blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

本物のお付き合い

2007-07-19 21:43:57 | 日記
先月でやめられたAさん(仮名)の送別会が延び延びになっている。
私と社員のBさんとで3人でやる計画だった。
今月初めの週末がチャンスだったのだが、Aさん側の事情により流れてしまった。
このため、Bさんからは「A君はいないけど2人でラーメンでも食べに行こうか」と声をかけてもらったが、丁重にお断りした。
私にとっては、Aさん抜きでBさんと2人というのは職場での関係からも息苦しい感じがしたのである。

立場を変えて、例えば私が誰かと飲みたいと思ったときにも、似たような事態にでくわすことがある。(以下実話)
私がC君と飲みたいと思って電話なりメールなりをすると、C君は必ず直接は関係のないD君やE君の予定を気にし始める。
私は特にD君やE君がいてほしいとは思っておらず、C君とサシで飲んでもいいと思っているのだが、C君はどうせだから大勢でというようなことを言う。

ここまで書けば、C君が私と2人で飲むのを嫌がっていることは明らかだろう。
私がBさんと2人になるのを嫌がったのと同じで、C君にとってはD君やE君といった「クッション」がないと私と接することが難しくなっているのである。
かなり前にC君と1対1で飲んだときも、私がまだ話したいことがあったのに、彼は自分でふとんを持ってきてサッサと寝てしまった。
D君やE君相手なら、夜中の2時や3時まで話し込むこともザラなのだが。
C君にとっては、私がたいそう軽い存在なのだろう。

人脈が限られていた頃は、こんな扱いを受けることが分かっていても、寂しさから誘われるまま顔を出していた。
しかし今は、年齢や職場を超えていろいろな人たちと顔を合わせるようになり、C君ラインの人脈は、私の中での位置づけがずいぶん低下した。
軽い扱いを受けるのが分かっているところに、わざわざ顔を出す必要はない。

反面、これからずっと大切にしていくべき存在というのが徐々にはっきりしてきた。
今後は、こういった方々とのお付き合いを優先していくことは言うまでもない。
同じことを何度も書くようだが、たとえ遠いところに住んでいても、信頼で結ばれていればいつでも好きなように交流はできるのだ。
たとえ近場に遊び相手がいなくても、寂しいなどということはないのである。
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