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がん患者さんの高齢化は進んでいます。
がんが見つかった時点で、治療はできないといった状態の患者さんも多くいらっしゃいます。
ポンの病棟でも、80~90歳代の患者さんは多く入院されています。
がんによって何に苦しむかは、人それぞれです。
がんのできる場所、どんな症状がでているか、患者さんの病気の受け止め方、患者さんが病気のことを知らされているかどうか、ご家族がどんな風に患者さんのお手伝いをしているのか、患者さんの性格、年齢、性別などなどによって、違ってきます。
この世に絶対というものはほとんどないと思いますが、100%ありえる、そして絶対といえるのは、人は必ず死ぬということです。
人は死ぬとはわかっていても、壮年期の方の死を思うことと、90歳・100歳生きたかたの死を思うこととは違う思いがあるのではないでしょうか。
このところ、90歳代の方にも出会う機会が多いのですが、ご家族から「もう、この年まで生きてこれたのですから、十分ですわ。」という言葉をよく耳にします。
ご本人も、ご家族も、何年生きてきても「最後は苦しまないようにしてもらいたい」というご希望はもっていらっしゃいます。
けれど、人の苦しみというのは、年齢を問わず、身体的な症状にとどまるものではありません。
人は必ず、自分の命の限りが見えてきた時点で、心の痛みを感じるものです。
心の痛みとは、便利な言葉です。けれど、自分の命の限りがみえてきた時期の痛みというのは、心の痛みと説明するにはあまりにも拙いものになってしまいます。
それが、スピリチュアルペインといわれるものだと思います。
普段、当たり前にできていたことができなくなるということは、自分そのものを揺るがす痛みになります。
高齢の患者さんからよく聴かれるのは、
「人の世話にばかりなって、こんなんなら死んだほうがまし。」
「下の世話をしてもらうのがつらい。」
「みんなに迷惑をかけている。」などなど、です。
さらに、高齢の方になると、がんの告知をされていない方も多くいらっしゃいます。
そうすると、周りから聴くことと、自分の体の状態にギャップがでてきて、さらにつらさが増します。
ご家族が、「もう年なんだから…」と捉えることで患者さんのつらさが強くなってしまうこともあります。
さらに、さらに、高齢の方は、一度がんの告知を受けていても、その説明が記憶に残っていないこともあり、医療者としては悩ましく感じるところです。
90年生きてきたから、100年生きてきたから、死ぬことに悔いはないと思っていらっしゃる方は少ないのではないかと思います。
認知症があるない、は関係なく、つらいものはつらい…。
がんにかかったことによるつらさというものは、年齢には関係がない、とひしひしと感じる今日この頃です。
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