【スタジオリハーサルへ】
2回目のCBCホール。同じように客席へ行くのかと思ったら、受付後、出演者のみ別の場所に案内されて、もうそこで父母とは別行動になっていきました。予備知識が何もなかったものでしたから、さすがに不安になりましたね。あれから半世紀近くたった今、思います。あの時間帯、父母はどうしていたのだろう?と。多少リラックスして新栄あたりで過ごしていたのか?父母亡き今となっては、もうわかりません。
出演者用の通路沿いだったか、目立たないところに、CBCがテレビを始めた当初のテレビカメラが資料として置かれていました。大掛かりで古めかしいカメラに驚き、生意気にも、「こういう昔の機材なんかが一般公開されてみんなで見学できるような施設があるといいなあ」なんて考えていました。
今のCBCホールはどうなのでしょう?もう15年近くあのあたりには足を運んでいません。
話はそれますが、うちの子が小学生時代、何かの絵のコンクールに入賞して、展示施設がCBCのギャラリーだったので、懐かしくて足を運んだことがあります。でも、少なくともその時は、そのような施設はなかったように覚えています。歴史ある放送局なのですから、そういう施設も作ってほしいと願ってしまいます。
話がそれました。ホールに連れて行かれ、いろいろ担当の方が進行を説明されました。私は、もうこの時から、司会の石川さんとか、水谷先生はじめとする審査員さん、ゲストの狩人のお二人がいらっしゃるものだと思っていたのですが、そうではありませんでした。
【事件発生・曲が違う!!】
「とりあえず、皆さん、バックのバンドさんと一緒に音合わせをしておきましょう」
ということで、マイク前での立ち位置などを教えてもらいながら、一組ずつ歌っていきました。
私は、4番目当たりの出演順だったのでは?という記憶です。ところが…
なんだかさっぱりわからない前奏が流れます。曲調が明らかに違います。どこでどう歌い出せばいいのか、さっぱりわかりません。パニックになっていると、当然担当者が怒ってきます。
「何やってるんだ!?練習してきたんでしょ?」
もう1回前奏からやってもらうのですが、やはり何ともつかめません。自分が悪いのか、自分は音痴になってしまったのか?…でもしばらくして落ち着き、ようやく自分にも、「間違えているのは楽団側だ」と気づいてきます。
「『落ち葉』はそういう曲ではありません。」
楽団やディレクター側はそんなはずはない、という態度でしたが、これもしばらくして、本当に何らかの手違いで、まったく違う楽譜がバンド側に渡っていたということが分かってきたようです。
もちろん現場はプチパニックです。
「じゃあ、君はちょっと別室に来て。あとの子は音合わせとリハーサルを続けるよ!」
私は別室(と言ってもおそらくホール横の薄暗い空間)に連れられて行きました。
本番を前にして、私はどうなってしまうのだろう?出演させてもらえなかったら???など、何とも言えない不安な時間でした。
ギターを持った、バンドの方と思われる方が私のところにやってきました。
「で、本当はどういう曲だったの?」と、やさしく聞いてくれました。もうこの時の私は、「自分がしっかりしていれば、何ら臆することはない」の境地でした。
楽譜は、持ってきていなかったと思います。「小学校の教科書に載っている曲で」と説明しても、あちら様が持っているわけがありません。一般的にはほとんど知られていない曲なのです。「どんぐり音楽会の思い出 その3 たった一度の予選会」の時に述べた、コピーという言葉が頭をよぎります。おそらくその予選のあと、何らかの手違いが生じたのでしょう。
偉そうなこと言いますが、この時、自分に多少の楽譜の心得があったことが幸いしました。
この時私は一生懸命その方に歌って聴かせ、楽譜上どういう音の動きなのか、速さやリズムはどうなのか、などを楽譜用語を交えて伝え、何とか曲の流れを理解していただきました。
あの時、自分に楽譜の心得がなかったら、私は本当に出場できなかっただろうと思います。私は当時ピアノも何も音楽の習い事をしていなかったので、私の音楽のお手本は学校の音楽の授業だけでした。
音楽が本当に好きだったので、習ったことをもとにして楽譜を読んだり、知識を付けたりしていました。それを家でハーモニカで吹いたり、リコーダーで吹いたり。鍵盤楽器は家にありませんでしたが、高学年になって、その頃世に出始めたばかりの「鍵盤ハーモニカ」なるもの(当時4000円)で楽しんだり。
それが、窮地を、とりあえずは救ってくれたのです。
ギターを持った方は言ってくれました。
「ありがとう。ごめんね、こちらの手違いだったみたいで。お詫びに、何かできることある?」
とのことですので、
「あの、狩人さんのサインいただくこと、できますか?」と、ダメ元で聞いてみました。すると、
「わかった。本番後、特別にプレゼントするね」
何ともありがたい話でした。当時人気絶頂の狩人さんのサイン。
引っ越しを重ねた我が家で、今、どこにあるのかわからないのでお見せできなくて恐縮ですが…もし見つかることがあったらアップさせていただきますね。
浮かれていた私でしたが、そうです。本番撮影は、すぐそこまで迫っていました。
2回目のCBCホール。同じように客席へ行くのかと思ったら、受付後、出演者のみ別の場所に案内されて、もうそこで父母とは別行動になっていきました。予備知識が何もなかったものでしたから、さすがに不安になりましたね。あれから半世紀近くたった今、思います。あの時間帯、父母はどうしていたのだろう?と。多少リラックスして新栄あたりで過ごしていたのか?父母亡き今となっては、もうわかりません。
出演者用の通路沿いだったか、目立たないところに、CBCがテレビを始めた当初のテレビカメラが資料として置かれていました。大掛かりで古めかしいカメラに驚き、生意気にも、「こういう昔の機材なんかが一般公開されてみんなで見学できるような施設があるといいなあ」なんて考えていました。
今のCBCホールはどうなのでしょう?もう15年近くあのあたりには足を運んでいません。
話はそれますが、うちの子が小学生時代、何かの絵のコンクールに入賞して、展示施設がCBCのギャラリーだったので、懐かしくて足を運んだことがあります。でも、少なくともその時は、そのような施設はなかったように覚えています。歴史ある放送局なのですから、そういう施設も作ってほしいと願ってしまいます。
話がそれました。ホールに連れて行かれ、いろいろ担当の方が進行を説明されました。私は、もうこの時から、司会の石川さんとか、水谷先生はじめとする審査員さん、ゲストの狩人のお二人がいらっしゃるものだと思っていたのですが、そうではありませんでした。
【事件発生・曲が違う!!】
「とりあえず、皆さん、バックのバンドさんと一緒に音合わせをしておきましょう」
ということで、マイク前での立ち位置などを教えてもらいながら、一組ずつ歌っていきました。
私は、4番目当たりの出演順だったのでは?という記憶です。ところが…
なんだかさっぱりわからない前奏が流れます。曲調が明らかに違います。どこでどう歌い出せばいいのか、さっぱりわかりません。パニックになっていると、当然担当者が怒ってきます。
「何やってるんだ!?練習してきたんでしょ?」
もう1回前奏からやってもらうのですが、やはり何ともつかめません。自分が悪いのか、自分は音痴になってしまったのか?…でもしばらくして落ち着き、ようやく自分にも、「間違えているのは楽団側だ」と気づいてきます。
「『落ち葉』はそういう曲ではありません。」
楽団やディレクター側はそんなはずはない、という態度でしたが、これもしばらくして、本当に何らかの手違いで、まったく違う楽譜がバンド側に渡っていたということが分かってきたようです。
もちろん現場はプチパニックです。
「じゃあ、君はちょっと別室に来て。あとの子は音合わせとリハーサルを続けるよ!」
私は別室(と言ってもおそらくホール横の薄暗い空間)に連れられて行きました。
本番を前にして、私はどうなってしまうのだろう?出演させてもらえなかったら???など、何とも言えない不安な時間でした。
ギターを持った、バンドの方と思われる方が私のところにやってきました。
「で、本当はどういう曲だったの?」と、やさしく聞いてくれました。もうこの時の私は、「自分がしっかりしていれば、何ら臆することはない」の境地でした。
楽譜は、持ってきていなかったと思います。「小学校の教科書に載っている曲で」と説明しても、あちら様が持っているわけがありません。一般的にはほとんど知られていない曲なのです。「どんぐり音楽会の思い出 その3 たった一度の予選会」の時に述べた、コピーという言葉が頭をよぎります。おそらくその予選のあと、何らかの手違いが生じたのでしょう。
偉そうなこと言いますが、この時、自分に多少の楽譜の心得があったことが幸いしました。
この時私は一生懸命その方に歌って聴かせ、楽譜上どういう音の動きなのか、速さやリズムはどうなのか、などを楽譜用語を交えて伝え、何とか曲の流れを理解していただきました。
あの時、自分に楽譜の心得がなかったら、私は本当に出場できなかっただろうと思います。私は当時ピアノも何も音楽の習い事をしていなかったので、私の音楽のお手本は学校の音楽の授業だけでした。
音楽が本当に好きだったので、習ったことをもとにして楽譜を読んだり、知識を付けたりしていました。それを家でハーモニカで吹いたり、リコーダーで吹いたり。鍵盤楽器は家にありませんでしたが、高学年になって、その頃世に出始めたばかりの「鍵盤ハーモニカ」なるもの(当時4000円)で楽しんだり。
それが、窮地を、とりあえずは救ってくれたのです。
ギターを持った方は言ってくれました。
「ありがとう。ごめんね、こちらの手違いだったみたいで。お詫びに、何かできることある?」
とのことですので、
「あの、狩人さんのサインいただくこと、できますか?」と、ダメ元で聞いてみました。すると、
「わかった。本番後、特別にプレゼントするね」
何ともありがたい話でした。当時人気絶頂の狩人さんのサイン。
引っ越しを重ねた我が家で、今、どこにあるのかわからないのでお見せできなくて恐縮ですが…もし見つかることがあったらアップさせていただきますね。
浮かれていた私でしたが、そうです。本番撮影は、すぐそこまで迫っていました。
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