私の明け渡し体験の続きです。
そのような至福のときのなか、私の頭の中では明け渡しの瞬間から、ダイナミックな変化が起きていました。
私の哲学や宗教に関連する拙い知識や概念がダイナミックに繋がり出したのです。
その繋がり合った概念は、ある一つの概念に繋がっていました。
その一つの概念を言葉で表現するとすると、
それはこの世の調和であり、この世のすべてであり、この世そのそのものでした。
そして、私は、この世のすべてのものは一つであることを理解したのでした。
それに伴って、この世に存在するすべての事象は、役割が異なるだけでみな等しいんだというともを理解しました。
そのとき、私の頭の中に、
この世を構成するすべての事象が、この世の調和のもと、個々の役割を持って互いに関係し合い、遷ろっているイメージが現れたのでした。
明け渡しが起きてからその夜床に付くまでは、明け渡しの瞬間、2つ、3つの概念が繋がり、続いて複数の概念が連鎖的に繋がったのだと思っていたのですが、
朝起きたときには、哲学等に関連する概念だけでなく、幼児のころの遠い記憶まで含めて、無数の知識や概念が明け渡しの瞬間に連鎖的に繋がっていたことが分かりました。
例えば、明け渡しのあった翌朝、目が覚めた瞬間に、私はうっすらと前世の記憶があることが分かりました。
私は、今生と同じ人生を何度か経験していると思ったのです(なお、私が本当に同じ人生を何度も経験しているのかどうか、本当のところは分かりません)。
それまで私は輪廻転生を信じてませんでしたので、少し戸惑いながらも、そうかそうだったのかと強く納得しながら、私は何度も生まれ変わってきて、またこの人生を経験するだと思ったのでした。
そして、それでも構わない、この人生に何度でも取り組んでやると思ったのでした。
しかし次の瞬間、次の人生はもうないことが分かったのでした。
理由はありません。感じるようにして分かったのです。
そして、もう次がないと分かった私は、この現実世界に対して言い様のない切なさを感じ、暫くの間泣いておりました。
なおこのとき、私以外の家族は既に神奈川に引っ越してまして、関西の自宅には私だけの一人暮らしでした。
職場も従業員はおらず、私一人きりの個人事業です。
このため、自分や周りを見つめて悟りを得る環境としては整っていたのだと思います。
また、私は既に書きました通り、スピリチュアルな世界のことは殆ど何も知らない状態で明け渡しを経験しましたので、明け渡しが生じた瞬間は、自分に何が起きたのかよく分かりませんでした。
そのときは、何となくこれは気づきの一種なのではないかと思っただけでした。
その体験が悟りだとある程度分かったのは、体験の3週間後でした。
また、それが悟りだと確信できたのは、マスターゲット氏から見性印可を頂き、明け渡しから約5ヶ月が過ぎたころでした。
続きは今週水曜日にでも書かせていただきます。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
スピリチュアル ブログランキングへ
そのような至福のときのなか、私の頭の中では明け渡しの瞬間から、ダイナミックな変化が起きていました。
私の哲学や宗教に関連する拙い知識や概念がダイナミックに繋がり出したのです。
その繋がり合った概念は、ある一つの概念に繋がっていました。
その一つの概念を言葉で表現するとすると、
それはこの世の調和であり、この世のすべてであり、この世そのそのものでした。
そして、私は、この世のすべてのものは一つであることを理解したのでした。
それに伴って、この世に存在するすべての事象は、役割が異なるだけでみな等しいんだというともを理解しました。
そのとき、私の頭の中に、
この世を構成するすべての事象が、この世の調和のもと、個々の役割を持って互いに関係し合い、遷ろっているイメージが現れたのでした。
明け渡しが起きてからその夜床に付くまでは、明け渡しの瞬間、2つ、3つの概念が繋がり、続いて複数の概念が連鎖的に繋がったのだと思っていたのですが、
朝起きたときには、哲学等に関連する概念だけでなく、幼児のころの遠い記憶まで含めて、無数の知識や概念が明け渡しの瞬間に連鎖的に繋がっていたことが分かりました。
例えば、明け渡しのあった翌朝、目が覚めた瞬間に、私はうっすらと前世の記憶があることが分かりました。
私は、今生と同じ人生を何度か経験していると思ったのです(なお、私が本当に同じ人生を何度も経験しているのかどうか、本当のところは分かりません)。
それまで私は輪廻転生を信じてませんでしたので、少し戸惑いながらも、そうかそうだったのかと強く納得しながら、私は何度も生まれ変わってきて、またこの人生を経験するだと思ったのでした。
そして、それでも構わない、この人生に何度でも取り組んでやると思ったのでした。
しかし次の瞬間、次の人生はもうないことが分かったのでした。
理由はありません。感じるようにして分かったのです。
そして、もう次がないと分かった私は、この現実世界に対して言い様のない切なさを感じ、暫くの間泣いておりました。
なおこのとき、私以外の家族は既に神奈川に引っ越してまして、関西の自宅には私だけの一人暮らしでした。
職場も従業員はおらず、私一人きりの個人事業です。
このため、自分や周りを見つめて悟りを得る環境としては整っていたのだと思います。
また、私は既に書きました通り、スピリチュアルな世界のことは殆ど何も知らない状態で明け渡しを経験しましたので、明け渡しが生じた瞬間は、自分に何が起きたのかよく分かりませんでした。
そのときは、何となくこれは気づきの一種なのではないかと思っただけでした。
その体験が悟りだとある程度分かったのは、体験の3週間後でした。
また、それが悟りだと確信できたのは、マスターゲット氏から見性印可を頂き、明け渡しから約5ヶ月が過ぎたころでした。
続きは今週水曜日にでも書かせていただきます。
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