百歳に向かってもう一度歩いて世界一周

平成7年1月1日より歩いて世界一周に挑戦して居ますので引き続き続けますのでご照覧あれ!

炎帝農氏

2013年01月28日 16時58分44秒 | 十八史略

 歩 い て 世 界 一 周  1月28日(月) 雪降ったり止んだり

 

日 数「日」

総歩数(歩)

総距離(m)

平均歩数(歩)

今  日

 

16,620

11,634

 

今  月

28

469,330

321,531

16,405

今  年

28

469,330

321,531

16,405

2005年から

2,9539

41,778,049

29,244,634

14,119

70歳の誕生日から

6,491

123,728,565

86,609,730

19,061

ドイツ・オランダ、ベルギー.、フランス.イギリスを経てアイスランドのレイキャビックに向かう、後 698,229m 

[炎帝神農氏]斲木為耜、揉木為揉、始教畊、以赭鞭鞭草木、嘗百草始有医薬。教人日中為市、交易而退。都於[陳]、徙[曲阜]。

 炎帝神農氏木を斲(けずり)て耜をつくり、木を揉(たわめ)て揉をつくり、始めて畊を教う。赭鞭を以って草木を鞭(むち)うち、百草を嘗めて始めて医薬有り。人に教えて市を為し、交易して退かしむ。陳に都し、曲阜に徒る。

農氏は木を削って鋤を作り、木をたわめて鋤の柄をつくり、鋤鍬の使用法を広めてはじめて耕作を教えた。赭鞭で草木を鞭打ち、百草を舐めて始めて医薬を作った。また日中に市を開き、物々交換して夕方に帰ることを教えた。はじめ陳に都をおき、のちに曲阜へ移った。

 私が初めて八百屋になった頃、青果商組合に「農講」という集いがあった。常盤に市場があって、大勢の女性が威勢よくセリをやって、リヤカーで飯山の街へ売りに来ていた。八百屋組合と常盤の市場の共催で、英岩寺で農講の祭りをしていた。飯山の薬屋の人達も「農講」をやっていると聞きた。神農大士が農業を教えたり、市を開いて作物を売ることを教えたりした縁と、また草木から薬を作り出したという縁から薬を扱っている人たちも農大士を祀っていたのだろう。

 神農講の日は神農大士の祠にお経をあげ、お御堂でお斎を頂いた。引き売りの女性が多かったので、賑やかで皆はしゃいで溶け合ってたいへん楽 しかった。長く続いた良い行事だったが、私が中野との合併で中野勤務となったこともあって、自然消滅になってしまったようだ。

 古き良きリーダーだった宮崎さんが市ノ口で店を開いたのを契機に農講の再興を図ったが、楽しい思い出をもった先輩は消え去り、引き売りの女性部隊も居なくなって、盛り上がりがなく、立ち消えになってしまった。何とも残念な話だ。