blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

お仕事の報告

2013-08-07 22:32:09 | 日記
わが職場のような作業中心の場でも、毎日の業務については報告書がある。
事細かに数字を書く場所はあるが、そのあたりは管理的な立場の人間が書く。
一人一人については短いコメントを書く欄と残業時間を申告する欄が設けてある。
営業さんならそれこそ各人に日誌があって実績や交渉状況を詳しく記入しなくてはならないが、現場仕事でそれほど長々と何かを書くことは少ない。
それでも毎日仕事をしていれば何かはしているはずだし、時には何かに対する疑問や機械のトラブル、自らのミスなどいろいろあるだろう。
私自身は特別なことがなくても記入なしで帰ることだけはしないようにしている。

報告書の活用のしかたは文字通り人それぞれで、それこそ毎日何も書かず帰る人もいるし、長々と文を連ねる人もいる。
私は最低限、自分のいるセクションのものだけでも目を通してから帰るのだが、他人の記述の中でそれこそブログ的な表現に出会うので気になる。
少なくとも仕事の根幹をなす書類に書くコメントが、まるで「日記」になっている。
表現的にも、文の終わりが「○○することが大切だ」とか「××する必要がある」など妙に俯瞰した感じ、時には「△△の仕事は難しい」など、いい大人にしてただの感想になっている場合もある。
特に上役から添削を受けるわけではない報告書だが、特別な立場にない人間が仕事のことについて書くのならば、主体的な表現のしかたの方がいい。
例えば何か失敗をしたならば、「今後注意します」か「今後注意したい」という形なら、その人の意思が見える。
何かを難しく感じたなら、「明日、誰それに教えてもらいます」というふうに、感想から一歩踏み込んだことを書かないと意味がないし周囲には伝わらない。

私自身の若い頃のことも振り返ると、目の前の仕事に参加している意識が薄い、向かっていけない心情の時にこういうボンヤリとした表現を多用していたように思う。
仕事に対する思いが薄ければ自分の意見など持てるはずもないから気分的にも後ろめたい。
なので、格好だけの評論家的なことを書いて自分をごまかそうとする。
与えられた仕事・環境の中で自分がこうありたい、こうなっていきたいという考えがないのだから、何か意見を求められた時にも見苦しい言い訳ばかりをすることになる。

今になって他人のことが気になってしょうがないのも、私自身の20代の頃にこういう情けない経験をしてきたからだ。
各人のやる気に温度差があるのは仕方がないが、周囲にやる気のなさがバレバレというのはよくない。
自らも顧みつつ、いまだ理解の乏しい向きには嫌われ覚悟でモノ申していくのも職場を少しでも向上させていくためには必要だと思っている。

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