我が社も御多分にもれず、人の大きな動きは春と秋の2回である。
ただ、それ以外の時期でもいろんな都合によって小さく人が動く時がある。
わざわざ引越ししてやってくるような人はいなくても、同じ事業所の中で担当する部署が変わることもしょっちゅうある。
同じ部の中で人が回っているだけの場合もあるが。(玉突き人事などとも言う)
さて、2年少し前に私が当地に来てからは、我がチームはひとり若い社員が他部署に流れていった程度で、ほぼ不動のメンバーでやってきた。
それが今回、年始付けで男性がひとり他部署に流れることになったため、当人が担当する業務の一部を引き継ぐことになった。
先週の後半からほぼ毎日、午後の2時間ほどを使って当人に付いて新しい仕事を習っている。
当人は今の事業所から出て行くわけではないが、当人だって次の仕事を早く覚えたいだろうから、期限は年末いっぱいとは言っても私がなるべく早く段取りを覚えるのに越したことはない。
最近の数ヶ月はチームの某ベテラン氏との不毛な対立もあって結果的に日々がなんとなく間延びするようになり、気持ち的に上がらないことが多くあったが、事業所の中でもこれまで入ったことがなかった建物に入り、行ったことがない場所に行き、わずかではあるが今まで接点がなかった社員とも接点が持てる。
人の異動が原因とはいえ、これまでとは違う仕事を覚えることができるのは幸せだ。
かつては仕事そのものに恵まれない時期や、仕事場があっても体調を崩して仕事ができない時期も経験している身には、まずは体が元気でやるべき仕事があることが何よりなのである。
今までの仕事はもちろん、これからの仕事もしっかりやっていけば、当地での寿命も延びる。
特に地元に帰りたいとは思っていないため、できることなら最低でも富山の倉庫にいた時と同じくらいかそれ以上のキャリアを当地で積み重ねられたら言うことはない。
東京五輪の年(正確には五輪が終わった後の秋ごろ)まで今のまま当地にいたとするとちょうど5年となる。
5年となれば、私にとっては我が社の中でもいちばん長くいた部署ということになり、個人的にも当地が第二の故郷同然になってくる。
(ハタチに前後して京都には通算7年いたが、中身の薄い経験しかできていない)
もちろん第一の故郷である富山に帰った時の安堵感というのは終生変わることはないのだとは思うが、当地のことに少しでも詳しくなって損なことは何もない。
関東や関西のようなひどい混雑も名古屋市内のほんの一部の地域のこと、よく言われるところの「人が多い田舎」というのも私にとってはこれ以上ない条件だ。
一時は日々があまりに退屈で辛い時期もあったが、今年の最後に来てまた新しい気持ちで取り組めることに出会えるのだから、会社にはとりあえず真面目に出ておくものだと思う。
ただ、それ以外の時期でもいろんな都合によって小さく人が動く時がある。
わざわざ引越ししてやってくるような人はいなくても、同じ事業所の中で担当する部署が変わることもしょっちゅうある。
同じ部の中で人が回っているだけの場合もあるが。(玉突き人事などとも言う)
さて、2年少し前に私が当地に来てからは、我がチームはひとり若い社員が他部署に流れていった程度で、ほぼ不動のメンバーでやってきた。
それが今回、年始付けで男性がひとり他部署に流れることになったため、当人が担当する業務の一部を引き継ぐことになった。
先週の後半からほぼ毎日、午後の2時間ほどを使って当人に付いて新しい仕事を習っている。
当人は今の事業所から出て行くわけではないが、当人だって次の仕事を早く覚えたいだろうから、期限は年末いっぱいとは言っても私がなるべく早く段取りを覚えるのに越したことはない。
最近の数ヶ月はチームの某ベテラン氏との不毛な対立もあって結果的に日々がなんとなく間延びするようになり、気持ち的に上がらないことが多くあったが、事業所の中でもこれまで入ったことがなかった建物に入り、行ったことがない場所に行き、わずかではあるが今まで接点がなかった社員とも接点が持てる。
人の異動が原因とはいえ、これまでとは違う仕事を覚えることができるのは幸せだ。
かつては仕事そのものに恵まれない時期や、仕事場があっても体調を崩して仕事ができない時期も経験している身には、まずは体が元気でやるべき仕事があることが何よりなのである。
今までの仕事はもちろん、これからの仕事もしっかりやっていけば、当地での寿命も延びる。
特に地元に帰りたいとは思っていないため、できることなら最低でも富山の倉庫にいた時と同じくらいかそれ以上のキャリアを当地で積み重ねられたら言うことはない。
東京五輪の年(正確には五輪が終わった後の秋ごろ)まで今のまま当地にいたとするとちょうど5年となる。
5年となれば、私にとっては我が社の中でもいちばん長くいた部署ということになり、個人的にも当地が第二の故郷同然になってくる。
(ハタチに前後して京都には通算7年いたが、中身の薄い経験しかできていない)
もちろん第一の故郷である富山に帰った時の安堵感というのは終生変わることはないのだとは思うが、当地のことに少しでも詳しくなって損なことは何もない。
関東や関西のようなひどい混雑も名古屋市内のほんの一部の地域のこと、よく言われるところの「人が多い田舎」というのも私にとってはこれ以上ない条件だ。
一時は日々があまりに退屈で辛い時期もあったが、今年の最後に来てまた新しい気持ちで取り組めることに出会えるのだから、会社にはとりあえず真面目に出ておくものだと思う。