歩 い て 世 界 一 周 1月29日(火) 雪降ったり止んだり
日 数「日」 |
総歩数(歩) |
総距離(m) |
平均歩数(歩) |
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今 日 |
17,590 |
12,313 |
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今 月 |
29 |
476,920 |
333,844 |
16,446 |
今 年 |
29 |
476,920 |
333,844 |
16,446 |
2005年から |
2,960 |
41,795,639 |
29,256,947 |
14,120 |
70歳の誕生日から |
6,492 |
123,745,775 |
86,622,043 |
19,061 |
ドイツ・オランダ、ベルギー.、フランス.イギリスを経てアイスランドのレイキャビックに向かう、後 685,916m
今日も十八史略にのめり込んでしまった。「臥薪嘗胆」に首を突っ込んだのが命取りになった。人物がやたらと出てきて、誰が呉で誰が越かよく区別がつかなくて何回も読み返してどうやら判ったような…わからないような・・・。
それにしてもこの説話が紀元前六世紀の事とは驚いた。呉王夫差が「臥薪」までして越を破れば、越王句践は会稽の恨みを「嘗胆」までして復讐する。その間呉王夫差は忠臣の伍子胥の諫言を入れずに越王を許したり、子胥は梓の木を墓に植えて夫差の棺桶の材にしろ、私の目を抉り取って越に向けろと遺言したり、越に仇を取られた夫差は子胥に合わせる顔がないと袋を被って死んだなど大昔の話がつい最近の説話のように書かれていて熱が入った。どうやら何とかこんがらかった「臥薪嘗胆」の道筋が判ったような気がしてきた。
呉王闔廬、挙伍員謀国事。呉伐越。闔廬傷而死。子不差立。子胥復事之。夫差志復讎、朝夕臥薪中、出入使人呼曰、「夫差而忘越人之殺而父邪。」周敬王二十六年、夫差敗越于夫椒。越王勾践以余兵棲会稽山、請為臣妻為妾。子胥言、「不可。」太宰伯嚭受越賂、説夫差赦越。勾践反国、懸胆於坐、臥即仰胆、嘗之曰、「女、忘会稽之恥邪。」挙国政属大夫種、而与范蠡治兵、事謀呉。
呉王闔廬(こうりよ)、伍員(ごうん)を挙げて国事を謀らしむ。呉、越を伐つ。闔廬傷つきて死す。子の夫差立つ。子胥(ししよ)復た之に事ふ。夫差讎を復せんと志し、朝夕薪中に臥し、出入するごとに人をして呼ばしめて曰はく、「夫差而(なんぢ)は越人の而の父を殺ししを忘れたるか。」と。周の敬王の二十六年、夫差越を夫椒(せう)に敗る。越王勾践余兵を以(ひき)ゐて会稽山に棲み、臣と為り妻は妾と為らんと請ふ。子胥言ふ、「不可なり。」と。太宰伯嚭(はくひ)越の賂(まいな)ひを受け、夫差に説きて越を赦(ゆる)さしむ。勾践国に反り、胆(きも)を坐に懸け、臥(が)するや即ち胆を仰ぎ、之を嘗めて曰はく、「女(なんぢ)、会稽の恥を忘れたるか。」と。国政を挙げて大夫種に属し、而して范蠡(はんれい)と与に兵を治め、呉を謀るを事とす。
太宰嚭、譖「子胥恥謀不用怨望。」夫差乃賜子胥属鏤之剣。子胥告其家人曰、「必樹吾墓檟。カ可材也。抉吾目、懸東門。以観越兵之滅呉。」乃自剄。夫差取其尸、盛以鴟夷、投之江。呉人憐之、立祠江上、命曰胥山。越十年生聚、十年教訓。周元王四年、越伐呉。呉三戦三北。夫差上姑蘇、亦請成於越。范蠡不可。夫差曰、「吾無以見子胥。」為幎冒乃死。
太宰嚭、「子胥謀の用ゐられざるを恥ぢて怨望す。」と譖(しん)す。夫差乃ち子胥に属鏤(しよくる)の剣を賜ふ。子胥其の家人に告げて曰はく、必ず吾が墓に檟(か)を樹ゑよ。檟(か)は材とすべきなり。吾が目を抉りて東門に懸けよ。以つて越兵の呉を滅ぼすを観ん。」と。乃ち自剄す。夫差其の尸(しかばね)を取り、盛るに鴟夷(しい)を以つてし、之を江に投ず。呉人之を憐れみ、祠を江上に立て、命じて胥山と曰ふ。越十年生聚し、十年教訓す。周の元王の四年、越、呉を伐つ。呉三たび戦ひ三たび北(に)ぐ。夫差姑蘇に上り、亦成(たひら)ぎを越に請ふ。范蠡可(き)かず。夫差曰はく、吾以つて子胥を見る無し。」と。幎冒(べきぼう)を為りて乃ち死す。