今日は午前中より,学生の症例発表を聞く。
内容に関してはとやかくはいわない。
成人の脳性まひ,弱年齢の脳卒中,その人生をよくよく考えて見てはいかがなものか。
どのように生きるか,どのように他者と関係するか,どのように環境と相互作用するか。
反応,反射,筋肉,関節,それだけで人生について語れるであろうか。
小田桐先生が心底投げかけた意味はそこにある。
まだといっても,これからだけどね,人,生,それを物質的に見ているようだ。
教える側も襟を正していただきたい。
どのような病理をもつ症例であっても,有機体としての原意識は存在している。
outputの世界だけで,その個人(ひと)を査定するのはもうよそうではないか。
「関節」をどう動かすかといった視点は,セラピスト視点である。自分のことしか考えていないセラピストの卵はもう時代錯誤じゃないだろうか。
しかし,時代は変われど症例発表のレジメは変わらず・・・がんばりましょう。
午後は会議,会議の連続。
その後,脳のなかの「身体」の発達/発達障害の「現代思想」の原稿を書く。
自由度がある原稿なので,今度は自分の意見を中心に書いている。
感情は自己の身体像を基準に召還されるのであろうか・・・
autismのmotor imageryの障害に関する「これぞ」っいう論文を探しているのだが,mirror neuron systemはいっぱいあれども,これに限局(運動前野や頭頂葉の相互関連性)したものがきちんとみつからない。
さて,もう少し書いて,50枚に到達させましょう。
あと少しですね。
その後,嫌な文献整理,文献タイプがある。
誰かバイトしませんか?
まだまだ書かないといけないものがいっぱいあるのです。
内容に関してはとやかくはいわない。
成人の脳性まひ,弱年齢の脳卒中,その人生をよくよく考えて見てはいかがなものか。
どのように生きるか,どのように他者と関係するか,どのように環境と相互作用するか。
反応,反射,筋肉,関節,それだけで人生について語れるであろうか。
小田桐先生が心底投げかけた意味はそこにある。
まだといっても,これからだけどね,人,生,それを物質的に見ているようだ。
教える側も襟を正していただきたい。
どのような病理をもつ症例であっても,有機体としての原意識は存在している。
outputの世界だけで,その個人(ひと)を査定するのはもうよそうではないか。
「関節」をどう動かすかといった視点は,セラピスト視点である。自分のことしか考えていないセラピストの卵はもう時代錯誤じゃないだろうか。
しかし,時代は変われど症例発表のレジメは変わらず・・・がんばりましょう。
午後は会議,会議の連続。
その後,脳のなかの「身体」の発達/発達障害の「現代思想」の原稿を書く。
自由度がある原稿なので,今度は自分の意見を中心に書いている。
感情は自己の身体像を基準に召還されるのであろうか・・・
autismのmotor imageryの障害に関する「これぞ」っいう論文を探しているのだが,mirror neuron systemはいっぱいあれども,これに限局(運動前野や頭頂葉の相互関連性)したものがきちんとみつからない。
さて,もう少し書いて,50枚に到達させましょう。
あと少しですね。
その後,嫌な文献整理,文献タイプがある。
誰かバイトしませんか?
まだまだ書かないといけないものがいっぱいあるのです。