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songbookの自己回顧録

「教えて!goo」で見つめてきた自分自身と、そこで伝えられなかったことを中心につづってきましたが、最近は自由なブログです

闇の隠しすぎの弊害か?論ずる必要性を感じる凶行

2016-08-03 06:47:52 | ライフ
相模原の特別支援施設をめぐる世にもまれな凶悪事件に、ずっと心を痛めております。

私事から始めます。

亡母の家系は血筋が複雑で、この歳になっても掴みきれないぐらいなのですが、その筋のいとこの姉がやや重い知的障がいで、施設でもう数十年生活しています。
今回の事件の舞台になったような施設に似ています。


時に里帰りがあり、私が10歳ぐらいの時、そのいとこ家族がうちに遊びに来ました。
姉はいとこの兄にフォローされてきょうだいで会話をしていたのですが、障がいというものを知らなかった私は、「このお姉さんはどうしてこんなに変なことをお兄さんに聞いているのだろう」と感じ、「そんなこと自分で見てみればいいじゃん」と、何気なく突っ込んだのですが、周りの反応がおかしい。
若干さびしそうな雰囲気になり、私には何のことかわかりませんでした。

いとこ家族が帰ったあとで母に説明を受け、失礼なことをしてしまったということが何となく理解できました。
気さくな姉ですが自立面が弱く、あれから数十年、同じ施設での生活を続けています。冒頭のような事情で、ここしばらくは会う機会がありません。
いとこの兄はハンサムでやはり気さくな好青年でしたが、どういうわけか結婚のご縁がなく、すでに還暦を過ぎてしまいました。
今思い返すと、もしかしたら姉のことがどこかで引っかかっていたのかも、と思います。現在はいとこ宅の親も体調が悪く高齢で、兄がずっと保護者代わりとなっております。

主に知的方面で、障がいを持った人のことについて、昔は今よりもかなり偏見が強く、実態も知らされていなかったと思います。
現在は学校でも特別支援学級と通常学級との交流が盛んになり、小さな子たちでも、昔に比べればかなり「いろんな立場の仲間と一緒に生きている」ということを学ぶ機会が増えているとは思います。

私自身は上にあげたようないきさつから、小さい頃から、施設は自分からそれほど遠い存在のものとは思っていませんでした。

しかし、大人になって訪問する機会が何度もあり(いとこのところではなかったのですが)、一言で「障がい」と言ってはいけない、ほんとに多種多様な状況があることが分かりました。
一人一人違うのです。



今回の事件、もちろん他人事とは思えない怖さや怒り、やるせなさなど、いろんなことを感じましたが、
あまりのことに、とても整頓できそうにありません。
でも、この事件は、それでも少し整頓しなければならないという必要感を感じました。

いわゆる「闇」と言われる部分や、知っておかなければならないことなど
いくつか述べたいと思います。

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