一生勉強 一生青春(相田みつを 詩人、書家1924~1991)
「解説」青春とはいつからいつまでのことを言うのでしょう?多くの先人が教えるとおり、それは心のあり方で決まるようです。この言葉は相田みつをの座右の銘です。年を重ねても心は若々しくありたいと、こんな言葉を残しました。
「年をとって困るのは、体だけでなく、頭が心が固くなること。心が固くなると、感動、感激がなくなる。一生青春を保つためには、心のやわらかさを保つこと。そのためには、具体的に何かに打ち込んでいくことです」
相田みつをの書斎はいつも書き損じの紙で埋もれていたそうです。何枚も書いては納得する1枚を選ぶ。そのようにして自分が進む道が正しいか、いつも検証していたからです。一生勉強と一生青春は、一枚の紙の表裏なのです。
「しあわせのヒント」
「勉強」といってもむずかしく考えることはありません。打ち込めるものであればなんでもいいのです。
「青春」の詩:サムエル・ウルマン
青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方を言う。薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、たくましい意志、ゆたかな想像力、炎える情熱をさす。青春とは人生の深い泉の清新さをいう。
青春とは臆病さを退ける勇気、安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。ときには、20歳の青年より60歳の人に青春がある。年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。
歳月は皮膚にしわを増すが、熱情を失えば心はしぼむ。苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い青春は芥になる。
60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、驚異に魅かれる心、おさな児のような未知への探求心、人生への興味の歓喜がある。君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。人から感から美・希望・よろこび・有機・力の霊感を受ける限り君は若い。霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、悲歎の氷にとざされるとき、20歳であろうと人は老いる。頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、80歳であろうと人は青春にして已む。
「解説」青春とはいつからいつまでのことを言うのでしょう?多くの先人が教えるとおり、それは心のあり方で決まるようです。この言葉は相田みつをの座右の銘です。年を重ねても心は若々しくありたいと、こんな言葉を残しました。
「年をとって困るのは、体だけでなく、頭が心が固くなること。心が固くなると、感動、感激がなくなる。一生青春を保つためには、心のやわらかさを保つこと。そのためには、具体的に何かに打ち込んでいくことです」
相田みつをの書斎はいつも書き損じの紙で埋もれていたそうです。何枚も書いては納得する1枚を選ぶ。そのようにして自分が進む道が正しいか、いつも検証していたからです。一生勉強と一生青春は、一枚の紙の表裏なのです。
「しあわせのヒント」
「勉強」といってもむずかしく考えることはありません。打ち込めるものであればなんでもいいのです。
「青春」の詩:サムエル・ウルマン
青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方を言う。薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、たくましい意志、ゆたかな想像力、炎える情熱をさす。青春とは人生の深い泉の清新さをいう。
青春とは臆病さを退ける勇気、安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。ときには、20歳の青年より60歳の人に青春がある。年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。
歳月は皮膚にしわを増すが、熱情を失えば心はしぼむ。苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い青春は芥になる。
60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、驚異に魅かれる心、おさな児のような未知への探求心、人生への興味の歓喜がある。君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。人から感から美・希望・よろこび・有機・力の霊感を受ける限り君は若い。霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、悲歎の氷にとざされるとき、20歳であろうと人は老いる。頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、80歳であろうと人は青春にして已む。