blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

53歳児

2013-02-21 21:42:29 | 日記
寒い朝になった。
もうそろそろ大雪はカンベンしてもらいたいが、今回は週末いっぱいまで雪が降りやすいようだ。
まだ2月だから高望みかもとは思いつつ、これが今冬の最後のヤマとなってほしい。

寒いといえば、12月から来たT氏の状況がますますひどいことになっている。
わが社に限らず一般的にも「お試し期間」とくれば3ヶ月が一つの節目だ。
その3ヶ月が目前に迫ってなお、箱詰め作業ひとつに付きっ切りの指導が必要な状態である。
毎日毎日同じことを言わされて、指導役の社員はイラつきもするし疲れてもいる。
いちいち自分の手を止められるから、全体の作業も遅々として進まない。

箱詰め以外の作業ではほとんど役に立たないので、すでに半分「社内失業者」と言ってもいいが、箱詰めが終わってからも館内を何となくウロウロして適当に掃除などをして時間をつぶし、帰る時間はなぜか私たちと同じになる。
しっかり残業は付けて帰るから本当にいい商売をしている。

今日の朝の段階では、指導役の社員が一日休む予定となっていた。
午前中の仕事が終わってすぐ、私ではない別の人間に「師匠がいなくて不安なので午後からお願いします」と言ったらしい。
お願いしますが意味するところは分からなかったが、私は午後から帰ってしまうのかと思った。
指導役がそばにいないと自分では何もできないことを自ら告白してしまったとしたらオオゴトだ。
午後から指導役がたまたま出てきたから午後も職場にいたというのなら、もはや大人とは言い難い。
加えて、師匠とは言っていながら本当に頼りにしているのとは違う。
指導役によれば、何かを言うたびに口ごたえや言い訳をするというから、本質は指導役を頼りにしているのではなくただただ甘えているということになる。
T氏は現在53歳だが、精神年齢は実年齢から45以上は引いたほうがよさそうだ。

今のところは周囲の誰からも尊敬されず言われ放題の毎日となっている氏だが、それでも相手をしてくれる人間を探していかにもモノ欲しそうな雰囲気を出しているのがどうにも気持ちが悪い。
T氏が傍目から見て異常なまでに他人に卑屈に接するのは、そうしてさえいれば周囲に受け入れてもらえると勘違いしているからである。
心寂しい人間は、自分のことを嫌いだったりバカにしたりする人間にも好かれたいと考える。
卑屈な態度を取って受け入れられるならラクなものだろうが、そうやってラクをして他人の関心を得ようとすることに周囲が嫌気することがまず分かっていない。
卑屈の屈は、屈折の屈だ。
そういう振る舞いを続けているうちに内面はあらぬ方向に変異して、やがては爆発してしまうかもしれない。
屈折した感情が爆発して、それが外に向かえば他への暴力や破壊、内に向かえば間違いなく病気になるだろう。
そうならないためには、いくら来て日が浅いと言っても周囲の人間など心の中では切ってしまえばいい。
しかしながら、いいトシをして依存心のたいそう強いお子チャマに今それを望むのは酷ということなのであろう。

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