いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

蝶になるとき 47編

2005年08月17日 07時58分52秒 | 娘のエッセイ
 少女が女性へと成長し、美しくなった時のことを『サナギから蝶になった』と形
容することがある。

 学校を卒業した後、偶然に同級生の男の子に会い、情報交換をした時など、そ
の会話の中に「あいつ化粧もちやんとして、綺麗になっていたぞ」なんていう台詞
によく出会ったものだった。

 数年前、同じ教室で試験の点を競い合い、遊び、先生にビンタをくらったアイツ
が、化粧をしてお洒落な服に身を包み、ハイヒールを履いて、ほのかに甘い香水
の香りなどを振りまいている。

そんな女の子の大変身を目の当たりにした男の子は、きっとほんの一滴の蜂蜜
を垂らしたレモンを食べた時のように、甘い感傷と、すっぱい後悔の念を密かに
胸に抱いていたに違いない。

 『アイツ、綺麗になっていたぞ』という言葉の命は短い。ほんの一瞬である。
その時期を過ぎてしまえば、『綺麗』の意味はまた変わってしまうからだ。

 ところで、今の女の子達。通学時にも、随分と自由に様々なことを楽しんでい
る。ピアスや指輪などの装飾品も自由、髪型自由、鞄もコートも好きなものでい
いらしい。

その上、色つきリップなどという可愛らしいものではなく、しっかりと口紅を塗っ
ている女の子もよくいる。私達の頃(十年程前)と比べれば雲泥の差で、今の子
の方がお洒落で綺麗だ。

 でも……と思う。彼女達は、学校を卒業して面倒な制約がなくなった後も、きっ
とあまり変わらないのだろうな、と。

 今から中途半端に羽を広げてしまっている彼女達は、一瞬にして大変身をする
感動に満ちた機械を失ってしまったのではないか? 女の子と女性との僅かな隙
間に発生する綺麗と言われる瞬間を。

 もったいないなぁ……。あまり若いうちから綺麗の無駄遣いはしないほうがいい
のにな、と彼女達の耳元に光るピアスを見ながら、そんな思いがふと、頭をよぎっ
ていった。
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欲ばり 46編

2005年08月16日 15時04分29秒 | 娘のエッセイ
 私の友人夫婦が、マンションを買った。彼女のエプロン姿を見て、私は彼女の
幸せを感じた。彼女 Mちゃんは、初めてお付き合いをした男性と結婚した。

そんな彼女にある時、「Mちゃんの生き方って、女の幸せな流れのひとつだよね」 
と私は言ったことがあった。私は、当然笑顔の返事が返ってくると思っていたのだ。

 けれど彼女は、「でも、私の青春は暗かった……」と答えた。まさか、彼女が
そんなふうに思っていたなんて……と、その時私は複雑な思いで、彼女の咳きを
心の隅にしまいこんだのだった。

 いくら時代が進んでも、とにかく仕事に生きがいを見出し、その傍らで結婚をし、
子供を育てるという画一的な生き方をする男性に比べ、女性の場合は、仕事をす
る・しない、結婚する・しない、子供を産む・産まない・産めないと、嫌でも生き

方が分かれていく。その結果、選択ということが女の人生の特色となり、選んだあ
ともただでさえ青い隣の芝生が、より一層青く見えてしまうのだろう。

 だからバブリーな時代、女達は貪欲に(世間にタカビーなどと中傷されようとも)
生活をたのしもうとしたのではなかろうか?ポップな遊びの相手には若い男の子
をキープし、豪勢な食事はおじ様と。

そして高価なプレゼントが欲しいが故にボンボンを捕まえた。でも、バブリーな
時代が終わりを告げた今、就職難の女の子達が、昔ながらの『永久就職』の道へ
と回帰するのでは……という声もちらほら聞かれる。そう、女はいつだって、自分
が一番得をできる生き方を選択し続けるのだ。

 最近、年下の男と付き合う女が増えたのもひとつの選択の流行かもしれぬ。
たしかに年下男は、強がっている弱い女の良き理解者になってくれる。

けれど私の友人は、私が「男は年下がいいよ」と言うと、呆れ顔をする。さらに、
もっと現実的なプラスもある。女のほうが平均寿命が長いから、年下の男とのほう
が、永い間一緒にいられていいじゃん……と

 ああ、女の「欲ばり」は生涯続く。
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北風と太陽 45編

2005年08月15日 11時28分37秒 | 娘のエッセイ
 先日、ボーイフレンドと一緒にナムコワンダーエッグに行ってきた。そこで、占
いも大好きな私は、ハイテクを使用した心理テストのようなものを二種類もして
しまった。

 そのうちのひとつは、友人になりたい女性のタイプを選んだり、いくつかのオブ
ジェから好みを選択したり、また自分の前世はどんな動物だったかを選ぶものだ
つた。

 その選別による診断結果は、『自信による肥満』。さらに、愛情豊かでさびしが
り屋な反面、好戦的で、やり手で、マイペースで、すべてを手に入れたい欲張り
女であるという。うーん、当たっているかもしれない…と思いつつ彼の結果を見る

と、『奉仕症』との結果が出ている。彼は、人の役に立ちたい、愛に包まれていた
いという、実に私とは正反対の内面を持っているというのである。その結果を片
手に、「面白い!」と言いつつ私達は別のテーマパークへと向かった。

 次の場所では、多くの色の中から好みの色の光を選んだり、ハイ・イエスでた
くさんの質問に答えるタイプのものであった。それらの答えの総括が『心のバラ
ンス』の表として示される。

 私は、厳しい心・冷静な心・自由な心の数値が高いのに対し、かれは優しい心
のみがハイレベルで、厳しい心など最低ランクであった。結果を見て「アンタら
しい」とゲラゲラ笑う私に、ポソッと彼がひとこと。

「でも俺は、ともちゃんにないもの持っているんだよ」。どこまでも穏やかな
奴なのだった。

 私と彼は、例えていうなら『北風と太陽』のようだ。私はピューっと好戦的に、
かつマイペースで自由に移動する。そして彼は、ひとつの場所でほわほわと
暖かい光線を発する。

 イソップ物語では、北風は太陽に負けたけれど、太陽には太陽の、北風には
北風なりの役割や生き方があるはず。
 
さしずめ北風型の私は、からっ風にだけはならないようにしながらも、いつまで
もビュービューと自由にいきていけたらいいな、と思っている。








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帽子の女 44編

2005年08月14日 06時57分55秒 | 娘のエッセイ
 花の咲き乱れている公園の中、乳母車を押している女。簾の椅子に腰掛け、テ
イータイムをとっている女。開け放された窓辺から、遥か彼方の水平線をみつめ
る女……。

彼女の頭部には、ほとんど例外なく、つばひろの帽子がのっている。美しい彼女
達を生み出した画家の名は、カシニョール。

 ブルーグリーンのアイシャドーで彩った瞼の下にある涼しげな瞳は、どんな想
いを秘めているのだろうーそんな想いを見る者に抱かせる、横顔の、また後ろ姿

の彼女達にとって、そのつばひろの帽子の存在は大きな意味を持つ。何故なら、
決して豪華ではない、実に簡素な服を身に付けた彼女達が、たったひとつの帽子
によって「レディ」の雰囲気を与えられるからだ。

 正式な洋装に、帽子は不可欠である。その上、大きくて柔らかい線を持つひとつ
の帽子は、何気ない姿の女性さえも、とても優雅で優しいものに演出してくれる。
その帽子、日本人は本当に冠らない人ばかりだ。

 でも昔は、たとえばハネムーンというと、新妻は決まってパステルカラーの
スーツと、お揃いの小さな帽子姿だった。あれは聞くところによると、新郎の前で
バシャバシャと髪を洗えない奥ゆかしい大和女が、髪の汚れを隠す為に愛用した

という。現代のハネムーンの場で、お馴染みのハネムーンルックが登場しなくな
つたのは、結婚したばかりの夫の前で髪を洗えないなどという、シャイな女性が

消滅したからなのかもしれない。でも、汚れを隠す為に帽子を被るなどという蛇
道な利用方法は、なくなってよかった。

 ハネムーンに限らない。今の日本人は帽子を冠らぬ。たまに冠っても着こなし
が下手だ。帽子の着こなしを練習する機会が少ないからだ。

 大きな帽子に似合うだけの背丈がないから。レディつぽい自分を照れるのか、
いや、そんなことより、帽子で遊ぶ、他人の視線を優雅に受け、それを楽しむだ
けの「心のゆとり」がないことが、一番の原因かもしれない。
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法律が邪魔をする 43編

2005年08月13日 08時02分25秒 | 娘のエッセイ
 先日、テレビで『性転換手術の現場』という特集を見た。『現場』という言葉から、
手術室のおどろおどろしい映像を想像していたのだが、実際はひとりの男性の手
術の前後を追った形の番組だった。

 まず彼は、日本で禁止されている手術を行ってくれる医師を探す。もちろんヤミ
だ。そして数十分後、手術を終えた彼女は、たった今、自分の体から切り落とされ
た二つの分身をホルマリン漬けにしてもらい家路を辿る。

 手術後数日、彼女の顔からは、男っぽさがすっかりと消え、代わりに柔らかな
優しい表情が現れている。彼女は幸せそうに笑った。でも彼女には、ひとつの辛
い現実が待ち受けている。それは、法律上の性別は『男』であるという現実……

 性転換が認められている国々ではこれは一種の病気だと認識されているとのこ
と。もちろん、手術するにあたっては、”性転換の願望が二年以上継続している
こと”など数々のチェック項目があるらしいが、それをクリアーし手術を終えた

時、彼女は法律上も女として生きることが出来るそうだ。このような事実を知る
と、日本がいかに精神面の病気に対してケアや認識が遅れているかを思い知ら
される。

 彼女達は男として生を受けたが、染色体の異常か、生活環境の為か何らかの
理由によって、女性としての精神を持ち、結果、肉体までも女性化した。

そんな彼女達に、現実的にも法律上にも男として生きていけ、というのは酷く
残酷なことではないだろうか。こういうことを法律を用いて強制するということは、
本当に正しいことなのだろうか。

 もし、その理由が生命の神秘に反する、などというものだとしたらお笑いだ。
クリスマスを楽しみ、初詣をし、お経を唱えるこの節操のない国が?個人の生
き方ぐらい、もう少し自由に選択させてよ……ね。


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魅せられて 42編

2005年08月12日 07時29分19秒 | 娘のエッセイ
 二年ほど前、私がその展示場へ足を踏み入れたのは、ほんの気まぐれからだった。
エルーテ・彼の絵を、私は特に好きな訳ではなかった。ただ、横浜のバルセロナ
展の小さなブースで見かけた、アルファベットを型取った一枚の絵が、おぼろげに

心の隅っこに残っていたのだ。(また、あの絵がみられるかもしれない)そんな気
持ちから、小さな会場へ、私は恐る恐る入っていった。

 展示即売の会場というのは、美術館と違い、画廊側の『売ろう』という意識と、
見ている人達の『買いたい』という気持ちが渦巻いている空間だ。

だから、のほほんとただ絵を見たいだけ、という人間は、余程気を強く持っていな
いと、キツイ場所になってしまうのだが。

 お気楽な私は、そこでアートアドバイザーなる同じ年頃の女性と、世間話に花を
咲かせた。ふと、話が途切れた時、彼女が言った。

「ところで、この中でどの絵が一番好き?」
「うーん、あれっ」と言いながら、迷わずに私は真っ正面にあった一枚の絵を指差
した。それから一時間後、なんと私は、六十回ローンの手続き書にサインをしてい
た。

 そしてお気に入りの絵を毎日見ている間に、あろうことか、私はすっかりエルテ
の虜になってしまっていたのだった。今思えば、その頃の私が、エルテ展などとい
うものに行ってはいけなかったのである。例えば見るだけでも……。

 そう、ご想像の通り私は、そこでまたエルテの描く女性に恋をした。青紫色の
物憂げな瞳、形の良い唇。『彼女が欲しい』その思いを断ち切ることは、身体を
脱水機に入れられる様に辛く、到底無理なことだと観念した。その時、私は思っ
た。女性の容姿に惚れる男性の気持ちとは、こんなものだろうか?と。

 今も私は、彼女達に向かって『なんて、綺麗なの』と瞳を見つめ、囁き続けてい
る。絵と異性は似ている。惚れる時に必要なものは、自分が良いのだからいいと
いうエゴイズムだけで、他には理由も何もいらないからだ。
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”妹” 41編

2005年08月11日 08時34分00秒 | 娘のエッセイ
 冬になると思い出すものがある。ロシアの人が被るようなシッポのついたフワフワ
の帽子。幼い頃、私の妹はその帽子が大好きで、どこえ行くにもそれを被っていた。

 その妹が去年、帽子の代わりに花の髪飾りを付け、振袖を着た。その変身ぶりは、
家族のみならず会場にいた人も驚いたという。まったくドヒャーである。この愚妹、

普段は皮ジャンにジーンズという格好のくせに、その辺のボディコン馬鹿娘よりも
いろっぽいのだから、こまってしまう。

 そのうち「本当にはやいものよね」と母が言い出し、「そうそう、あんなブスが
よくこんなにかわいくなったよね」と私が答え、そこに噂の妹や弟が加わると、たち
まち昔話のご披露会が始まる。ご披露会の主役は決まって妹。彼女の失敗談は
種がつきないのだ。

 「部屋の中でおいかけっこして、タンスの角で頭切った事があったよね。そのあと
には、外で犬と遊んでブロックでこめかみ切ったし」 「あの時、姉ちゃんがタオル
もったいないからちり紙で血を押さえなって言ったんだよ」 「お風呂に黄色い花咲

かせるし」 「それは、お兄ちゃんだよー」 「ヘビみたいな変な目していると思っ
たら」 「面白がって、自分でまつげを全部抜いちゃったっていうし」 「ほーんと、
あんたって危ない子だったよね」 などと、皆で涙を流しながら笑いこげ、あっとい
う間に時間が経ってしまう。

 ある時、母が言った。

「もし、家が火事になったら、私は子供の頃のアルバムを持って逃げる」と。
 
 家族にとってあの頃の思い出と記録は、世界中の宝石を集めても大刀打ちでき
ない位のきらめきと価値をもっている。

 出生率云々よりも、こういう思い出を少ししか持てないひとりっ子は淋しいだろう。
なんでもない小物ひとつから沢山の思い出の糸を紡ぎ出せる。そういう奥行と広が
りのある人間関係(家庭)が私はいい。
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宝石パズル 40編

2005年08月10日 08時11分59秒 | 娘のエッセイ
 ダイヤの指輪が光っている手をヒラヒラさせながら、C子の話は続く。「でね、
何軒か行ってみたんだけど、やっぱりA店のダイヤがカラットもカットも一番いい
と思って……もう一回A店に行って、店は閉まっていたけど、ドアを叩いて開けて
もらって、こ・れ、買ったのよ」。

彼女の話を聞いて、友人達三人は「我が儘なヤツだなー」と心の奥底で思った。
が、皆口には出さずに、相槌を打たないことでその意思を示した。

 確かにダイヤモンドは綺麗よ。でも、普通そこまでする? 彼女のダイヤにか
ける熱意は、一体何なんだろう。

 例えばT子だ。「トモコの彼って可愛そう。トモコが宝石大好きで」と、年に数
回宝石店に連れて行かれる私の男を気の毒がり、光りモノにはあまり興味の
なかったのに、実際婚約指輪を買った時には、「やっぱり、0.4カラットは欲しく
って」とちらりと女らしい? 本音をもらした。

 それにしても、女達は何故そんなにも婚約時のダイヤの指輪にこだわるのか。
もしかしたら女達は、パートナーとの関係の中でこれからできてしまう心の隙間

を埋める為の予備のピースとして、ダイヤモンドを求めるのではないだろうか?
これは、人の心ジクゾーパズル説である。つまり、心のパズルが綺麗に完成し
ている時、予備のピースは要らない。

 でも、一つでもピースが欠けると、パズルは完璧ではなくなる。予備が必要に
なる。だから、ピースの無くなる予感が大きければ大きいほど、たくさんの予備
が必要になってくる。そこで、登場するのが、お決まりの『ダイヤの婚約指輪』だ。

 こんなモノで、女達の不満が爆発しないなら安いモンだ。と上手くそれを利用
するか、そんなモノ、欲しくならないくらい心を満たしてあげるよ、となるかは
殿方次第。

 でも宝石は、自分で買わずにやっぱり男から貰いたい。実は、これがホンネだ
ったりもする。







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片道切符 39編

2005年08月09日 08時30分38秒 | 娘のエッセイ
 ♪あなたの燃える手で、私を抱きしめて♪この歌を聞くと、私の胸は切なさでいっぱいになり、
じわっと涙が溢れてきてしまう。

 人は、しばしば歌に自分の身に起きた出来事を重ね合わせ、思い出の箱に閉じ込める。
しかし、私がこの歌を聴くとき、脳裏に浮かぶのは、私自身の思い出ではなく、
この歌を作り出したエディット・ピアフのことである。

 ある時、ニューヨークで講演をしていたピアフの元に、フランスから恋人が船で来ることになってい
た。「とても待てないわ、飛行機で来て」ピアフは、電話で彼に言った。そして、その恋人の乗った飛
行機が墜落……。そのような出来事があった後、この『愛の賛歌』を、ピアフはつくった。

 この歌に、そんな悲しい背景があったのだと知って以来、この歌はただの『愛の賛歌』ではなく、
『ピアフの愛の賛歌』として、私の心に強烈に焼きついたのだった。

 生きている間、人は何度不尽な不意の別れを経験しなければならないのだろう。そんな別れの中で
も、事故による愛する人との別れ、一番辛いことではないだろうか。

 二年程前のこと、私は彼と会う為に、約束の場所で待っていた。三十分経ち、
一時間経っても彼のバイクは現れなかった。まさか…私の心の中には『事故』の二文字が渦巻いていた。
(警察に問い合わせようか?)そんな思いも抱きつつ、私は待った。

 彼から家に連絡が入ったのは、二時間以上後のことだった。彼は、やはり事故に遭っていたのだ。
バイクの破損は酷かったが、幸いにも彼自身に傷はあまりなかった。「時間に遅刻しそうだったから」

と事故の理由を言う彼に、「遅刻しても怒らないから、安全運転をして」としおらしく、その時の私
はいったのだった。

 人生という旅路において、人は皆、片道切符しか持っていない。あの一言が、あの行動がなけれ
ば……後でそう思っても、決して始点まで引き返すことはできないのである。
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不倫の香り 38編

2005年08月08日 08時07分21秒 | 娘のエッセイ
 ”甘く危険な香り”などというと、なんとも食指をそそられる気分になる。しか
し、実際、不倫はムスクの香水のように、怪しい香りを放っているわけではない。

 我社のY専務、彼が現在まとっている香りが、まさにその不倫という名の香水な
のだ。彼は会社でのふとした言動から、また営業回り中の不信な空白の時間か
ら、その他さまざまなところから不倫の臭いをプンプンさせている。そのあまりの
臭さは、『カンベンして』という感じだ。彼の香りが臭いのには、わけがある。

 それは、恋をしているのではなく、恐らくただ単に欲情しているだけだからだろ
う。「俺はまだ(恋愛の)現役」などと言っているが、彼からは恋の香りはしてこ
ない。不倫の恋をしている男の香りはしてこないのだ。

 私が初めて、恋をしている男の香りを男の全身から感じたのは、もう何年も前…
私が二十五歳くらいの時だったろうか。

その男性Aさんは、四十歳前後だったと思う。Aさんは、私が以前勤務していた
会社に出入りしていた会社の課長だった。

 会社主催の「安全大会」で、私は彼と初めて会った。宴会が終わり、ロビーで
お茶を飲みながら、私達の話題は仕事の話から男女の話へと変わっていった。
そこでAさんから、終わったばかりの恋の話を聞いたのである。

すると、彼が急に言った。「彼女の声が聞きたくなってしまった」と。幸いなこと
に近くに緑の電話がある。

 私は彼から電話番号を教えてもらい、偽名を使って電話をかけた。一度目、
彼女は入浴中とのこと。そして、二度目。電話はつながった。私は、ソファー
に座っているAさんに合図をし、Aさんに受話器を渡すと、ソファーへ戻った。

 Aさんは嬉しそうだった。けれど、悲しそうであり、淋しそうだった。これから
結婚するという彼女への想いを断ち切れていない心のうちが、全身から濃密な
香水のように立ち昇っていた。ちなみに、その香りは決して甘くはなかった。
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美人になるビタミン 37編

2005年08月07日 15時46分15秒 | 娘のエッセイ
 ある女性シンガーが歌っていた。恋多き女性をテーマにした歌のなかに”♪愛し
た男達は美人エキス”というフレーズがあった。その歌を知った時、ちょうど私は

何にをしても楽しい年頃だった。つまり若くて自由で、ちょっと甘えた声を出せば、
男の子たちは何でもしてくれると信じていた時期。

 だからそのワンフレーズは、絶えず私の耳の奥でリフレインし続け、いつのまに
か私の恋に対してのテーマ曲のようになってしまっていた。

事実、私はいくつかの出会いと別れを、大人のオンナになるためのトールゲート
のように思っていたのではないかと思う。

 しかもちょうどその頃は、あの田中康夫サンが”仕事は給料の分だけ、恋愛は
メいっぱい”と恋愛することを賞賛していた時期でもあった。

あの頃、女の子たちは”恋は美人になるビタミン”だと、若いエネルギーのほとん
どを注ぎ込んでいたのではないだろうか。

 しかし、である。最近”美人をつくるビタミン”はビタミン剤である。という新
たな情報が幅をきかせている。つまり、身体の中からという理由で、ビタミンCや
らBやらが、やたらともてはやされているのである。

「どうせこれも一過性のものだろうな」とは思いつつも、哀しい女のサガか、いつの
まにか貧血の薬と一緒にチョコラBBを飲み、仕事の合間にシーズケースをカリカ
リ齧る私がいる。

 して、その成果は? というとクエスチョンである。特にお肌の調子がいいという
感じもないし、美人になったとも思えない。そりやそうだ。こんなことで美人になれ
たら、世の中美人だらけになってしまう。

 それにしても、結婚を前にした女性達は、何故だか皆綺麗になる。結婚という形
に限らずとも、恋が成就するということは、やはり女性を一番輝かせるのでは?
という気がする。いや、きっとそうだ。そうに違いない。

 やっぱり美人になる一番のビタミンは”恋”なのだ。


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動物園(ZOO) 第36編

2005年08月06日 08時15分58秒 | 娘のエッセイ
 今、私が通っているカルチャースクールの先生に教えていただいたのが、外国
には、『ZOOボランティア』なるものがあるそうだ。

日曜日になると、動物好きの人や動物に詳しい人達が、『ZOOボランティア』と
書いた看板を持って立っていて、頼めば動物園内の動物のことを説明してくれる

のだという。ボランティアが日常生活の一部となっている外国ならではのことだろ
うが、いいナ、あったかいナ、と思う。

 それに比べて日本の動物園の味気なさ。

『受話器をあげると動物の説明と鳴き声が聞けます』という電話に似た機械があ
るだけだったりする。いっそ、この機械を取り払ってモノマネ上手な人が『この動
物はこうなきます”ガオー”』などとやったりしたら楽しいのにネ、なんて無謀な
提案をしたりして。

 それにしても最近の世の中、冷たいですよね。ちょいとそこのお母さん。私があ
なたに抱っこされている赤ちゃんに”いないないバー”をしたからって、そんなに

恐い顔をしてにげなくたっていいじゃない。私は赤ちゃんが可愛いから遊びたかっ
ただけなのに、失礼しちゃうわ。これ、冗談抜きで本当の話。

 近頃このてのお母さんが結構多い。なぜかそのほとんどが二十代前半の若い
お母さん。彼女達、社交下手なのか警戒心が強いのか、はたまた自意識過剰なのか?

 わからないが、あまりいい顔をしない。そういう人に会うと、「この人、損
するな」と余計な心配をしてしまう。せめて赤ちゃんと一緒の時くらい、他人
にも優しい気持ちで接してほしいな。

 でも、どうして人は赤ちゃんや動物といると、無条件で優しくなれるのだろう。
それはたぶん、彼らが自分よりも弱い生き物だからなんだろうね。弱い者に優し
くするのは簡単なようで難しい。そして、弱い者にそうするのはもっと難しい。

 けれど、強い弱いに関係なく、すべてに対して優しくなければ、それが一番す
てきなことだよね。
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猪突猛進?(第35編)

2005年08月05日 08時23分23秒 | 娘のエッセイ
 先日、夕方の通勤ラッシュの時のこと。横浜から○○線に乗った私は、空いて
いる座席に座ろうとして、重たいカバンを持ち直した瞬間、ドンッと突き飛ばされ
た。

二・三歩よろめいてから後を見ると、私が座るはずだった座席の空間には、えらく
体格のいい中年女性がどかんと腰を下ろしている。まるで猪さながらの猪突猛進
に、(そこまでやるか?)とただ呆れた。

 実は私、以前にもこの猪突猛進の被害に遭ったことがある。その時の猪はスー
ツを着た中年男性だった。その男性は、どちらかというとひょろりタイプだったの

だが、その突進力たるや、先の中年女性などあしもとにも及ばぬパワーであっ
た。なにせ、この身長160㎝の私が二・三m、ふっとんだのだから。

 しかもその時、何故自分が前のめりにトコトコと歩かされているのか分からな
かったくらいなのだから……。(このとき、車内はすいていた)

 あーあ、もしかしたら、私ってトロイのかもしれない。いや、きっとトロそうに
見えるに違いない。私は悟った。私も猪になるしかない。あ、非難の声が聞こえて
くる。猪になるなと言っている。そう、昔は私もスレテいなかった。

乗車の際、後からグイグイ押すおばさんに「降りる人が済んだら、自然に前に進
むんだから無理に押さないでよね。危ないじゃないの」と注意をしたこともある。
(その時、側にいた別のおばさんは始終、「そうよね、そうよね」と私に相槌を打っ
てくれた。感謝)

 しかし、朝の通勤ラッシュはまさに地獄、いや格闘技場である。足を踏まれたら
踏み返せ、肘が当たったら当て返せ。男も女も関係ない(こんな男女平等は悲し
いな)。

自分以外はみな敵。遠慮していたら乗れない、降りられない。「すみません」なん
て上品さは通用しない。ああ、こんな車内に誰がした?時差出勤は夢の夢。

 やめよう、やめたい通勤電車の猪突猛進。だけど、やめたら会社に辿りつけな
い。こんな日本、本当に豊かといえる?


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打ち上げ花火(第34編)

2005年08月04日 08時19分28秒 | 娘のエッセイ
 男女雇用機会均等法が施行された時、初めて、”総合職”が登場した時に、「女
性のステイタス」という花火は華々しく上がった。むろんそのなかの幾パーセント
かは、不発だったり爆発してしまったりしたけれど、綺麗な花火を散らしてキラキ

ラと輝いていた花火も多かった。そしてそれはつい最近まではきちんと存在してい
たはずだった。

 それなのに、不景気という名の突風が、花火の火種を消してしまった。女性の労
働力は、社会においてはやっぱり花火的な存在でしかなかったのだろうか。景気
が夏の盛りの時にだけ必要なものでしかなかったのだろうか。

 ところが、女性労働力という花火が消し去られた今、コギャルなどと呼ばれる少
女花火が派手に上がり始めた。彼女らのことを、ある女性記者が語っていた。

 それは”私達が女ということで損をしない為に、女だからと得をすることを放棄
してきたのに、(彼女らを見ていると)私達は一体今まで何をやってきたのだろう
か”というような内容だった。

 確かに彼女達は、女であることと若いということを前面に出し、それを売り物に
して楽しんじゃおうという趣がある。

でもいいじゃない。女の人生は、元々打ち上げ花火の連続みたいなものだ。彼女
らの行動はその最初の花火だと思えばいい。この先も次々と好きなだけ花火を
上げるだろう。

 結婚とか出産という花火を上げる子もいよう。そしてその先のことは考えていま
い。その先は実は、とてもハードなのだ。

日本という「打上げ会場」で女達は苦労する。フランスでは、女性は中年以降が
本当に楽しいと聞く。

 フランス映画の中に、「マドモアゼル」と男性に呼ばれた女性が、キッとした目
をして「私はマダムよ」と言い返す場面があったりもするから、それは本当なの
だろう。

 日本では逆に、中年女性でも「お嬢ちゃん』と呼ばれたら喜んでしまうに違いな
い。それが悲しい現実だ。成熟していない社会で、成熟した女性が上げられる
花火はない。

 いくら何尺もある花火でも、自動点火はできない。点火してくれる人が必要だ。
でも凄腕の花火師の数は、まだまだ絶対数が足りていない。
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症候群シンドローム(第33編)

2005年08月03日 06時59分00秒 | 娘のエッセイ
 最近、『症候群』という言葉が氾濫している。つい先日も、雑誌の病気チェック
なるテストをしたところ、私はストレス過度で、OA症候群で、VDT症候群で、
なおかつ出社拒否症で鬱病だというひどい結果がでてしまった。

けれども、これらの産みの親である会社を私は今年いっぱいで退職出来ること
になったのだ。(ウレシイ!)

 心身共にボロボロにされてしまった職場であったが、私はここで、変な生物に
出会った。その生物とは、食欲と性欲と嫉妬の塊のような女である。

服を切られる。貴金属や書類が紛失する。など、私自身かなりの被害にあった
けれど、一歩離れて眺めれば、その言動は話のネタとして面白かった。

そんな彼女の為に、私は『恋ができないかもしれない症候群』という病名を考え
だした。それは、欲情するけれど恋はしない。男と寝るけどメイクラブはしない、
ということからだ。

 昼休みの休憩室。女性雑誌のエッチな体験記を声に出して読む彼女の口か
らは、今にもヨダレが垂れてきそう。「お願いだから、声に出して読まないで」

と言いたくなる程、その声はネットリとしてイヤラシイ。欲望に忠実なのは、悪い
ことではない。けれど、若い女の過剰な性欲の露呈は、悲しいかな、吐き気を
もよおすばかりなのである。

 「最近、男の人を好きになれないの」。この間、電話で友人がポツリとこぼし
した。「小学生の頃から、いつも好きな人がいたのに」と、その悩みはかなり
深刻そう。

現在、彼女は恋をしていない。けれど、『恋が出来ないかもしれない症候群』
にかかっている訳じゃない。

 だから、仕事に精を出し過ぎて様々な症候群を背負い込まないように、そし
て、早く素敵な恋に巡り会えるように、という彼女への気持ちも込めつつ、

バブル崩壊でめっきり仕事の無くなった会社の図面台に向かって、症候群に
冒された私は今、このエッセイを書いている。
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