(1)この社会は、お互いに依存していながら、実は分裂しているというのが真相です。
たとえば、戦国時代は、他国の領主だけでなく、下剋上といって、あわよくば主君の首まで狙いました。その後、秀吉時代に天下統一が進み、徳川氏になって封建社会が確立します。しかし、実態は、大名には参勤交代や普請などを負担させて経済的に疲弊させて押さえつけましたし、庶民には身分制度や寺請制度などで抑えていました。さらに、明治維新以降は、勝った薩長土肥などの官軍側が、軍事的にも経済的にも主導権を握って始まり、その後の発展を規定していきました。これは知られていることです。
ここで大事なことは、戦国時代の領主や秀吉、封建社会成立後の徳川氏、明治維新後の薩長などは、いずれも人ですが、こういう各時代の勢力争いのかたちは、この人たちが「学校での工作」のように頭で思いついたものではなく、各時代時代の社会の方がまとまろうとして、その人たちに「仮託したものだ」ということです。
社会は潜在的に力を持っていますが、自分では行使できないのです。たとえば、工場や札束は、いくらあっても、それだけでは利潤も利子も産めません。工場が働く人と合体されるとか、札束が工場建設や労働者を雇うことの使われたときにはじめて「潜在的にもっていた資本としての力」を発揮することができるようになりますが、それと同様です。社会も一定の社会関係があってその力を発揮することができるわけです。
では、社会が持つ力はどこから来るのか。いま結論だけですが、各時代の人々の生活基盤=衣食住、つまり経済社会です。
(2)社会は分裂していますが、「社会の力」が分散すると、戦国時代のように「乱れた社会」と見えてきます。しかし、それが、「一つのまとまりを持った力」となると「安定した社会」して現われてきます。
これは、社会の力を〔どういうふうにしてかということは別にして〕握るという点で、上の徳川時代でも、最近のイラクの「フセイン政権」でも同じです。
*フセインが暴君だったことはたしかですが、そして、アメリカは、核兵器の所有云々で確実な根拠もなくフセインを捉えて処刑してしまいましたが、いやならイラクの人々がみずから変える筈なので、押し付けるべきではありませんでした。小泉純一郎元首相も確かまだ反省の弁を述べていません。
社会〔人と人の衣食住のつながり、経済関係〕が力を持っていて、しかし、そのままでは不安定なので、自らまとめ上げようとする、これを誰かにゆだねるとその人が体現する人となり、制度化して一つの機構を作り上げます。それが国家で、つまり、社会が国家の形をとって現れてくるわけです。
にら
(3)ともかく、国家も自らの収入源を必要とします。
ここで、明治維新の直後に新政府はの収入源〔財政基盤〕を作った由利公正のパンフを紹介しておくことにします。
【コレクション 79】
大きさはB5判、8㌻です。B5判4枚分の横長の用紙を、二つ折りし、それをもう一度二つ折りするとできます。
全体は、
1㌻ 上掲
2~5㌻ 推薦文 佛教大学歴史学部教授 維新脇役人物伝の白眉
*この一部を下に載せました。なお、用紙に色がついています。
人と同様、どの政権もまず金、税を握ります。
公債は税の先取り。
5㌻ 由利公正(三岡八郎)の肖像写真
6~7㌻ 内容見本 由利公正略年表
8㌻ 目次
刊行案内 A5判 870㌻ 定価15000円(予価13000円)
平成28〔2016〕年11月 マツノ書店
以上です。
きょうは、ここまでです。
マドンナ
庭のスミレが好き・・・です
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