分たちのゆとりを前提に、患者さんやご家族のケアを考えていたら、おそらく、必ず頭打ちがくる。
それを、組織や管理のせいばかりにしていては、その組織やチームの未来はないだろう。
ゆとりのない医療は、今の現状。
その現状は決してよいものとは思えないが、今、ここにないものを求めて、自分たちができないと根を上げるような状態で何が生まれるのだろうか。
ないものねだりでは、前進はないと思う。
ないものばかりだけど、あるものをいかに活かしていくのか。
今、ある資源をどう活用するのか。
そんな視点がないと、モチベーションは育まれず、モチベーションは誰かが変われば自分のものになる。
そんな誤解が生まれてしまうのだと思う。
自分のモチベーションが育まれないのは、自分以外の人が原因である。
本当にそうなのだろうか。
私は、自分の芯から、緩和ケアをやりたい。
でも、やろうとすると、どうも、軋轢しか生まれないみたい。
私は、緩和ケアをやりたい。
緩和ケアというと、「がん」患者さんというイメージがあるが、緩和ケアの概念は、その患者さんにも当てはめることで。
とにかく、患者さんとそのご家族の声に耳を傾け、一緒に考えていくケアをしたい。
今の自分の属する場所に限界を感じつつ…。
自分の在り方を、今後の自分を見つめなおしているポンなのでありました。
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