5月11日は長女の月命日。休みを利用して5月13日東京から次女来宅。息子の家族は12日に墓参りして来宅した。私たち夫婦と次女で墓参り、墓前でしばらく長女を偲んで語り合った。長女は自分の意志で角膜を提供しお二人の方に移植され目を回復されたと聞いている。また、息子の次男は未熟児網膜剥離で目を3度手術して治癒し、今年高校を卒業し学校の推薦を受けて上場企業に就職した。 息子の次男が誕生した病院と長女が角膜を提供した病院は同じところだった。私たち家族はこの不思議な因縁を感じながら長女に感謝している。
我が家の食卓には妻の思いがこもった飾り物があり毎朝眺めながら食卓を囲んでいる。写真の柴犬は19年3ヶ月での往生だった。庭の片隅にそのしるしを設け、娘らが来宅の折には必ず手を合わせている。忘れ得ない思い出を数多く残していった。TVなどに柴犬が映ると互いに「北斗」が出ているよと呼び合いその姿に見入り満足している。
桜の木を眺めているとその時々に人の顔に見えたり動物に見えたりする。毎日同じものを見ていながらその日の気分によって自然の造形物に見えてくる。今日は人の顔にも、カニの顔にも見方を変えると見えた。
昨日は長男と次女の家族が来宅来泊した。息子には4人の子供があり、そのうち、大卒、専門卒、高卒の3人が同時に今年就職し社会人となった。中でも高卒の孫は798グラムで誕生し3度にわたり目の手術を受けた。その病院は、娘長女が「角膜」を提供した病院だった。娘長女の遺志が通じたかのように高卒の孫の目は治癒した。時は流れ、高卒の孫は上場企業に就職し社会人となり感無量である。3人の初月給で私たち夫婦に記念品を贈ってくれた。また次女には二人の子供があり、男の子は小学校6年生で、5月25日(土)に開催される運動会の応援団長として登場するとのこと頼もしい限りである。家族12人の懇談にそれぞれ語らい長男家族は横浜市内で帰宅、次女家族4人は泊った。自分の生い立ちを思い浮かべながら孫たちの生活状況と比較し思いだし、改めて自分の年齢に両親を思い浮かべ楽しいひと時を過ごした。
令和元年5月1日、横浜市内の旅館松島にて「keiコーラス」会員22名の参加者を得て懇親会が開かれた。この会は4年以上前から活動しており私は今年3月に入会したばかりだった。懇談の中、自己紹介があり元気な91歳のご婦人、ピンクのベレー帽がよく似合うご婦人、8センチほどの竹笛を自作し荒城の月を演奏された男性、歌が好き、社交ダンス、病院通い、人との絆を語る人などまさに人生いろいろの色彩だった。解散後、有志でカラオケで2時間ほど過ごした。カラオケの最後の締めとして全員で「いのちの歌」(miyabi作詞・村松崇継作曲)を歌った。この会の松田講師は歌を唄いそしてピアノを弾かれる杉山講師、その絶妙な連携に心躍るものがある。「いのちの歌」の楽譜は、今まで経験をしたことない歌詞の序列である。歌詞は素直につながらずとんでもないない個所に次の歌詞が移る。♪どころか歌詞の場所を追うのに四苦八苦している。これほど音符に向かったことはこれまでなかった。音符や様々な記号などがその歌の全体像を作り出している状況に感服しカラオケとは全く異なる音楽コーラスの世界である。
「生きてゆくことの意味問いかけるそのたびに 胸をよぎる愛しい人々のあたたかさ この星の片隅でめぐり会えた奇跡は どんな宝石よりもたいせつな宝物…」この作詞者は山下達郎氏の奥さん竹内まりやさん。「いのちの歌」は、NHK連続テレビ小説「だんだん」の主題歌だそうです。なんとなく脳裏に残るメロデーにしばらくは挑戦です。
「生きてゆくことの意味問いかけるそのたびに 胸をよぎる愛しい人々のあたたかさ この星の片隅でめぐり会えた奇跡は どんな宝石よりもたいせつな宝物…」この作詞者は山下達郎氏の奥さん竹内まりやさん。「いのちの歌」は、NHK連続テレビ小説「だんだん」の主題歌だそうです。なんとなく脳裏に残るメロデーにしばらくは挑戦です。
人生に 遅すぎると いうことはない。(安藤百副 実業家1910~2007)
「解説」世界初の即席麺「チキンラーメン」が誕生したのは昭和33(1958)年。開発したのは日清食品の創業者、「ミスターヌードル」こと安藤百福です。わかいころから実業家として成功を収めていた安藤ですが、40代半ばで事業に失敗。食べるものにも困ったとき、思い出したのは1杯のラーメンに行列をつくる闇市での光景でした。
温かく、簡単に食べられて、保存もきく。そんな麺を開発しようと、自宅の裏庭に小屋を建て、たった一人で研究を開始。1日に4時間しか寝ず、丸1年間1日も休みませんでした。
このとき安藤は48歳。遅い時期からの挑戦でしたが、お湯をかけただけで食べられる「魔法のラーメン」は空前の大ヒットになりました。人生に遅すぎるということはないのです。
「しあわせのヒント」 この言葉は「50歳でも60歳からでも新しい出発はある」と続きます。
安藤百福:日清食品創業者で世界初の即席麺「チキンラーメン」の生みの親。製品開発への意欲は晩年も衰えず、91歳にして「宇宙食ラーメン」開発を陣頭指揮。NASAとの共同開発によるラーメンは平成17(2005)年、宇宙へ飛んだ。
「解説」世界初の即席麺「チキンラーメン」が誕生したのは昭和33(1958)年。開発したのは日清食品の創業者、「ミスターヌードル」こと安藤百福です。わかいころから実業家として成功を収めていた安藤ですが、40代半ばで事業に失敗。食べるものにも困ったとき、思い出したのは1杯のラーメンに行列をつくる闇市での光景でした。
温かく、簡単に食べられて、保存もきく。そんな麺を開発しようと、自宅の裏庭に小屋を建て、たった一人で研究を開始。1日に4時間しか寝ず、丸1年間1日も休みませんでした。
このとき安藤は48歳。遅い時期からの挑戦でしたが、お湯をかけただけで食べられる「魔法のラーメン」は空前の大ヒットになりました。人生に遅すぎるということはないのです。
「しあわせのヒント」 この言葉は「50歳でも60歳からでも新しい出発はある」と続きます。
安藤百福:日清食品創業者で世界初の即席麺「チキンラーメン」の生みの親。製品開発への意欲は晩年も衰えず、91歳にして「宇宙食ラーメン」開発を陣頭指揮。NASAとの共同開発によるラーメンは平成17(2005)年、宇宙へ飛んだ。