いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

追憶 娘 ①

2005年12月01日 08時37分38秒 | 娘のエッセイ
 朋子様の訃報を聞き 悲しみで申し上げる言葉も見つかりません
   美しくお元気だったお姿を偲び心から
   ご冥福をお祈りいたします        ○○浩子様

 朋子様の ご冥福を心より お祈りいたします
   泪出づ あまりに 若葉まぶしくて    ○○昌子様

 花あやめ 若き笑顔を思い出す
   お悔やみ申し上げます          ○○ゆき様


 
エッセイのお友達からのお悔やみ文です。享年34歳でした。




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女の厄年 90編

2005年11月12日 06時53分29秒 | 娘のエッセイ
 三十三歳は女の厄年である。三十三という数字から、「散々な目に遭う」など
とも言われているけれど、一方ではじょせいの三十三歳の身体は変化しますよ、
用心しなさいという意味の厄年だとも言われている。

 私は現在、満三十三歳。川崎大師流の厄年だと、今年は後厄。数で言えば、も
う厄は終わったことになる。まぁ、どちらにしても、本厄が終わりホッとしてい
るというのが本音だ。なにせ、私の三十二歳から三十三歳にかけては、ほんと
に、ほんとに、厄年だったのだから。

 厄年の幕開けは、突然の腹痛に始まった。三十二歳の十一月の出来事だっ
た。痛みの部位と痛み方から、これは婦人科に違いないと思った私は、翌日か
かりつけの婦人科医のもとを訪れた。

とこるが、あろうことか、この医師は逃げたのである。私の話を聞くと、診察
もせずに「これは内科の病気だから内科に行くように」と。そしていつもの薬
を二週間分処方した。

 医師は恐らくこの時点で気付いていたに違いない。自分の診療ミスを、病気
の見落としを。なぜなら、私はこの婦人科に5年以上も通院していたのだから。
結局、私はやはり婦人科の病気との診断を内科で受け、別の総合病院の婦人
科を紹介された。

 子宮筋腫であった。それは、治療方針の選択をする余地も無いほどの大きさ
だったらしい。その場で入院日と手術日の予約を入れた。手術は年明けの1月
と決まった。

 不安だった手術も無事に済み、術後の経過も順調だった。そして何より良か
ったのは、同室の人達に恵まれたことだ。やることのない、お互いの痛みのわ
かる四人もあっまれば、賑やかなことこの上ない。

なんと退院間近には、若い看護婦さんから「この部屋はホテル?」と言われる
くらい、不思議に楽しい入院生活だった。

 そして三十三歳の九月、私は当時の彼と結婚をした。いぜんからそんな話は
あったのだけれど、延ばし延ばしにしていた私が「手術をしても筋腫予備軍だ
から、子供が欲しかったら早くつくるように」との主治医の言葉で(変な話だ
が)思い切って決めたのだ。

 その二ヶ月後に妊娠。けれどこの小さな命は、この世の光りを見ることもな
く、流れてしまった。たったの六週間で。切迫流産と診断された時には、もう
危ない状態だった。

まだ胎児とも呼ばれない胎芽のまま、初めての子は遠くに行ってしまった。と
ても、とても悲しい経験だった。けれども、経験は財産になる。私はまたひと
つの想像力を手に入れた。

六週間で死んでこれほどの悲しみなら、出産直前なら、また直後なら、あるい
は何年か育った後に亡くしたのなら、どんな悲しみにおそわれることだろうと、
今ならそう考えることができる。それから、周りの人が自分の体験を話してく
れたことも大きい。

 流産経験者は多かった。二度も流産した人もいた。こういう悲しみの時、何
よりも心に届くのは、多くの慰めの言葉より、同じ体験をした人の回顧だとい
うことも知ることができた。

 その貴重な経験を心にそっと納め、そして今年は良い年になることを私は願
おう。

 
 追記 娘は、この流産を原因とする「じゅうもう癌」で享年34歳の人生に幕を
    閉じてしまい、残念で堪らない。来年は七回忌。
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桜 89編

2005年11月03日 11時23分39秒 | 娘のエッセイ
 毎年この時期になると、人々は桜・サクラと騒ぎ出す。そして薄桃色の小さな
花が開き始めると、決まって皆が言う。「桜って本当に綺麗ね。桜はやっぱりい
いよね」と。その様子は、まるで日本には桜の嫌いな人はいないかのようで、何
か不自然なものを感じる。

 だって現に私は、どうして桜だけが皆にそんなにすかれるのかわからない。確
かに、あの薄桃色は控え目だし、群れて咲いている桜の花々を遠くから眺めれ
ば、まるで絵画のようだと感心する。でも、それだけだ。

私の大好きなトルコキキョウを手にした時のようにワクワクもしないし、ハッピ
ーな気分になることもない。
 ああ、こんなことをこっそりおもっている私って、日本人的ではないのかな。

 他の人は、桜のどこがそんなに好きなんだろy。小さくて華奢な薄い花びらと、
淡い色合い、そして散りぎわの良さ、といったところだろうか。ああ、まるで男
が好む女の条件みたいだ。

 そういえば、心理学者の女性がある本で書いていた。女の子は植物で(つまり
根っこがあり、水平移動ができない=行動の自由が無い)、男は動物(足があ
り、自分の意思で水平移動が出来る=行動の自由がある)という対照性が、
文化のなかに深く根を下ろしていると。

 日本の男の多くは、はっきりした主張やライフスタイルを持って自立した女性
よりも、自分より弱く依存的な女性のほうが、扱い易くて好きのようだ。

その上、女性の価値は若さにあると固く信じている。そんな男達の願望を、見事
に桜は叶えている。

桜は花の可憐さを思いっきり見せたかと思えば、その少しあとには、はかなくも
潔く散り、目の前から消える。桜は、まだ透き通るような薄桃色の花びら姿のま
ま、花としての命を終える。

 つまり、桜を女をして置き換えたとすると、彼女は女として一番容貌が美しい
時期には惜しげもなくその姿態をさらし、男達を楽しませる。そして、老いが襲
ってくる前に怨みごとのひとっも言わずに、男の前から一陣の風と共に消えてく
れるといった具合だ。

 桜が咲き初めてから二週間近く経った。春というには強すぎる日差しのなか、
ひらひらと桃色の小さな花びらが風に吹かれ舞い踊る。桜が散る様は物悲しく
て、ふと、私の足も止まる。
 
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何ができるのだろう 88編

2005年10月30日 07時29分11秒 | 娘のエッセイ
 私がSさんの家まで送って行った時、「あなたは、僕にとって神様みたいな人
だったのに、もうダメだ」とSさんが言った。それは、彼女が、私と個人的に逢
いたいと言ったのを私が断ったことに対しての言葉だった。

 私は障害者地域作業所に勤めている。そこには二十代から七十代までの心
身に障害を持った人達が通所している。Sさんはその利用者のなかのひとりで、
六十歳になったばかりの男性だった。

 彼は私にとって数人利用者のうちのひとりであり、他の人達と違った扱いを
した記憶はないし、実際にないはずである。けれど、彼は言う。「あなたの
一言があったから、こんなに元気になれたのに」と。

でも、本当に私には彼に何を言ったのか記憶にない。何を言ったのか教えて欲
しいと言っても、彼は教えてはくれない。しかたがないので、恨めしそうな目
をしている彼を自宅のドアの前に残し、その日、私はそのまま戦場へと戻った
のだった。

 地域作業所には、多くの人達が関わっている。利用者の父母や、ボランティ
ア。しかもボランティアのなかでさえ、その立場はさまざまだったりする。

多くの人達が関われば関わるほど、各々の考え方や方針をひとつにするのは
難しい。結局、一番声の大きな人の考え方で運営方針が決まってしまったりす
るのが、ここ地域作業所なのだ。

 例えば、私個人的には、件のSさんと外でお茶をして話をすることぐらい、
したって構わないと思っている。また、家に遊びに来たいという利用者にした
って、来てくれても困らないし、食事をしましょうよ、と誘ってくれる利用者
の奥様とも、出掛けたっていいじゃないか、と思う。

 でも、だめなのだ。職員は、基本的には個人的に利用者と関わってはいけな
いことになっている。それは、皆、平等でなければいけない利用者に差別が生
じるからという理由からだ。いったい本当の平等ってなんだろう・・・・。

 勤務時間を終えても、利用者と職員が「故人」対「個人」で向き合えること
はないなんて。人によって違いが生じたっていいじゃない。ひとりひとりの障
害が違うように、各々望むことだって違うのだから。

ただひとつ言えることは、利用者の人達のことを好きにならなければ、お世話
なんてできないということ。いくら「仕事だから」と割り切ったとしても、
同性であれ異性であれ、嫌いな人間の排泄介助までするのは、しんどい。みん
なのことを同じように好きなのに変わりはないのだ。

 本当の福祉は、プライベートに踏み込んだ時から始まる、と私は思っている。
それぞれのニーズにあったことを提供できなければ、本当の福祉にはならない
と思う。でも、待てよ。私は本当は「福祉」などという堅苦しいことをしたい
訳ではないのかもしれない。きっと好きな人達が喜ぶ顔がみたいだけなのだ、
ただ単に。

 S さんに、私は言った。「sさんと外で会えるのは、きっと私が今の職場を
辞めたあとだね」と。

 毎日、奥さんにガミガミ言われ、愚痴ばかりこぼされるSさんにとって、親子
ほども年の離れた私と会話することが、何よりのストレス解消であり、リハビリ
であるとするなら、いつかその願いを叶えてあげられたらいいのにな、と私は
つくづく思う。


 ◎入院中の娘に利用者からの手紙

   ○ ○○さん土日くみんさいがあるので
     はやく△△の家にきてくださいね。
     まっています。
     あした△△にきてくださいね。

   ○ ○○さんはやく△△の家にきてくださいね。
     わたしもさみしいので△△の家でいっしよに
     わたしと○○さんでいっしょに
     やりましようね。
     はやく○○さんにあいたいです。

 上記は、いずれも二十歳以上の利用者からの娘に対する激励の手紙です。

娘(長女)の妹は、ヘルパーの資格を取得して様々な介護を経験していた。
ある人からは、続けて来て欲しいとその娘さんからも懇願されたり、何もし
なくてもいいから一緒にいて欲しいと言われたり人それぞれに介助の内容、
要望は違っていた。結婚後も暫くどうしてもと言う人の介助を続けていたが
妊娠のためその仕事を辞めることになり、介助継続が出来ないことの納得を
得るのに大変苦労していた。
 妹も、長女の勤務先での催しにはよく出かけていた。ヘルパーの仕事に
携わったのは、その影響からかもしれない。確認はしていないが。今、その
妹は6ヶ月の女の子と楽しく暮らし、その成長振りを毎日、メールでコメント
付き写真を送り続けてきている。 
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露のように 87編

2005年10月11日 09時55分29秒 | 娘のエッセイ
 『今、自分の周りにある全てのものを捨てて、何処かへ行ってしまいたい』
 ふと、そんな感情が心の奥底から沸きあがってくることが、ままある。
家庭にも、友人にも、恋人にも何も告げずに、突然ボストンバックひとつだけ

を抱えて、ふらっと遠い北の小さな町へ行ってしまったら、どんなにかいいだ
ろう…… でも、なぜ、北なのか。

 やはり『情緒』だろうか? しっとりとしていてほんの少し暗さを含む町、
そんな町となると、やっぱり「北」になる。

 その町の小さな寂れた飲み屋で働き、その日その日だけの為に生きる。
そして、幾つかの刹那的な恋を繰り返し、その果てにひとりの子を身籠る。
子供と、子供の父親と、私の生活は、あくまでも根無し草でーきっと、子供

にとっては最悪の環境なんだろうけれど、それでも三人で、ふわふわした他
人に束縛されない毎日を楽しんでゆける。そんな生き方もいいのではないか。

 いや、積極的にしてみたいとさえ思う。こんなのこと言うと、今の生活があ
ればこそ、そんな呑気なことが言えるんだ、などと怒られてしまいそうだが。

 けれど、落ちるところまで落ちるーそんな中にこそ、ある種の美を感じてし
まうのだ。『恰好良く生きたい』。いつも、私はそう思っている。恰好良くとは、
流行を追いかけて時代の最先端をいくことではなく、私の考えるダンディズ
ムに忠実に、ということである。

 たとえば小さなことでは、人の視線が無くとも背筋は伸ばしていよう、とか。
そういった小さな事柄の積み重ねがあって、いつか恰好良く生きていけた
ら…… と願っている。

 まわりの流れに逆らわずに生きてきて、気が付いたら白寿だった、という
人生も幸福かもしれない。でも、ほんの一瞬だけでいい。

 キラリと光る時があって、あとはすうっと消えてゆく。そんな露のように儚い
人生のほうが、私はうんといい。たとえ、その生き方が他人には不幸に見え
てしまったとしても……

  追記         人を恋うる唄(森進一)
          露地にこぼれた 酒場の灯り
          しみてせつない 放浪れ唄
          おまえがそこにいるならば
          リラの花咲く町もいい
          汽笛きこえる 港もいい……

 これは私の持ち歌の一つ。娘はこんな人生をも考えていたようだ。親とし
て全く知らない心の内。このエッセイは、娘自身の自分の人生を予感させ
るような文脈だなーと今では感じている。.享年34歳。
 娘は「花」を愛し、特に「トルコキキョウ」をこよなく愛でていた。住職
にお願いして、戒名の中に「花」の一文字を入れていただいた。

 ダンス仲間のY・Kさんから頂いた詩

   ○ 慟哭の尽きる 日々なし
              気高くも
                トルコキキョウを
                      愛でし人ゆえ

   ○ 現世に あまたの珠玉
              ちりばめし
                トルコキキョウの
                      麗しの精    
       
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歳月 86編

2005年10月09日 18時02分12秒 | 娘のエッセイ
 早いものだ。あと数ヶ月もすると、私の年令は三十代に突入する。
 まだ私がティーンエイジャーだった頃、三十歳の女の人というのは遥か彼方の
存在だったというのに。

そしてその頃の私は、毎日とても刹那的に生きていたくせに、どこか生きること
にウンザリしていて、私はきっと三十歳になる前にこの世からいなくなっている
はずだと信じていたのに。

 もっとも、三十歳を目前にした今、生きることに意欲的かというと、そういう
わけではない。十代の頃とはまた違った意味で、人生にウンザリしている。

 そして”三十五歳になったあかつきには、この世から消えていたい”などとい
うことを懲りもせずに考えていたりするのだ。

 私がいつまでたっても結婚や出産に積極的に取り組めないのも、心の奥底
に、常にそういった思いがあるからなのかもしれない。

「人生ってなんだろう」などという青臭いことを言うつもりはない。けれど、
流れゆく歳月というやつは、決して私の味方にはなってくれない。歳月は私に
とって恐怖でしかない。

 減り続ける脳細胞。弾力を失ってゆく素肌。そして何より怖いのは、私の目
から鱗を落としては、現実を突きつけてくることだ。歳月は、私に冷静な観察
眼をくれる。

ごく当たり前に見えていた事柄に、多くの?マークがつき始める。両親の夫婦
関係に。自分の家族関係に。

 そして様々な人たちの憎悪に、嫉妬に、思惑に。そして、それらをすんなり
と受け止められる程、私は強くないし、リアリストでもなかった。そのたびに
私は脅え、歳月をうらむ。

 歳月は、神様がくれた最高のプレゼントだと人はいう。どんな辛い事柄も
過ぎてゆく時が忘れさせてくれるからという。

 いつか、私にも歳月が最高のプレゼントだと思える時がくるのだろうか?
それとも、歳月が私の味方になってくれる時は、永久にこないのだろうか…。

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冬の季節 84編

2005年10月08日 08時25分51秒 | 娘のエッセイ
 ”永すぎた春”という言葉がある。この場合、春とは結婚のことをさす。とい
うことは女の子が女性になり、面白可笑しく毎日を過ごし、様々な男性と自
由に交際するシングル時代は、冬の季節だというのだろうか……。

 皆が平等に学生だったり、OLだった時代を経て、二十代最後の年の今、
女友達たちの人生行路はバラバラになった。

結婚しているか否か、子供がいるかいないか各人各様である。そんななか、
私同様シングルを通しているK子が、そっと私に言った。

「ひとりだけ、先に結婚しないでね」。K子が結婚、というよりウェディングド
レスに憧れているのは前から知っていた。 でも、本当は憧れではなかっ
たのだろうか。

自分勝手で我が儘な理由から、結婚を拒否し続けている私と違って、K子
は周りの友達が結婚する度に、取り残されたような淋しい思いをしていた
のかもしれない。

 先日、美容院で中年の美容師の女性と話をした時、彼女が言った。「結
婚して子供を産まなくちや、女として価値がない」と。

その時、私は頭から火を吹きそうになった。彼女には不妊に悩む女性の気
持ちや、K子のような女性の気持ちを分かろうとする気はまったくない。

彼女の持論からすれば、結婚してなきゃ女として冬、結婚しても子供がな
ければ女として冬、というわけだ。まったく、冗談じゃない。こういう差別を
して平気な顔をしている彼女の心こそ、うすら寒い冬だ。

 ある時、会社の三十代の男性が言った。「愛情が同情に変わることって
あるんだよな」。こんなふうに夫に言われる妻にとって、結婚は春のように
暖かだったろうか?

「自分勝手な人生はやめて!」と叫ぶ妻の心は、冬のように凍えているの
ではないだろうか?

 シングルが冬なのではない。結婚が冬なのでもない。冬の心を持つ女性
こそ、女として冬の季節を生きているといえはしないか。

 だからこそ、気持ちよく生きている限りなら、他人がなんと言おうと、季節
は当人にとって心地良い春なのだ。
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今年の冬も土鍋は売れる?83編

2005年10月07日 08時39分45秒 | 娘のエッセイ
 暖冬である。けれど今の日本人にとって、今年の冬は別の意味で、寒いので
はないか?去年の冬、残業が減って家で食事をする男性が増えた為、味噌、
正油、そして土鍋がとても良く売れた。

安くて美味しいモツ鍋の異常人気も、記憶に新しい。そのような社会現象から考
えてみると、一家揃っての食事、家族団欒が思い浮かべられるが、どうも内情
はそれほどホノボノとした温かなものばかりではないらしい。なぜなら、日本の
離婚率は上昇しているという事実があるからだ。

 休日の増加、勤務時間の短縮によって、夫が家にいる時間が増えた為に、
主婦の間に「主人在宅ストレス症候群」なる症状が生じているという。

そう言えば、消防士の男性と結婚した友人Yは、何日かに一度、夫が夜勤で家
にいないから、息抜きができていいよ、と言っていたっけ。もしかしたら日本
の家庭は、バブルの間に夫がいなくて初めて円滑に作動するようになってしま
っていたのかもしれない。

 また、一時期騒がれた「成田離婚」の影に、現在もうひとつの「成田離婚」が
存在するという話もある。

それは末の子が成田からハネムーンに発ったのを見届けた後、両親が離婚を
するケースのことだそうだ。それも言い出しするのは、ほとんど妻側である
らしい。

 ところで、鍋が売れても会社の忘年会などで、鍋料理の登場回数が少ないの
は、友人K子の説明によれば「嫌いなおじさん達と、ひとつの鍋をつっくのな
んて、ヤじゃん」というのが理由らしい。

 それならば、デパートで家庭用の土鍋が売れているうちは、まだまだ家庭安
泰ということか。もし、鍋料理がひと冬中食卓に登場しなかったり、キッチン
から土鍋が消えていたりしたら、それは赤信号だ。

 さて、ことしの冬も、土鍋は大きな顔をしてデパートのカウンターに山積みさ
れるのだろうか? もし、売れなかったとしたら……たぶん、日本の今年の離婚
率は、去年よりまた上昇するに違いない?

『講評』
 例によって貴女の「文明評論」まことにエスプリとユーモアがあって結構でし
た。小道具として土鍋が出てくるこれがいい。なんともいえぬおかしさのある品
物です。
 中心テーマは夫と妻のこと、男と女のこと、このテーマも一貫して貴女が取り
組んでいること。この路線は、この世の中のいちばん基本的なテーマ。ですか
ら、トコトン書き続けて下さい。
 会社の会合ではナベは出ない。嫌いな人間と囲むのはイヤ、だかららしい。
してみると、家庭用の「ナベが売れる」ということは、夫と妻が依然として好き
同士である。ということの証明。これはまことにうまい。

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ハンカチ 82編

2005年10月06日 09時05分05秒 | 娘のエッセイ
 三月十四日が近づくと、デパートのハンカチ売り場が『ホワイトデーにはキャ
ンディ』から脱皮した人達で、にわかに混雑しはじめる。そう、義理チョコの

お返しとしてハンカチを贈るのだ。が、今年の傾向としてはショーツを贈るとい
うのがトレンドらしい。

 デパートの下着売場の一角に設けられたコーナーに並んでいる絹のショーツ
を、若い男の子やおじさん達が平気で買ってゆく。男の意識も変わったものだ。

 ところでこのハンカチ、重宝する贈り物のひとつだ。
まず、贈り物の脇役として役立つ。例えばきれいなペパーミントグリーンのシャ
ッツをプレゼントとして用意したとする。それだけでは少し物足りない。

かと言って薔薇の花を一本添える、などというキザなことはしたくない。そんな
時こそハンカチを登場させよう。シャツと同系色の大判のハンカチ、ムードの合
う靴下も揃えると一層いい。

 グリーンの濃淡で揃えたシャッ、ハンカチ、靴下を箱の中に上手に配置して
ラッピングすれば、シャツだけの贈り物よりうんと洒落たものになることうけあ
いだ。

ついでに、リボンや中に敷く紙も同系色や反対色にするなど、ちょっと凝れば
なおさらGOOD!

 もちろん、主役としてもハンカチは大活躍だ。ちよっとしたことのお礼に、
ご挨拶がわりに、ただ意味もなく気にいったものがあったから、などというのも
ハンカチの価格が手頃で、贈っても貰っても負担にならないものだからだろう。

そんな時も、包装をデパート任せにしないで自分で楽しみたい。ハンカチを透
明のセロファンで飴のように包み、捩じった両端をリボンで結ぶ。ワイングラス
にハンカチを入れてラッピングする、などなど。

 ただハンカチにも、問題点がひとつ。便利なだけにありふれたものになりや
すいことだ。

 だから本当は早くハンカチの贈り物から卒業したいのだが、まだしばらくの
間難しそうだ。

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欲しい縁は青い鳥 81編

2005年10月05日 10時19分45秒 | 娘のエッセイ
 『燃えつき症候群』『パーフェクトとウーマン』など本屋に並ぶその種の本を
見ると、つい手に取ってしまう。(招来の私みたい)という気持ちで。

 ひとつは生まれたとき、すでに様々な縁とつながっているのだろうが、私の
場合、仕事と、とても深い絆で結ばれているようだ。私は、いつも行く先々で
気が付くと必ず一番忙しい立場になっている。(あー、不公平だ)。

そう思いつつもまた、いつの間にか自分で仕事のテリトリーを広げてしまう。
忙しいのだからやらなきゃいいのに、見逃すことが出来ずに手をつけている。
まったく墓穴を掘るとはこのことだ。

 「もう、過労死も近いかな?」とぼそっと呟くと「そんなの嫌だ」と、隣で
一緒にテレビを見ていた彼が叫ぶ。けれどそんなことを言いつつも、実は私
は仕事が大好きなのだ。

だから(仕事をするには結婚なんて邪魔クサイだけだ)と、今まで思っていた。
が、本当の私は、私を理解し受け止めてくれる男性が側にいてくれないと、
その好きな仕事さえ満足にやっていけない程弱かったのだ。

 最近になって、やっとその事実を受け止められるようになった。今までは認
めたくなかった。ずっと、ずっと強い女でいたかった。だって、サクセスが欲し
かったから。

けれど、もし家庭をもってそこで安心感を得られるなら、その上で仕事を好き
なだけしてもいいなら、結婚ってものも悪くはないかもしれない(ああ、そんな
縁が欲しい。欲しいョー)と今さら言っても、神様は「ほらよっ」と簡単にくれ
たりはしない。

 やっぱり自分で探すしかないか……ガックリ落ちる肩(と思ったらただの
なで肩だった)。

 でも、待てよ。『青い鳥』の結末は何だったけ? もしかしたら、私の青い鳥
も手を伸ばせば届く場所にいるのかもしれない。

 ところで、サクセスと結婚を天秤にかけたらどちらに傾くだろうか? サクセ
スと愛なら両立させるのは簡単だけれど。

 その昔、選択を追られた先輩方にぜひ聞いてみたいものだ。

 (注) 文中のサクセスは、「しっかりと手ごたえとやり甲斐のある、しかも
     生涯かけて時めくような何かを生み出すもの…地位、栄達などか」と
     私はその意を汲み取りました。

 このエッセイの「青い鳥」の心境は何歳の時は分からないが、娘は32歳の時
に結婚式を挙げた。その時に紹介された娘のプロフィール。

 生年月日: 1965.9.23  血液型 A型
 趣  味: ◎読書・文章書き(エッセイほか)・絵画鑑賞
       ◎テディベアコレクション&テディアベア作り
 経  歴: 高校卒業後、医療秘書の学校へ行き、病院の受付のおねえさんと
       なる。その後180度転換し、電気設備会社に働く。そこで
       CADやトレースを覚え、道路図面と建築図面に囲まれた日々を
       送る。そして次の職場で○○君に出逢う。(ビビビッはなかったが
       何故か今日の日を迎える)
        現在は障害者地域作業所に勤務。

                披露宴の演出について
 本日、私たちがケーキカットした生ウェディングケーキ。中に一粒だけドラジェ
が入っています。”幸せのおすそわけ”の意味も含め、ドラジェの入ったケーキ
に当たった方に、ささやかですがプレゼントを用意しました。
どうぞ、たのしみながらお召し上がり下さい。

        遠い雲
     あなたと歩いていると
     もろもろのものが
     相寄ってくる
     山も鳥も
     遠い雲までも
     近づいてくる
     天地一ぱいの
     広々とした
     豊な心になってくる
               坂村真民詩集より

 長女は平成12年5月に亡くなったが今も、長女の部屋には、結婚式当日の
スケジール表などが立ち見姿鏡に貼ったま残されている。
そして持って行くものとして

1 白のストッキング
2 ドレス用下着
3 司会者ヘ渡す 紙
4 二次会用くつ(はいていってもいい)
5 宿泊用セット
6 ポヂ(前もって母へ)
※化粧はせず、スキンケアのみ。髪は完全に乾かしておく……
 
 

 
  
  
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心もサービス? 80編

2005年10月01日 08時30分39秒 | 娘のエッセイ
 今年も二月十四日という一日が、無事に過ぎ去った。バブル全盛期には嵐の
ような一日だったが、今年は不景気のせいで春一番程度の勢いだったようだが。

 ところで、一体いつの頃からこのバレンたタインデーは、チヨコレート配布
デーに変わってしまったのだろう?恐らく、義理チョコなどという言葉の発生が、
諸悪の根源だ。

 私の十代のの頃も、似たようなものはあった。けれど、そこには、それなりの
気持ち、ラブではないけれどライクだよ、といったものが込められていた。

彼の友人に渡すチョコ、学校の先生に渡すチヨコ、それは義理なんかじゃなか
ったはずだった。

 だけど今は……。二月十四日の為のOLの出費額の平均は、幾らぐらいなの
だろう? 私が会社に勤めていた時は、”福沢諭吉よサヨウナラァ”の世界であ
った。

前日までに、まるでバーゲン会場のようなデパートの洋菓子売り場で奮闘し、当
日は大きな紙袋を抱えて満員電車に乗り込む。

擦れ違う女性同士、相手の紙袋の大きさに目を走らせ、『あなたもなの、大変
ね』という無言の言葉を交わしているように思えたのは私だけだろうか。

 バレンタインの伝説さえ知らないであろう人が多い日本では、この日をいっそ
のこと、チョコサービスデーと改名したらどうだろう。チョコをサービスし、
その日だけ愛情もサービスする。

もちろん、そのサービスには元手がかかっているから、サービスに対する
サービス、つまりお返しは必要不可欠である。

 ああ、でも虚しい。それは虚しすぎる。お金によって、時間も若さも愛情?も
サービスしてしまう女の子が身近にいた。彼女は美しくなかった。

サービスで心をあげることでデパートのようになり、自分のカラーを無くしてし
まっていた。

 バレンタインに限らず、『愛情をこめて』のメッセージ付きプレゼントを、私は
絶対にサービスなんかであげたくない。

 何事も、サービス過剰は時代遅れなのだ。
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女はコスモス 79編

2005年09月30日 16時40分16秒 | 娘のエッセイ
 最近、化粧という言葉の代わりに、”コスメティック”とい言葉がよく使われ
る。

 この”コスメティック”という言葉は、英語の”コスモス”からきているのだ
そうだ。コスモスは、宇宙とか秩序、調和を意味する。女性の顔が宇宙だな
んて、素敵な発想。

 それにしても、どうして日本語の”化粧”という言葉には『化ける』とか
『壁ぬり』などという、あまり良くないイメージばかりが浮かぶんだろう?日本
人は昔、化粧することに対して、ネガティブな考え方をしていたのだろうか。

 もしそうでも、今は違う。様々な雑誌は、新発売の化粧品の情報を掲載し、
『奥二重を魅力的に見せる方法』とか、『完璧リップメイク』などのテクニック
を紹介している。

ここで不思議なのは、二重まぶたを綺麗に見せるテクニックというものが、
絶対に掲載されないことである。二重まぶたにテクニックは必要ないと言い
たいのか。

しかし、私は「そんなことはないっ!」と言いたい。二重で大きな目も、それ
なりに悩みがあるのだ。なんたって、目が大きいとクマがすぐ出来てしまうし、
ゴミもはいりやすい?本当は、切れ長の涼しげな目が素敵なのに。

 でも、この間”浅ヤン”に出演していた、就職がきまらないので美容整形を
したという女の子は、顔のパーツを全部とっかえして「とても嬉しい」と言って
いた。

彼女は、過去の写真をどう始末するのだろう。気になる。ところで、コスメテ
ィックという言葉には、”上べだけを飾る”という意味もあると、英語辞書に
書いてあった。

 宇宙人が人をひきつけるのは、うわべが美しいだけでなく、奥行きがあっ
てミステリァスだからではないだろうか。

 美しさは女性の永遠の憧れだ。だから、”上べだけを飾る”ほうではない。
”コスメティック”を、女達はきっと、追い求め続けたいに違いない。
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紅葉…その後 78編

2005年09月29日 08時19分01秒 | 娘のエッセイ
 テレビの三分間くらいの番組に『京都がすき』というのがある。最近は、くれ
ない色に染まった紅葉と京都の風景を見せてくれる。石庭と紅葉。静かに流
れる水と水面を流れる紅葉。

絶妙のコンビネーションに言葉を飲み、ただ黙って見入る私。ああ、なんて上
手い演出。『京都がすき』というよりも『京都に行きたい』という気持ちにさせ
るこの番組、提供はJRだったはず……

 紅葉は、”秋が来たよ”という自然界からの美しいメッセージだ。それを一番
身近で受け止めたい、という気持ちは誰でも同じだろう。けれどそういう人間
達の行動を、自然は本当に喜んでいるだろうか?

 紅葉で有名な日光や箱根。それらは例年どおり、大勢の人で賑わったよう
だ。数多くの乗用車といっしょに。

 ”紅葉が見頃”とニュースで放送された途端、下り方面の高速道路の渋滞
は何十キロにも及び、帰り道も赤いテールランプが数珠つなぎになり、時な
らぬ夜景を演出してしまう。

彼らは一体どれほどの排気ガスとそしてゴミを紅葉した山々のなかに残して
きたのだろうか。

 先日、紅葉の賑わいが過ぎた箱根に行ってきた。私達の駐車した車の真
横に空き缶がふたつ、恐らく前に止まっていた車が、出発する前に助手席の
ドアを開けて地面に置いたのだろう。

すこし離れた場所に大きなゴミ箱があるにも関わらず、である。以前は、
春・秋の行楽シーズンと言えば、家族はお弁当に水筒を持って出掛けたもの
だった。

しかし外食産業の発達とコンビになどの普及の為か、お弁当はできあい、飲
み物は缶ジュースと言うケースがかなり増えている。買った弁当の容器は
その場でゴミとなる。持ち帰ることはまずない。

 行楽シーズンとは、人々が喧騒を自然に持ち込み、ゴミを自然に残して行く、
そんな季節になってしまったのだろうか。

 紅葉の色が鮮やかに見えるのは、水流や周りの自然がすがすがしい脇役
だからこそ、なのである。

 追記・今日はその箱根へサークル仲間とのダンス旅行である。車を連ねて…
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トキメキは食べ放題 77編

2005年09月28日 07時55分04秒 | 娘のエッセイ
 『興味を持つことには、とりあえず飛び込んでみる』、そんな、かなり乱暴な
やり方で、これまでの私はものや人に触れてきた。その様な私を見て、友人
達は『ホント、いろんなことをやるねェ』と半ば呆れたように言ったり、
『幾つになっても好奇心が旺盛なんだから』と苦笑したりしている。

 けれど、そんな経験の中で得たものは少なくない。出会った魅力的な方々、
新しい知識。それら全てに、私はその度に恋をしてきた。本当に様々な対象
に。そして、今は魚の『マンボウ』に片思い中である。そう、あの頭しかない
ような可愛らしい魚だ。

 ある日、京急の駅のホームにマンボウのポスターを見つけた私は、それが
欲しくて欲しくてたまらなくなってしまった。(どうしょう……) と数日間悩
んだ末、思い切って駅員さんに声をかけた。

 「あの、マンボのポスター、一枚いただけませんか?」と。
私の唯一の武器である? 笑顔が功を成したのか、今、真新しいマンボウの
ポスターはメデタク私の部屋に飾られている。

 そのポスターが来てからしばらくの間、「マンボウが飼いたいよー」と友人相
手に電話口で騒いでいた私だが、「飼える訳がないだろう」と冷たく言われた
為、それは諦めた。(当然だよね)

 ところが、代わりに今度は水草にも恋をしてしまった。アクアリウムを始めた
くってウズウズしている私。もう、友の会に入会してしまおうかと思っているく
らいだ。

 本当に私って落ち着かない。あっちもフラフラ、こっちもフラフラ。だから、
この道だなんて一つに絞れない。心が、もっとトキメキを頂戴って言うから。

さしずめ今の私は、トキメキという実をいっぱいつけた木の並木道を気に入った
木の実をもぎ取りながら、ツーステップで進んでいるって感じだろうか?

 だから、まだまだ私の周りは、トキメキ食べ放題なのだ。
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女の日 76編

2005年09月27日 08時39分34秒 | 娘のエッセイ
 三月三日は雛祭で女の子の節句、である。
ところが、なんと昔は五月五日も、実は『女の日』であったというのだ。

 和歌山県西牟婁郡三川村では、五月四日の夜を「女の屋根葺き」といい、
ヨモギ・カヤ・菖蒲を屋根に投げ上げ、この夜を『女だけの夜』だ、と称して
いるのだそうだ。

そしてこの伝承は、神奈川県の津久井郡にも残っているという。また昔の人々
の、一日の終わりは日没…という考え方からすると、五月四日の夜は事実上、
五月の五日ということになるらしい。

 ところで五月五日が、なぜ現代は男の節句になってしまったのか、という過
程は実に興味深い。

 現代の雛祭の日である三月三日にこの行事をする習慣は、江戸時代、綱吉
将軍の時代に固定したそうである。もっとも(旧暦)三月三日は、今年の農耕
生活が始まる前に、人々が見の汚れを紙人形に移して、それを川や海に流して

身を清めるという、一種のみそぎの行事がもとであった。それがいつしか立派
な人形に変わり、人形は女の子の玩具、ということから自然と三月三日は女の
節句となったのだという。ここでいよいよ登場するのが、可愛らしい、子供のよ
うに我儘な男達である。

 三月三日は女の節句、五月五日も女の日、となると「俺達、男の日はどうな
るんだよぉ」と悔しがったらしい。そこで菖蒲を『尚武』にひっかけ、男の日と
変えてしまった。

 そして今、男女同権を建前とする現代になって、男の日は「子供の日」と名を
変え、祝日となったのであるが…今『男女平等』を掲げ、別姓を! 仕事を!と
叫ぶのはもっぱら女性だが、昔は逆だったのか。なんとなく小気味良い話では
ないか。

 近代、年々立派になっていった雛人形。それも住宅難から、最近は縮小傾
向にあるようだ。

 雛人形を飾り、白酒を飲むのも良いが、こうしたお祭りの由来を子供に話して
やれる若いママ、果たしているのだろうか。
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