ららみ先生のピアノのおけいこ

自閉症でも、発達障がいでも、
両手でピアノが弾けるんです♪
ピアノが弾けるって、素晴らしい!

十三夜~お月様いろいろ

2016-10-13 | 日記

スーパーへお買い物に行きましたら
“今宵は十三夜”と書いてあり、側にお供えのお団子が売られていました。

いわゆる“十三夜”とは、中秋の名月(十五夜)の後に巡ってくる十三月夜のことで、
旧暦9月13日のお月見のことを言うのだそうです。

十五夜を愛でる習慣は、中国から伝わったものですが、十三夜は日本独自の風習で、
秋の収穫祭のひとつではないか、と考えられているそうです。

確かにこの季節は、稲刈りも終わり、栗や柿などの収穫もたけなわで、
心からの感謝を、お月様に捧げるのに相応しい、清々しい季節です。

ちなみに十三夜は、晴れる確率が高く、“十三夜に曇り無し”と云う言葉もあるそうです。

 

ところで先日、月の満ち欠けを調べていましたら、月の形による名称が沢山あって、ビックリしました。

普段使う名称だけでも、新月、三日月、満月~

もう少し詳しくなると、
新月、上弦の月(旧暦7日頃)、十三夜月、十六夜(いざよい)、立待月(旧暦17日頃)、下弦の月(旧暦23日頃)、有明月(旧暦26日頃)、三十日月(みそかづき)~等々
16種類以上の名称があるのだそうです。

このように、月の名称の多さを見做しましても、日本人の、月を慈しむ気持ちが表れているように思います。

自然を愛でる習慣のある我々日本人は、いにしえの昔から、月を仰ぎ見ながら生活していたのだな~と、改めて思うのです。

さて、毎年晴れる確率の高い十三夜だそうですが。。。
残念ながら、今年の十三夜は曇りかな~?  さて、どうなのでしょうね?
今夜は私も、ゆっくり空を眺めてみたいと思います。

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自閉症児M君の不思議⑬耳は傾けるけど~

2016-10-12 | 自閉症児 M君の不思議

5年生のマサ君は、いつも礼儀正しくてよい子です。

時々、ピアノに飽きてくると「もう、帰ります!」と言ったりするのですが、
 
「そうなの~?   じゃあ、さようなら。」と私が言うと
 
「やっぱり帰りません!」と言って、またよい子になります(笑)
 
ただ、最近の1ヶ月は、ガソリンスタンドのことで頭がいっぱいのようで、
1回弾く度に、ガソリンスタンドの話しをし始めます。
 
例えば~「マサ君、もう一度、右手を弾いてください。」と私が言うと、
 
マサ君は 「エネ◯スに行って、レシートもらったんだ~」
と言って、ガソリンスタンドのレシートを、大切そうに眺めたりしています。
 
私は「あら~そうなのね~ 良かったね~。  じゃあ、右手を弾いてね。」
と、サラリとかわします。
 
6月22日放送の、あさイチ(NHK)で、
ABA(応用行動分析)の先生が仰っていたのですが、
療育の場合、主導権を譲らないことが大事なのだそうです(6月23日の記事)
 
今までの私は、つい生徒さんの話しに耳を傾けていました。 
しかし、耳を傾けると、生徒さんは、どんどんと自分のペースに持っていこうとします。
 
一旦軌道が外れてしまうと、元に戻すのは非常にエネルギーが要りますので、
大きく軌道が外れないうちに、こちら(指導者)のペースに戻すのが大事なのだと思います。
 
とはいえ、生徒さんにとって、レッスンの合間のちょっとした息抜きも大切な気がします。
 
そのあたりの匙加減が難しく、まだまだ修行中だな~と思う、ららみ先生です。
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自閉症児 M君の不思議⑫和音の聴音

2016-10-11 | 自閉症児 M君の不思議

マサ君は非常に耳が良く、12種類の和音を、聴き分けることが出来ます。

ただ、8月2日の記事にも書きましたが、同じドミソの和音でも、
1オクターブ違うと、全く違う和音に聴こえるらしいのです。

ですので、ここ数週間は、1点ド(真ん中のド)より1オクターブ下の場所で、
和音の特訓をしていました。

数週間特訓すると、M君は1オクターブ下でも、12種類の和音を聴き分けられるようになりました。

「マサ君、すごいですね。  やっぱりマサ君は天才ですね。」

と褒めると、マサ君は本当に嬉しそうなお顔で

「はい。僕は天才です!」と答えてくれるのです(笑)

そこで今度は、1オクターブ上の場所での特訓です。

するとマサ君は、今度はすんなりと12種類の和音を聴き分けてくれました。

もしかしたらマサ君は、1オクターブ下で和音の特訓をした時に、
「場所が違っても、ドミソは存在するのだ。」と云う事を、認識出来たのかもしれません。

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青い蜜柑

2016-10-10 | 日記

2週間程前から、スーパーの青果売り場には、青い蜜柑が出回っています。

私は、青い蜜柑が大好きなので、最初に店頭に並んだ日に買って、味と香りを楽しみます。

酸っぱくて香りの高い蜜柑を食べて、最初の秋を感じる~
と云うのが、私の長年の習慣なのです。

私が子ども時代を過ごした九州地方では、9月に運動会がありました。

走ることが苦手で、出来れば駆けっこなんか出たくないな~と思っていた私にとって、
運動会は緊張の連続で、ちっとも楽しくなんかなかったのです。

そんな運動会ではありましたが、お弁当の時の華やぎと安堵感だけは懐かしく思い出します。

お昼時は、どこのお弁当からも、ご馳走の匂いと共に青い蜜柑の香りがして、
あ~良い匂い!~と思ったものです。

そんなことを思い出しながら食べる青い蜜柑は、殊の外美味しくて、
今日もまた、青い蜜柑を口に運ぶのでした。

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つばらつばら

2016-10-09 | 読書、文学など

夫が京都に出張に行き、“つばらつばら”と云うお菓子を、お土産に買ってきてくれました。

“つばらつばら”とは、面白い響きのお菓子だな~と思って箱を開けますと、
中に栞が入っていました。

『浅茅原 つばらつばらにもの思へば 故りにし郷し思ほゆるかも
(あさぢはら つばらつばらに ものもえば ふりにしさとし おもうゆるかも)  万葉集 巻三

万葉歌人・大伴旅人が、太宰府長官として九州に赴任した折に、“つばらつばらに”
すなわち、“しみじみと”物思いをしていると、故郷の都のことがあれこれと浮かんでくる
と詠んだ歌です。
“つばらつばら”は、しみじみと、心ゆくままに、あれこれと、という意味の万葉のことば。』

 と書いてありました。

少し調べましたら“浅茅原”は“あさつばら”と読む場合もあるらしく、
“つばらつばら”を導く、枕詞として使われているそうです。

大伴旅人は、太宰府に赴任した時は、既に50代後半。
故郷には、もう帰れないかもしれないな~と思う日々も、きっとあったはずです。

その思いを歌に詠んだのですが、“つばらつばら”  と云うリズミカルな言葉を使うことにより、
全体の印象が、悲観的になり過ぎず、程よい情緒が醸し出されているように思います。

また、浅茅原を“あさつばら”と読んだ場合は、歌の調べが一層リズミカルになり、
ちょっとしたユーモアすら感じられます。

このように、強い望郷の思いを、美しい調べにのせてサラッと詠むなんて、
大伴旅人って、何て素敵!!

京都のお菓子“つばらつばら”を前に、万葉の世界に思いを馳せた、秋のひとときでした。

あっ!そのお菓子は本当に、つばらつばら(しみじみ)と美味しくて、心に染みたのでした。

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