森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

今は,まさに,臨床は科学を超えられるかの正念場

2008年11月25日 09時25分53秒 | 過去ログ
いよいよ佳境と打ったブログを眺めつつ,
心配しつつ,名古屋に金曜日向かった.
評議員会,理事会と進み,
みなさんの表情からその心の理論を読み取ると,
さまざまな感情,思考を垣間見ることができた.
その内部なものが外部に出せない環境であるならば,
内部に混線が起こり,無視するという自己組織化が起こる.
メタ認知の極みであるように思う.
思考停止というものは.

夜は懇親会.
久しぶりにFranca Pante女史と会うが,
少し自らの身体性(思考と身体の疲労極限)から,
脳(前頭葉)を働かすことが遠慮気味なために,
そんなにおしゃべりとはいかなかった.
つまり,第二言語はしょせん第二言語であり,
自動化できず,もちろん,その言語に基づき,
今の身体状態を伝えることはできない.
表情認知は人類共通であるが,
そのディテール,つまりプロセスを共有するためには,
コンテキストが必要だし,
それがなければ,言語が不可欠になる.

翌日からはコースがスタートした.
僕の脳を整理するうえでは重要な講義となり,
引用されている論文をリアルタイムにネット上でダウンロードしながら,
つまり聞く,見る,検索する(動く)をしながら,両者を統合するというマルチモダルな状態を維持しながら,論文と講演の両方を解読した.

結論から言うと,もっと治療を細分化すべきというものであるが,
神経科学がここ数年発展していない(細かなことは発展し続けているがエポックメーキングとなるような科学的発見がない)ことから,臨床もそれに付随してかすかな進歩しか見えない.
科学の発展はいかに重要かを感じた.
ここで一気に臨床が科学を超えることが望まれる.
そこでまたもや問題提起されるはずである.
神経科学の停滞がどのように臨床を変えていくか,見ものである.
現象学もいわば生物学であり,
自然現象を無視することはできない.

夜は懇親会が続く・・・・

翌日は,いろんな講演があったが,
システム論なんだが,それが逆に要素還元になっていないかを
パラドックスの視点から多面的に分析を試みる必要があると思った.
本来の自己組織化の説明まではいけない.
それは「時間」の分析を試みていないからだと思う.
運動前に数ミリ秒でスパイクするニューロン活動.
それには,ある程度の自己の動きが必要だが,
それがまさに次なるブラックボックスである.
志向性の前,つまり意図の前の神経現象が見えない.
それが見えないと中枢神経系の本当の意味での可塑性が見えない.
空間で分析し,空間問題を与えるこの事実は今までの科学的解釈から間違っていないが,
次なる時代は時間であり,
神経現象の時間の解明ができれば,意識に迫ることができる,
トップダウンにニューロンの発火がどのように起こっているかを迫らなければ,
脳卒中後の可塑性が見えない.
いよいよ,思考の限界に近づきつつある.



手の操作運動においても母指と示指のピンチにはタイムラグがある.
母指と示指の指腹をあわせるピンチと,
対象物に接触するピンチは時間的分析から違うはずである.

いずれにしても,この問題を解くには時間がかかりそうだ.


オリバー・サックスが取り上げられた.
一つの方向性の意味では大事であろう.
「身体運動学」のあとがきでは少しふれている.
それは視点の変換には重要だが,
それだけにとどまっていれば科学的とは言えない.


夜はレセプション・・・・・・内臓がえぐり取られるプラス,大事な喉をやってしまった・・・
後悔絶えず.
喉だけは勘弁してくれと思う.
単にライブ活動のためだが.

月曜日名古屋を朝出て,
大学に来て,教育学部の授業を行う.

うちのゼミ生には本当に助けられている.
成長している顔と言語をみることは,
幸福な感情が湧く.