いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

春(出産シーズン)に思う…75編

2005年09月22日 08時33分26秒 | 娘のエッセイ
 真夜中にノラ猫が赤ん坊のような鳴き声をあげる。テレビの番組では、動物
達の産卵や出産シーンが増える。そういえば油壺のマリンパークでも、ペンギ
ンが卵を温めていたっけ。

 そんな新しい生命誕生の春の季節に、ひとつの命が抹殺される場面に出会っ
た。
 小さな産婦人科の待合室。高校生と思われる女の子が、友人の少女と共に
現れた。看護婦さんがその友人に言う。「手術の間、待っていてあげて頂戴。
なんせ電話番号さえも書いてくれていないんですから」

 冷房の直撃を受けてから、ここ五年余り通い続けている産婦人科の医院。
そこで私は何度、このような場面に遭遇しただろう。中絶の同意書に嬉しそう

にハンコを押す若い男の子や、手術室に向かう二十歳前後の女の子達。或
いは、四人目の子供を中絶する中年女性。

 少子化・少産化という時代の流れの中で、こうして多くの命が葬られてゆく。
産む産まないの選択権は女性にあるべきだと思うが、何故産めないのか、
産みたくないのかという原点をーーもっと真剣に考えてもよいのではないだろ
うか。

昨年末に出産をした友人は、産休をとる際、上司に「産休のあと職場に復帰
した女性はいない」と言われたという。

 実際、私の勤務する会社でも、妊娠した女性達は皆、退職していく。それは
女性の側に問題があるというよりも会社の制度が整っていないからであり、
経営者が出産という出来事を受け入れる寛容さがない為だ。

 人間には、出産シーズンがない。故に出産に関する制度は、ケースバイ
ケースの応用力と弾力性に富んだものでなければならないはずなのに、
現実は違う。

そんな現実を目の当たりにすると、ああ、いっそのこと人間にも出産シーズン
があって、その期間中は”女性は無条件で休んでヨシ”なんてことになったら、
少子化も防止出来るし、女性の労働力確保にもなるのにな、と思う。でもそれ
は夢物語。

 さて、私の友人の職場復帰は成功するのだろうか?結果が判るのはまだ
先のことである。
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辞書にない文字 74編

2005年09月20日 08時54分54秒 | 娘のエッセイ
 ボーナスシーズンを前にして、私は『メデタク』元職場である○○を退職した。
むろん『寿退職』ではなく、自己都合退職であるが、それはまさしくメデタイ退
職なのだ。

 私が社長の弟から紹介され、入社したのが今から二年半前。その二年半の
間に退職した正社員、その数なんと十七名。バイトも合わせれば二十名を超
える。

それだけでも、どんな会社か想像がつく。しかしこの会社の本当の異常さは、
あまりにも世間の常識とかけ離れすぎていることだった。

 以前、会社の目標は「国内のトップお目指す」ことだった。(「お」は会社
概要そのまま表記)ところが自社ビルを所有した途端、目標は「世界進出」
へと飛躍する。

まぁ、なんてお気楽なこと! 身の程知らずとはまさにこの会社の為にある
ような言葉である。

 この目標を達するべく、お気楽社長は皆が深夜にまで及ぶ仕事量をこなし
ている。だから社員のタイムカードのアウト欄には、午前二時とか一時という
数字が平然と並ぶ。女子社員でも配慮はない。自転車通勤する二十歳そこ
そこの女の子を、深夜ひとりきりで帰らせる。

 社長曰く、「『こんな遅い時間にひとりで帰るのは怖い。だから早く仕事を
お終わらせよう』と思わせる為にひとりで帰らせるのだ」だと!アホとちゃう
か。

アホ社長は○○会のバッシングにも怯まず、自分は最高の社長だと信じ
ている。

 水面下ではひそかにこれからの退職する予定者の順番が、春までびっし
りと決まっているというのに。予定者は五名。残るは会社役員ばかりである。
それでも辞めていく奴が悪いと思い込んでいる社長。

 社長の辞書には「反省」の文字がない。このままゆけば彼は社員に見捨
てられるだけでなく、ようやく建てた砂の上の城と共に自滅してしまうに違い
ない。

 不景気のなか、会社の倒産を社員が願う会社、その会社の辞書に未来と
いう文字はない。
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お洒落の秋なのに 73編

2005年09月19日 10時19分00秒 | 娘のエッセイ
 秋といえば『お洒落の季節』、と思うのだが、猛暑のなごりかこの暑さでは、
シックに装うなどという気も失せる。いや、理由は暑さのせいだけではない。

なぜだか最近は、ウィンドーを飾るファッションに心がときめかないのだ。今
までは春夏用にドカン、秋冬用にドカンと給料やボーナスをつぎ込んできた
のに、今年は、まだブラウス一枚とプチスカーフを一枚買ったきり。まったく
私らしくない。

 思い当たることの一つは、バブルな時代にバブルなOLをしてしまったこと
か。むろんシャネラーなどにはなれなかったが、ちょっとばかり背伸びをした
金額の服を買うのが当たり前になっていた。

それらの服は五年経った今でも立派に活躍してくれているが、今の給料では、
もうその金額は出せない。つまり欲しい服は高すぎる、でも安い服はいまいち
ダサイ。

おまけに、さし当りは以前買った服で間に合う。だから買わない。というわけ
なのだ。

 また、勤務地の環境というものも影響が大きい。会社の最寄り駅である○○
駅周辺というのは、言わずと知れた飲み屋街。とにかく超ガラが悪い。

ちょっとばかりお洒落をしていると会社帰りが怖いのだ。オジサンの視線を
浴びるぐらいならまだマシで、いきなり手を握られたり、声を掛けられたり、
はたまた十代とおぼしき少年達の痴漢に遭ったりと、まったくロクナことがない。

だから本当は会社が許してくれるなら、ジーンズにシャツという格好で通勤した
いくらいなのである。

 そしてトドメは、会社の男達の色気のなさだ。前の会社では、お互いの服装、
アクセサリー、香水(男も香水をつけている奴がいた)などを随時、批評しあっ
ていたのである。これは実に良いことで、お洒落に力が入った。

 結局、刺激してくれる相手がいず、環境にも恵まれない私はひとつの道を選
んだ。それは、通勤服と休日服をきっちりと分けることも。もちろん、メイクも
ファンデーションから変える。

 だから、今はメイクで秋をしている。
 でも、会社用メイクはオールシーズン用だ。
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遺稿集に

2005年09月17日 06時14分14秒 | 娘のエッセイ
 娘の遺稿集の巻頭の言葉は



    書きとむる 言の葉のみぞ

                  水茎の

                     流れて止まる 形見なりける

       新古今和歌集  按察使公道(あぜちのきんみち)


 (意味) 今となっては、折々に書き留めておいた言葉だけが、いつまでも
     消えない筆の跡としてこの世界に残りとどまっている、あの人の
     形見なのだな。

       ◎ 言の葉「葉」と「水茎」の「茎」は縁語
       ◎ 水茎は筆跡の意。水を暗示し、その縁で「流れてとまる」
         と続ける。
       ◎ 言……こと
       ◎ 水茎…みずぐき
       
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曼珠紗華 72編

2005年09月16日 06時48分47秒 | 娘のエッセイ
 『ゴンシヤン・ゴンシャン 何処へゆく。赤い、お墓の彼岸花』と北原白秋も
うたっている曼珠紗華。この花は有毒植物としても有名で、球根を食べて死ん
だという話しもあるという。

 私が子供の頃、隣の天理教の庭に曼珠紗華が咲いていたが、『毒だから触っ
てはダメ』と母に言われていた。しかし、あの放射状にすっと伸びた真っ赤な細
い花びらとおしべ、葉の無いすっきりとした姿。あの美しい花に、その頃の私は
触れたくて触れたくて仕方がなかった。

 最近知ったのだが、この花は別名『死人花』ともいうそうだ。墓場によく咲く
からというのが理由らしいが、『それはあまりじゃないの!』と、私は曼珠紗華
に代わって抗議をしてあげたい。

 ところで、曼珠紗華の毒は『リコリン』というもので、毒であるにもかかわら
ず、実は去痰・鎮咳作用があるのだそうだ。だから、医薬品にも使用されてい
るとのこと。

『綺麗なバラには棘がある。綺麗な曼珠紗華には毒がある』
けれど、私はバラも曼珠紗華も大好き。そして、それは人に対しても同じ。
つまり、一癖ある人間が好きなのだ。

 それゆえに、私のまわりは、きれいなだけの女性も爽やかさだけが売りもの
の男の子も、肩書きをひけらかすだけの人間もいない。みんな多彩なパーソナ
リティあるいはオリジナリティで勝負する。

 彼や彼女達は、私にとってのカンフル剤であり、ビタミン剤である。そして、
彼らにとっても私がそういう存在であったらなら、とても嬉しい。危険だけれ
ど、やっぱり毒は必要だ。でも、それが時として最も役に立つ薬に変化する毒
ならば……の話だけれど。

 私だってただの毒は嫌いだし、醜いだけの毒を持つ人も、やっぱり素敵では
ないからお付き合いしたいとは思わないもの。


 ◎「曼珠紗華」の一般的な読み方は、「まんじゅしゃげ」であるが、ときに
  「まんじゅしゃか」と読まれる方もいる。
   辞書には、「まんじゅしゃ」は梵語でManJusaKaの略とある。

 ◎ 「ごんしやんごんしやん」うたいながら行く
            畦の道えのころ草を手に振りながら
        平成15年11月16日産経新聞掲載
                門真市 吉田哲雄氏作
]
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心のビタミン

2005年09月13日 11時12分23秒 | 娘のエッセイ
 近頃、「軽うつ」という言葉をよく耳にします。落ち込み状態が続くと、ひょ
っとして「うつ」じゃないかと不安になったりします。こうした心の状態は、実
は栄養状態と無関係ではないのです。例えば、イライラはカルシウム不足
だとか、ストレスにはビタミンCがいいというのはよく言われえることですが、
ビタミンB群も大切な心の栄養素です。
 B群の働きの1つは脳のエネルギー代謝です。ブドウ糖がきちんと脳のエネ
ルギーになって、精神の安定をもたらします。不足すると、興奮しやすい、落ち
込みやすい、不安感をもつ、怒りっぽい、物事に過敏になるーなどの状態を引
き起こすといわれています。もう1つの働きは神経伝達物質の合成です。神経
伝達がうまくいかなければ、イライラや落ち着きがなくなる、記憶力が低下する
といった症状が現れたりします。
 一方、ピルを服用したり、ホルモン補充療法を受けていえる女性に副作用と
して現れるうつ状態、また月経前や出産後に現れるうつ状態などは、主にB6
の不足が考えられます。B6は気分の調整に関与するといわれるセロトニンの
合成に必要な栄養ですから、不足すると気分の調整能力のバランスを欠くわけ
です。
 ビタミンB群はB1,B2,B6,B12,葉酸、ビオチンなど8種類ありますが、これら
は相互にかかわり合って働くので、単品よりB群として取った方が、それぞれの
効果も高くなります。
 平成17年9月7日産経新聞(NPO日本サプリメント協会 後藤典子)に
サプリメント・リポートとして掲載されたものです。

 娘もビタミンを題材にエッセイを書いていますので、ビタミン繋がりでリポート
を掲載してみました。娘の「美人になるビタミン」は第37編として投稿しま
した。
 「…最近、”美人をつくるビタミン”はビタミン剤である、という…」と。
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好きな花は、なぁに?71編

2005年09月10日 08時24分06秒 | 娘のエッセイ
 九月は私の誕生日だった。そこで私は淡い期待を抱きつつ、さりげなく事前に
好きな花の名を彼に教えておいた。

しかし、当日待ち合わせた場所に現れた彼は、「本当は花束も持ってこようと思
ったんだけど、名前を忘れちゃってさ」と言い、私の淡い期待は無残に打ち砕れ
てしまった。

「きっと、トルコ桔梗という名前が難し過ぎたんだよ」そう自分に言い聞かせ、
自分を慰めるしかなかった。

 好きな花のアンケートを見ると、必ず一位は「薔薇」である。確かに薔薇はい
い。花の女王様だ。蕾から始まり、咲き切るまでの間、どの時期をとっても、
その姿は魅力的だ。

そしてその後も、ドライフラワーやポプリにすれば、いつまでもその姿や香りを
楽しむことが出来る。これだけ一本で楽しめる花は他には無い。

 それに、『好きな花は何?』と男性に聞かれた時、薔薇と答えておけば無難だ
からという理由もあるのではないだろうか?

 薔薇は男性にとって、覚えやすいし、わかりやすい。結果としてプレゼントして
貰う確率も自然と高くなるはずである。

けれど花好きな女性なら必ず、『薔薇もすきだけれど、本当に好きな花は……』
という花があるに違いないと私は思う。

 三年程前のこと。私が通っていたフラワーデザイン学校で、ウェディングショー
なるものを催した。場所は川崎のプラザである。

数名の生徒がドレスを着て、生徒の作ったブーケを手に舞台を歩くという構成
で、私もそのモデルの中の一人であった。

 その時、私が持ったブーケは、トルコ桔梗のブーケと、デンファレと百合のブー
ケの二種類だった。そして後でその時の写真を見て、面白いことを発見した。

同じはずの私の笑顔が、トルコ桔梗のブーケの時のほうが断然にいのだ。たか
が花の種類一つで笑顔の質が変わる私も私だが、やはり花の力は凄い!と感
心する出来事であった。

 世の男性方も、女性の特上の笑顔を見たいのなら、その女性の本当に一番
好きな花を探り出し、プレゼントしてみたらいかが?


『講評』

  800字エッセイの見本のようでした。ちょぴりしゃれた、決して大げさでは
 ないが、心のメロディが鳴るようなモチーフ、書き出しから結びまで、必要にし
 十分で、ぴたりと決まった構成、そして、いつもながら申し分のない文章表現。
 よく出来ました!
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花束の極意 70編

2005年09月09日 08時07分38秒 | 娘のエッセイ
 花束を誰かにプレゼントする時、どんなふうにオーダーしていますか?
 花屋の店先で「五千円で適当にお願い」って頼んでしまうのでは?そんなつま

らない注文の仕方なんて勿体ない。もっと楽しく注文してみませんか。大丈夫。
花の名前をまったく知らない男の方だって、素敵な花束を作ってもらうことがで
きます。

 まず、プレゼントする相手のことを思い浮かべて見ましょう。例えば、奥様。
彼女はどんな色が好きだったかしら。そう、紫色が好きな方……だったら白・
薄桃色・桃色・紫のグランデーションで作ってもらったらどう?

特にスイートピーなど透明感のある花を使って小さくまとめてもらえば、ふんわ
りと優しい雰囲気の愛らしい花束ができるはず。

 奥様の好きな色なんて知らない。でも、確かガーべラが好きだったな……なん
て方。だったら花屋に揃っているがーべラの全ての色を使ってもらってみても
面白い。きっと賑やかで楽しいものに仕上がるはず。

 あら、どちらもお手上げ? それなら奥様のことを店員に話しちゃいましょう。
こんなエピソードを聞いたことがあります。ある日、花屋にひとりの男性がやっ
てきました。

 彼は店員に一枚の写真を見せて言いました。「この女性にプロポーズする時
に渡す花束を作って欲しい」店員の女性は、気合を入れてその花束を作ったと
のことです。粋なお話。

 さて花束といえば、ウェディングブーケがありますね。今やブーケの政策は花
屋の仕事。或いは新婦自身や、その友人知人が作ったりすることも。

でもこのブーケ、昔西洋で男性が女性に求婚する時に渡したもの。男性は彼女
の家に行く途中、野の花を剣で切って持って行きます。それを貰った女性は、
OKの意味で花束の中の花を一本取って、男性に渡しました。

 それが現在、新郎が胸元につけるブートニアに。ただのお飾りに思えるブーケ
にも、実はこんな由来があったんですね。
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愛という名の落とし穴 69編

2005年09月08日 08時40分03秒 | 娘のエッセイ
 我が家の愛犬、柴犬の北斗は今年十三歳のおじいちゃん犬だ。いたって元気
な彼の一番の悩みは”肥満”であり、その肥満の原因は私の両親の”甘やかし”
にある。

 十三年前、まだ生後一ヶ月そこそこの子犬の頃から、北斗は家族中の愛情を
いっぱい受けて育ってきた。けれど、ここ数年の両親の北斗に対する甘やかし
は目に余る。

 両親がそれだけ年をとり、孫がわりに可愛がっているのかもしれないが、ねだ
られればねだられただけ『ご褒美』をあげてしまう両親を見ていると、”両親は、
犬のことを本当に思っているのか”と、疑ってしまう。

 愛犬の健康を思いやるよりも”喜ぶ姿が見たい” ”ねだる仕種が可愛いから
与えたい”そんな誘惑にまけてしまうらしい。

北斗のでっぷりした腹部を見ていると、彼は両親の愛情という名を借りた自己
満足の犠牲者(犠牲犬)ではないかと思ってしまう。

そしてそんな愛犬の姿と、なんとなく重なって見えてくるのは、過保護に育てら
た子供達の姿だ。

 最近、十代の少年達の犯罪が相次いで発生している。彼らは、親から、さまざ
まなものを十分に与えられている。住居や食事、物欲を満たすものの、そして自
由な時間。

それなのに『ただムシャクシャした』という理由から犯罪を起こす少年。そして、
子の、一番身近にいながら親は理解できない。「こんなに子供を愛しているの
に」と、親は思うかもしれない。

けれど一度『愛』という名の目隠しを付けてしまうと、真実がみえなくなってし
まうことがありはしないか。

 目隠しをしていたから、目の前の落とし穴に気付かなかった。けれど何かの拍
手に目隠しが外れた時、子供は自分が大きな落とし穴に落ちていたことに気付
いた。

子供はその穴から出ようともがいた。でも、出ることは難しかった。何故ならそ
の落とし穴は、愛という大義名分を借りた、大きな大きな穴だったから。



 
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愛があれば… 68編

2005年09月07日 08時11分23秒 | 娘のエッセイ
 『愛があれば年の差なんて』この言葉にウンウンとうなずけるのは、恐らく年の
差のある恋をした経験がない人と、そのハンディを乗り切った人だけだろう。

 愛があれば…なんて嘘だっ!と思ったことのある人は少なくないはず。なぜっ
て年齢差のある恋愛には、必ずと言っていい程、障害がオマケについてくるから
だ。
 一 世間の目。男性がうんと上、あるいは女性が年上。両方とも世間の目は冷たい? 
 二 育った世代のちがいからくる意志の疎通の難しさや誤解、興味対象物の違い。
 三 年が離れているからこその甘え、甘やかし、過度の要求。
 四 体力の差。気力の差。

 本当はもっとあるだろうが、書き出したらきりがないので「その四」でやめてお
こう。

 近頃、年上の女性というのが流行りらしい。男性週刊誌の記事や漫画、テレビ
ドラマでもよく見かける。この間見たドラマもそうだった。その中の台詞がジンと
くる。デートの別れ際、女性が男性に向かって言う。

「恋は嫌いなの。必ず終わりがくるから。それを知っているのが私とあなたの年
の差」

 恋は風船みたいだ。勢いよく空気を入れて入れすぎるとパンと弾けてしまう。
けれど、弾けないようにと少なめに空気を入れては口を結んでおいても、月日が

経つと風船は自然にしぼんでゆく。結局恋というものは、いつかは必ず消えてし
まうものなのかもしれない。

 恋が風船なら愛は何? 愛は水銀じゃないだろうか。ひとかたまりの水銀は、
バラバラになっても何かの拍子にちょっとでも触れると、たちまちまた一つのか
たまりになれる。愛ってそれに似ているんじゃないのかな?

 生涯、男女間の水銀は一つだけでもいいけれど、風船は両手いっぱいもって
いたい。だから、いくつになっても風船をふくらますことが出来る感性と、ふくら
ませてもらえる魅力を持ち続けていたいと思う。
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ブランドとバック 67編

2005年09月06日 08時22分11秒 | 娘のエッセイ
 男性が女性を見る時は、顔やボディに最初に目がいくのに、女性が女性を見
る場合は、まず始めに相手の持ち物を見るのだということを、以前雑誌で読ん
だことがある。

 そう指摘されれば、”なるほど”と思う。確かに私も、見知らぬ女性を見るとき
には、その姿形よりも、持ち物に目を止めることが多い。

靴を見て、バッグを見て、時計・アクセサリー類をチエックし、”総額幾ら”と素
早く計算してしまったりすることも、ままある。

そうした小物のなかでも、特に目がいきやすいのはバッグ類だ。特にブランド物
のバッグというのは、目につきやすい上、値段もガラス張りで判りやすい。

お洒落にあまり興味のない友達さえ「シャネルのバッグを見ると、つい気になる」
というくらいなのだから。

 ところが、このシャネル、値段は高級だけれど、実はチープシックなものだそう
だ。バーバー寺岡さんによると『本来なら高級な背中の皮を使うかわりに、お腹
の伸びる皮を使用している。だから補強の為に、ステッチがかけてあり、ヒモも
クサリで補強してある』のだとのこと。

 これに対しルイビトンは、欧米では上級クラスの持ち物で、旅行に例えるなら、
ホテルは一流、移動も専用車、専属の鞄持ちがいて…といった具合だそうだ。

そういえばビィトンが有名になったきっかけは、タイタニック号が沈没した際、引
き上げられたビィトンのトランクから出てきた品物が、まったく痛んでいなかった
からだ、という話も聞いたことがある。

 私達世代は、二十代前半からビィトンを初めとするブランドの洗礼を受けてき
た。あれから十年たった今、私のビィトンのバッグは箪笥の奥で埃をかむってい
る。

 見栄の象徴のあのマークが恥ずかしくなってしまったのだ。今や高校生ブラン
ドとまで言われているシャネルやビィトン。

 私がビィトンのバッグを持つことはもうないだろう。見栄で持っていたバッグは、
もういらない。人と同じバッグじゃつまらない。
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妖怪 66編

2005年09月05日 07時57分28秒 | 娘のエッセイ
 今、私と彼が夢中になっているもの、それは、巷でも大人気のUFOキャッチ
ャーなるゲームである。ルールは簡単、ただボタンを押してシャベルを動かし、
ぬいぐるみを取るだけだ。

いろいろな種類のぬいぐるみがあるが、中でも私達のお気に入りなのは、ウルト
ラマンシリーズとゲゲゲの鬼太郎シリーズ。数ある戦利品のうちで、かわいいくっ
て仕方がないのは、苦労して取ったウルトラマンと一反もめんちゃん。

特に一反もめは、難易度五の強者である。ゲゲゲの鬼太郎シリーズには、他に
も目玉おやじや砂かけばばあ、子泣きじじいなど多々あるが、どれもその名に

似合わぬオチャメな顔をしている。ああ、怖いはずの妖怪も、ぬいぐるみになる
とこんなにかわいらしくなってしまうのね。悲劇……

 最近、やたらとオカルト番組が多い。夏でなくとも多い。それらの番組を見て
いる時、私にはいつもある記憶が蘇ってくる。

人は誰でも感受性の最も強い思春期には、霊感が強くなるそうである。そんな
思春期のまっただなか、中学二年生の時に体験した出来事だった。

 その頃、私は桃子というクラスメイトと親しくなった。彼女は元々霊感が強い子
で、様々な体験をしているらしかったが、私と一緒にいるようになってからは、
それが増えたそうだ。

私にも同じことが言えた。彼女といると、何故か不思議な事ばかりが身近に起こ
った。ある日、桃子は放課後の教室の窓際の一番後ろの席で、だらんと腕を垂
らしていた。

「何にをしているの?」と聞くと、「座敷わらしが私の手で遊ぶの」と言う。
私も同じ事をすると、自然と手が動いた。
「座敷わらしだ!」ふたりでそうしてしばらくの間、座敷わらし?と遊んだのだっ
た。

 あれから十年以上経つ。今の私には、まったく不思議なことは起こらない。
純粋な心の持ち主にしか見えないという『座敷わらし』は、もう私の手と遊んで
はくれない。
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薬 65編

2005年09月04日 08時00分02秒 | 娘のエッセイ
 私が病院に勤務していた頃のこと。後輩の女の子が、とんでもない間違いを起
こした。一日分(朝・昼・晩)の量である三錠が一包みになっている便秘薬を、
一包みが一回分と勘違いして膨大な量の便秘薬を患者に渡してしまったのである。

しかもその薬をもらった患者は、一週間その薬を誤った飲み方で飲み「もっとく
れ」と言い出した。その後どうしたのかは忘れてしまったが、患者のおなかはど
うなっていたのだろう。

 高齢者達はよく薬を要求した。診療を受け、受付に来て薬が出ていないのを
知ると、必ず言う。「薬を下さい」そして彼らは山のような飲み薬や塗り薬を
もらってゆく。

薬を飲まないということに、高齢者達はとても不安を抱く。健康になったから薬
は要らないのに、薬を常に飲んでいないと自分は病気になるとでも思っているみ
たいだ。

 それとは反対に、薬を飲むのを極端に嫌がる人もいる。私の弟は「自己治療
する」と言って薬を飲まない。それでもスポーツで鍛えた体は回復力が旺盛で、
不思議と傷や風は早いうちに治った。

ま、こういう輩は害がないが、前に勤めていた会社には困った頑固ちゃんがい
いた。彼女は絶対に薬を飲まない。

頭痛がするけれどバファりンを飲まない……これは自分が苦しむだけだから、
ほっとけばいい。

厄介なのは、彼女が風邪をひいた時だ。コホコホと咳をしながら仕事をし、鼻を
かむ為に頻繁に席を立ち洗面所へ向かう。一週間経っても彼女のコホコホは変
わらない。

 「風邪薬は飲んでいるの?」と聞くと「私は薬は飲まないことにしている」と
言いながらコホコホである。

そのうち、周囲の人達が一人、二人と咳をしはじめる。そして気付くと一緒に仕
事をしている二十数人のほとんどが風邪っぴきだ。実に傍迷惑な話である。

 薬に依存しすぎる高齢者と、薬を意味もなく過敏に拒否する女の子。薬に対す
るこういう極端な意識を、改善する為の薬はないのだろうか。
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名前をなくした彼女達 64編

2005年09月03日 08時05分18秒 | 娘のエッセイ
 高校を卒業してから十年とすこぉし。その頃の仲間たちのほとんどは、名前がな
くなってしまった。もっと正確に言うと、日常生活の中で、彼女達個人の名前が消
えてしまったということである。

 集合住宅の中で彼女達は『××さんの奥さん』と呼ばれ、子供の幼稚園で一緒
のお母さん仲間からは『△△ちゃんのお母さん』と呼ばれる。そういった日常の
お付き合いの中で、彼女達が個人名である『○子さん』と呼ばれることはほとんど
ない。

つまり日常生活の中に、個人である『○子さん』は存在しないのである。つまり、
いつのまにか○子さんは透明人間と化してしまったのである。

 透明人間になるだけなら笑い話ですむが、名前を失ってしまった彼女達は、
その内面まで変質する。

昔、趣味の話で盛り上がった○子も、政治を批判しあった○子も、夢を語った
○子も、勉強熱心だった○子も、もういない。名前を失った彼女達も皆、以前は
豊富な話題をもつ、魅力的な女性達だったはずなのだ。

 彼女達の思考回路は、『○子の考え』から変質して、『××さんの奥さんの考
え』か『△△ちゃんのおかあさんの考え』という回路ワンパターンになってしま
うのだ。

そんな彼女達と会話する時、私は無意識のうちに彼女向きの話題ばかりを提供
してしまっている。つまり子供とダンナの話題。ご近所の話、ほか彼女近辺の
話題だ。

 もちろん、たまには彼女達の体験談などという興味深く、ためになる話も聞け
たりするが、ほとんどは井戸端会議的内容に始終してしまう。こんな現実に対し
て、私は大いに不満である。

 日本では、どうして名前で呼び掛けないのだろう。夫婦間でおとうさん、おか
あさんと呼び合うのだって変だ。この国で、一生個人でいることは、とても難しい。
それは別姓の問題以前の、もっと根源的な大きなテーマだと思う。
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アスファルトの道 63編

2005年09月02日 08時27分21秒 | 娘のエッセイ
 「私が結婚するって知ったらさ『当然、家庭に入るんでしょ』みたいなこと、
おばさんたちがい言うのよ!アッタマきちゃう!」

 やり手の保険外交ウーマン、T子が逢うなり愚痴る。「なんで、同じ女性の足
をひっぱろうとするのかしらね。どうして応援してくれないんだろうね」「世の
中、そんなものよ」と言いながら、私自身もクラークなる。

 学校を卒業した後、社会勉強と称して2・3年腰掛けで働く。そして結婚して
専業主婦へ。さらに家計に頭を悩ましながら何人かの子供を産み、育てる。これ

で女の人生ゲーム一丁上がり! てな人生が、私たちの母親たちの知っている
女の一生の流れなのだろう。

しかし私達の世代の女性たちは、少なからずそのノーマルな女の道という古い
固定観念に悩まされているような気がする。

 例えば私。転職の為に家にいたら、おばさんたちが、「花嫁修行でしょ」。
結婚したT子は、両親の「子供はまだ?」攻撃に憤慨していたが、第一子を産ん
だら産んだで、今度は「次はいつ?」攻撃に悩んでいる。

結婚適齢期のことで迷いつづけたM子は早すぎた出産を後悔し、「この子さえい
なければ」という思いと葛藤し続け、子供が3歳になった今、やっと子供を可愛い
と思えるようになったと告白した。

 これら皆、女は結婚しなければ、子供を産まなければ普通じゃない、幸せじゃ
ないという幽霊みたいな固定観念の産物である。

 俗に言う普通の女の人生というのは、まるで舗装されたアスファルト道路みた
いだ。歩きやすいから大勢の人がその上を歩くけど、裸足で歩きたくなるほど、
気持ちのいい道じゃない。

歩きやすい、安全第一の道がベストとは限らない。土の道や砂利道が好きだっ
ていいじゃない。

もしかしたら、そういう道を歩いたほうが、綺麗な小川や逞しい野の花に出会え
たりして、多くのものが見えるかもしれない。

 たとえ、雨に濡れても、枝で怪我をしたとしても……。アスファルトは、嫌い。


コメント (1)
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