つまらない職業はない,つまらない人々がいるだけだ.ランシーの言葉ですが,
最近よくこれを思います.
自分のしている仕事,自分のついている職業を平気で否定する人,
自分の勤めている施設を平気で否定する人,など,そういう人は数多くみられます.
一種の絶望を感じている類で,
負が強化されてしまっいる典型です.
自分ではよくわかりません.
自覚できないのです.
学生の愚痴もその類で,自己解決できない場合,
メール,twitterなどを通じて,指導者や施設の批判が飛び交います.
2chなんかはその典型です.
理学療法士はだめだの,
どこどこの大学はだめだとか.
理学療法士にしろ,何の仕事にしろ,
つまらないものはありません.
つまらない職業はなく,つまらなくしているのは,その人々なのです.
つまり,つまらないのは人であり,職ではないのです.
同じく,つまらないのは大学ではなく,人々なのです.
裏切られた期待というか,
自己の主張が強かったり,
過大に期待してたりすると,それを余計に感じてしまうのでしょう.
誤差が負になり,
ドーパミン神経細胞の反応はどんどんなくなってしまいます.
一方,様々なテクニック,治療,主義,主張,思想が展開されていますが,
自分の主張にそぐわない場合は徹底攻撃してしまうというのも,
一種の負の強化システムです.
人間はある意味,絶望を感じると,
回避,攻撃システムが無意識に作動し,思想や主張に対して攻撃したり,
無視したりします.
知らないうちに,脳幹が自己防衛システムとして働いているのです.
その際,科学や根拠を用いて論破しようとしてきます.
他人や別の考え方を批判することで,
矛盾を解くというものです.
つまり,脳の中では「おれはこんなに頑張っているのに」とか,
「おれはこんなに優れた研究しているのに」とか,
「私はこんなにあなたにつくしているのに」などと,
期待すると,それ相応の報酬をもらわないと人間はつじつまがあわなくなり,
その矛盾を解く意味で,
攻撃にでるか,回避(抑うつ)あるいは人格解離にでるかになります.
つまり,別の主張を批判したり,攻撃したり,
あるいは,「何をやっても無駄だ」という抑うつ的志向を形成していきます.
ネット上で飛び交う批判の嵐は,そういう人間の縮図を示しています.
批判を続け,それでも自分に注目されなければ,
それはねたみや,うらみ,憎しみになっていきます.
前帯状回がそのように反応してしまうのです.
しまいには,それが偏見になっていきます.
アンチからは何も生まれません.
憎しみからも何も生まれません.
批判する前に,まずは相手を理解することからはじまるのです.
まことのよき生理学者はまったく別の主張をしている人達に敬意をはらいます.
また,自然科学者は芸術家や人文科学といったいわゆる狭義の科学的でない人たちに敬意を表し,尊重します.
医療は狭義のサイエンスではありません.
サイエンス(エビデンス)を応用するものです.
そして,サイエンスだけでなく,アートやヒューマニティも理解し,
それを取り込み,学際的に個人(患者)をとらえます.
教育もいっしょです.
人が人に接するというかけがえのない医療と教育.
攻撃・回避といった爬虫類脳からは何も生まれません.
まずは理解・尊重することから始めるべきと思うのです.
そこから批判的吟味はスタートします.
先人の科学者に常に経緯を払う.
それが紳士的な学者であり,
一方,先人の方々を尊重する,それも一つです.
あ~だこ~だ言う前に,
自分がやるげきことを確実に行動に起こす.
他人を外から批判しても何も生まれない.
その人の本当のここをは何も見えないのだから.
書いている本,やっていることだけから,
その人を評価することはできません.
膝と膝をつきあわす,その人間らしさから,
新しい発展的なものが生み出されるのです.
人間にはそういう力があるのです.
最近よくこれを思います.
自分のしている仕事,自分のついている職業を平気で否定する人,
自分の勤めている施設を平気で否定する人,など,そういう人は数多くみられます.
一種の絶望を感じている類で,
負が強化されてしまっいる典型です.
自分ではよくわかりません.
自覚できないのです.
学生の愚痴もその類で,自己解決できない場合,
メール,twitterなどを通じて,指導者や施設の批判が飛び交います.
2chなんかはその典型です.
理学療法士はだめだの,
どこどこの大学はだめだとか.
理学療法士にしろ,何の仕事にしろ,
つまらないものはありません.
つまらない職業はなく,つまらなくしているのは,その人々なのです.
つまり,つまらないのは人であり,職ではないのです.
同じく,つまらないのは大学ではなく,人々なのです.
裏切られた期待というか,
自己の主張が強かったり,
過大に期待してたりすると,それを余計に感じてしまうのでしょう.
誤差が負になり,
ドーパミン神経細胞の反応はどんどんなくなってしまいます.
一方,様々なテクニック,治療,主義,主張,思想が展開されていますが,
自分の主張にそぐわない場合は徹底攻撃してしまうというのも,
一種の負の強化システムです.
人間はある意味,絶望を感じると,
回避,攻撃システムが無意識に作動し,思想や主張に対して攻撃したり,
無視したりします.
知らないうちに,脳幹が自己防衛システムとして働いているのです.
その際,科学や根拠を用いて論破しようとしてきます.
他人や別の考え方を批判することで,
矛盾を解くというものです.
つまり,脳の中では「おれはこんなに頑張っているのに」とか,
「おれはこんなに優れた研究しているのに」とか,
「私はこんなにあなたにつくしているのに」などと,
期待すると,それ相応の報酬をもらわないと人間はつじつまがあわなくなり,
その矛盾を解く意味で,
攻撃にでるか,回避(抑うつ)あるいは人格解離にでるかになります.
つまり,別の主張を批判したり,攻撃したり,
あるいは,「何をやっても無駄だ」という抑うつ的志向を形成していきます.
ネット上で飛び交う批判の嵐は,そういう人間の縮図を示しています.
批判を続け,それでも自分に注目されなければ,
それはねたみや,うらみ,憎しみになっていきます.
前帯状回がそのように反応してしまうのです.
しまいには,それが偏見になっていきます.
アンチからは何も生まれません.
憎しみからも何も生まれません.
批判する前に,まずは相手を理解することからはじまるのです.
まことのよき生理学者はまったく別の主張をしている人達に敬意をはらいます.
また,自然科学者は芸術家や人文科学といったいわゆる狭義の科学的でない人たちに敬意を表し,尊重します.
医療は狭義のサイエンスではありません.
サイエンス(エビデンス)を応用するものです.
そして,サイエンスだけでなく,アートやヒューマニティも理解し,
それを取り込み,学際的に個人(患者)をとらえます.
教育もいっしょです.
人が人に接するというかけがえのない医療と教育.
攻撃・回避といった爬虫類脳からは何も生まれません.
まずは理解・尊重することから始めるべきと思うのです.
そこから批判的吟味はスタートします.
先人の科学者に常に経緯を払う.
それが紳士的な学者であり,
一方,先人の方々を尊重する,それも一つです.
あ~だこ~だ言う前に,
自分がやるげきことを確実に行動に起こす.
他人を外から批判しても何も生まれない.
その人の本当のここをは何も見えないのだから.
書いている本,やっていることだけから,
その人を評価することはできません.
膝と膝をつきあわす,その人間らしさから,
新しい発展的なものが生み出されるのです.
人間にはそういう力があるのです.