新しい環境も4週間目に入った。
まだ本業(本来果たすべき仕事)での実戦デビューは先である。
ある意味特殊技能とも言えるものだから、いくら人が回らないからと言ってスキルが十分に付いていない人間が前線に出るわけにはいかない。
空気が悪い中で延々練習をこなすのは退屈だが、決して焦ってはいけないとはむしろ上から言われている。
未熟な人間を無理やり実戦投入して事故があっては元も子もない。
しかしいずれの日には必ず訪れるその日のために、今は日々課題を持って取り組み、精度を上げていくよりない。
さて、幸か不幸か様々な職場を経験しているので、いわゆる「職場に必ずいそうなタイプ」というのは本当にどこに行ってもいることをあらためて感じている。
もちろん職場での態度とか本人の自信のようなものは経験年数等にも左右されるので、すでにベテランの域に達した人間でも入社したての頃とは違うだろうが、普通に性格的なものとなるとこれは若手だろうがベテランだろうが「いるいるこんな人」というパターンにしっかりハマる人はやはりいる。
一緒に仕事をしていく上ではもっとも困るのが、明らかにやる気のない人である。
やる気のない人は、やる気がないことを悟られないようにいろんな「フリ」をするから余計にやる気のなさが周りにも分かってしまう。
仕事を覚えるのにメモを欠かさず持ち歩いてはいて、いろいろ書いているのを実際に目にもするが、それがまったく実際の仕事には効果が出ず、同じ間違いを何度も何度も繰り返して日数を重ねてもまるで進歩しない。
これは、メモをとるという行為でもってやる気があるフリをするのに精一杯だからである。
また、何かをしなければいけないと動いてはみるものの、他人が手を差し伸べた途端に自分からやり始めたことをやり切らないうちにアッサリやめてしまうのもフリの一つである。
こんなふうにして何もかもフリでごまかさないと生きてこれなかった人は、こちらが何かを伝えようと思って接していっても、視線がアサッテの方向に行ってしまい、聞いてくれているのかさっぱり分からない。
こっちを見ろと言われてやっとこちらに目が向くようでは、人の話など聞く気がないと言っているのと同じだから、本音はそこにあると言ってしまっていいのだろうと思う。
いくらごまかしても本当の気持ちを隠すことは人間なかなか難しい。
そこに本音があるのならば、自ら望まない環境で時間を浪費していることになるから、いかにももったいないことである。
演じるのが仕事の役者さんだってオフには素でいたいと思うだろう。
役者でもない人が、長い人生を、本当の気持ちを隠してある意味「演じる」だけに費やしてきたとすれば本当に気の毒な話だし、放っておけばいずれは疲れ切って自ら壊れてしまうか、下手をするとふとしたことで他人に危害を与えるような反動を起こしても不思議ではない。
フリばかりを駆使してもすでに周囲にはバレているし、本当の気持ちは隠しきれずに「にじみ出て」きている現状は、客観的にはかなり危険に思えるのだが。
私は、フリをやめて本当に生きることがラクになった。
いくつからでも遅くないと思うので、気づいたその時からでいいからフリで生きていくのはやめましょうと言いたい。
今までには見えなかった景色がきっと見えるはずである。
まだ本業(本来果たすべき仕事)での実戦デビューは先である。
ある意味特殊技能とも言えるものだから、いくら人が回らないからと言ってスキルが十分に付いていない人間が前線に出るわけにはいかない。
空気が悪い中で延々練習をこなすのは退屈だが、決して焦ってはいけないとはむしろ上から言われている。
未熟な人間を無理やり実戦投入して事故があっては元も子もない。
しかしいずれの日には必ず訪れるその日のために、今は日々課題を持って取り組み、精度を上げていくよりない。
さて、幸か不幸か様々な職場を経験しているので、いわゆる「職場に必ずいそうなタイプ」というのは本当にどこに行ってもいることをあらためて感じている。
もちろん職場での態度とか本人の自信のようなものは経験年数等にも左右されるので、すでにベテランの域に達した人間でも入社したての頃とは違うだろうが、普通に性格的なものとなるとこれは若手だろうがベテランだろうが「いるいるこんな人」というパターンにしっかりハマる人はやはりいる。
一緒に仕事をしていく上ではもっとも困るのが、明らかにやる気のない人である。
やる気のない人は、やる気がないことを悟られないようにいろんな「フリ」をするから余計にやる気のなさが周りにも分かってしまう。
仕事を覚えるのにメモを欠かさず持ち歩いてはいて、いろいろ書いているのを実際に目にもするが、それがまったく実際の仕事には効果が出ず、同じ間違いを何度も何度も繰り返して日数を重ねてもまるで進歩しない。
これは、メモをとるという行為でもってやる気があるフリをするのに精一杯だからである。
また、何かをしなければいけないと動いてはみるものの、他人が手を差し伸べた途端に自分からやり始めたことをやり切らないうちにアッサリやめてしまうのもフリの一つである。
こんなふうにして何もかもフリでごまかさないと生きてこれなかった人は、こちらが何かを伝えようと思って接していっても、視線がアサッテの方向に行ってしまい、聞いてくれているのかさっぱり分からない。
こっちを見ろと言われてやっとこちらに目が向くようでは、人の話など聞く気がないと言っているのと同じだから、本音はそこにあると言ってしまっていいのだろうと思う。
いくらごまかしても本当の気持ちを隠すことは人間なかなか難しい。
そこに本音があるのならば、自ら望まない環境で時間を浪費していることになるから、いかにももったいないことである。
演じるのが仕事の役者さんだってオフには素でいたいと思うだろう。
役者でもない人が、長い人生を、本当の気持ちを隠してある意味「演じる」だけに費やしてきたとすれば本当に気の毒な話だし、放っておけばいずれは疲れ切って自ら壊れてしまうか、下手をするとふとしたことで他人に危害を与えるような反動を起こしても不思議ではない。
フリばかりを駆使してもすでに周囲にはバレているし、本当の気持ちは隠しきれずに「にじみ出て」きている現状は、客観的にはかなり危険に思えるのだが。
私は、フリをやめて本当に生きることがラクになった。
いくつからでも遅くないと思うので、気づいたその時からでいいからフリで生きていくのはやめましょうと言いたい。
今までには見えなかった景色がきっと見えるはずである。