美空ひばりが母を亡くした靴みがきの少女を演じた映画「東京キッド」の主題歌。大人顔負けの歌唱力が話題となり、当時13歳(昭和25年)だったひばりは、この曲のヒットによって押しも押されぬスターとなった。
歌にでてくる「キッド」や「チューインガム」に、時代の空気が漂っている。戦後、まだ日も浅く、進駐軍の姿が見られた東京の街にも、戦争の爪痕は生々しく残っていた。この歌は額に汗し復興に向かう人々への応援歌であった。
夢とチューインガム(アメリカ文化)をポケットに、人々は戦後復興期を生きていた。でも人々が一番勇気づけられたのは、当時13歳の少女のずばぬけた歌唱力だったのかもしれない時代の風であった。
当時の主な出来事
@ 第1回ミス日本に山本富士子さんが選ばれた
@ 金閣寺が青年僧侶の放火で炎上
@ 「低所得者は麦を食え」と池田勇人蔵相発言
ジープに乗って颯爽と街中を走り去っていく米兵の姿は頭にこびりついている。焼夷弾が公園の杉の木の枝に何個もぶら下がっていた情景、東京が焼夷弾爆撃で空が真っ赤になった光景、焼夷弾が色紙を散らしたようにB29爆撃機による投下、B29爆撃機に向かっての高射砲は機体の下の方で爆発、日本の戦闘機がB29に向かっての体当たりしようとする光景などがよみがえって来る浦和からの体験であった。戦後のひばりの歌は明るくウキウキと心を躍らせ元気づけられていた。
歌にでてくる「キッド」や「チューインガム」に、時代の空気が漂っている。戦後、まだ日も浅く、進駐軍の姿が見られた東京の街にも、戦争の爪痕は生々しく残っていた。この歌は額に汗し復興に向かう人々への応援歌であった。
夢とチューインガム(アメリカ文化)をポケットに、人々は戦後復興期を生きていた。でも人々が一番勇気づけられたのは、当時13歳の少女のずばぬけた歌唱力だったのかもしれない時代の風であった。
当時の主な出来事
@ 第1回ミス日本に山本富士子さんが選ばれた
@ 金閣寺が青年僧侶の放火で炎上
@ 「低所得者は麦を食え」と池田勇人蔵相発言
ジープに乗って颯爽と街中を走り去っていく米兵の姿は頭にこびりついている。焼夷弾が公園の杉の木の枝に何個もぶら下がっていた情景、東京が焼夷弾爆撃で空が真っ赤になった光景、焼夷弾が色紙を散らしたようにB29爆撃機による投下、B29爆撃機に向かっての高射砲は機体の下の方で爆発、日本の戦闘機がB29に向かっての体当たりしようとする光景などがよみがえって来る浦和からの体験であった。戦後のひばりの歌は明るくウキウキと心を躍らせ元気づけられていた。