blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

死人に口無し

2015-08-07 23:45:11 | 日記
物騒なタイトルで申し訳ありません。
それにしてもここ数日は、つらいニュースが多かったですね。
特に、自殺のニュースが続けざまにあったのは心が痛みます。
北見市長、競輪のトップ選手、そして自作の電気柵で親類を死なせてしまったご老人、それぞれ耐えられない事情があったとしても大変残念なことです。

もちろん自殺は決して他人事ではなく、ある日突然の災害や事故であったり、長く病と闘って光が見えてこなかったり、信じていた人にひどい裏切りを受けたりなど、気持ち的に追い詰められる場面は誰にでも起こり得ます。
逃げるに逃げられない環境で苦しみ、もうダメだと思い続けながら日々暮らしている方も同じです。
私だって、状況によっては周囲にも言い出せず、という場面が来ないと断言することはできません。
原因になりうることは、いつ何時、誰の上にも降りかかる可能性があります。

私自身は、小さい時からけっこうひどい目に遭うことが多く、死にたいと思ったことは二度や三度ではありません。
大人になってからも、周囲に執拗に追い込まれて心身ともバランスを崩したことが何度かありますし、最近は環境の激変によって久しぶりにまたおかしくなり仕事を一時離れざるを得なくなりました。

死にたいと思って本当に死んでしまった人を責めることはできませんが、何度も死にたいと思った私はまだ生きています。
つらい状況にはあっても、過去の心の傷が癒えていなくても、本当に死のうと行動を起こしたことはありません。
一般論としての命の尊さを言い募りたいのでは全くなく、自分だけが死んでしまうことは「割りが合わない」からです。
自分の命を絶ってまで訴えたいことがあっても、世の中はあっという間に忘れてしまい、残された家族だけが苦しみ続けます。
パワハラ上司やいじめっ子は、本人が死んだのをいいことに都合のいい言い訳を並べ立てるばかりか、挙句の果てには次のターゲットを探して同じことを繰り返します。
そんな人間がのうのうと生き続け、自分だけがあの世に行ってしまうのはあまりにももったいないことです。

今年か昨年か、富山市内某所で中学時代に私をいじめていた人間に遭遇しました。
やや距離はありましたがお互いに気づいて顔を見る時間が数秒ありました。
私は彼の顔を視線をそらさずにジーっと見続けました。
数秒後、その場を先に離れたのは私ではなく彼でした。
生きていれば、こういったほんのささやかなリベンジも可能です。

生きていても、つらいことの方が圧倒的に多いかもしれません。
でも、死んでしまったら、わずかの楽しい経験も、つらい目に遭わせた人間への「恩返し」もできません。
だから、なるべくなら死なないでほしい、そう思います。
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