今日は、私がゲートさんから見性印可を頂いたときのことについて書かせていただきます。
私は今年2013年4月9日にゲートさんから見性印可を頂きました。
見性印可は、その日の講話の最後に頂きました。
実は私は、自分の見性印可が間近であることは分かっていたのです。
見性印可を間近に感じるようになる前は、私はいつもゲートさんの講話を一番前の席に座って聴いていました。
それが、見性印可を間近に感じるようになってからは、ゲートさんと目が合うと見性印可のことが頭によぎってしまい気まずい感じがして、わざとゲートさんから少し離れた席に座るようにしていたのです。
でも印可を頂いた4月9日は、講話が始まる直前になってもゲートさんの前の席に誰も座らず、席が空いたままになっていたのです。
せっかくの一番前の席が空いるのはもったいないので、暫くぶりに私はその席に座ることにしたのでした。
その席は、ゲートさんとリビングテーブルを挟んで向き合う本当に間近の席でした。
暫くぶりの距離感に戸惑ったのと、やはり自分の見性印可が頭をよぎってしまって気まずいのとで、私は殆どゲートさんの目を見ることができないまま講話を聴いていました。
それで、あることに気がついたのです。
それは、ゲートさんが放たれているエネルギーのことでした。
うまく表現できませんが、ゲートさんが放たれているエネルギーにメッセージのような、あるいはもっと抽象的な情報のような何かが含まれているような気がしたのです。
それで、私はゲートさんのエネルギーに意識を向けてみたのです。
エネルギーに意識を向け始めてから数分が経ったころでしょうか、私は考え(思考)というものが何なのかが分かったのです。
私は、ゲートさんが放たれているエネルギーから読み取るようにして、それを理解したのでした。
私はそのとき、この宇宙(現実世界)が私自身が創った「考え(幻)」であることが分かったのでした。
私たちはみな、「考え(思考)」という手段を通して、各々の宇宙を創りながら、それと同時にその宇宙を感じ、経験していたのです。
だからこそ、私たちは考えの主になり、考えを使いこなせるようになる必要があったのです。
私はゲートさんが放たれているエネルギーから読み取るようにして、それを理解したのでした。
私はそれが分かった瞬間、「これは!」と思ったのですが、それをゲートさんに気づかれるのが気恥ずかしく、講話の前半部分が終わったときも、下を向いたままでいたのです(ゲートさんには私が考えていることなどお見通しなのですが、笑)。
すると、講話の前半部分が終わったときに、ゲートさんが私に、
「慧空さん、変わられましたね」
と、声を掛けて下さったのです。
なお、講話のときゲートさんは韓国語で話され、それを通訳担当のメンバーが日本語に通訳します。
声を掛けて頂いたときは、不思議と見性のことは頭をよぎらず、私の理解をゲートさんが分かって下さったことが嬉しくて、喜びに浸っていました。
その日の講話の後半部分では、今回の東京での講話セッションは、主に韓国の101キャンドルライトのメンバーの方々のご厚意で行われているというお話しや、ひとりの人の悟りがどれほど尊く、掛け替えのないものかというお話しがありました。
私は有り難い気持ちと、かたじけない気持ちで一杯になり、目を伏せてずっと泣いておりました。
そして、その日の講話の最後に、ゲートさんが、
「今日は二人の仏陀が誕生されました」
と仰り、メンバーのKさんの名前と共に、私の名前を挙げられたのです。
私は思わず、目の前のゲートさんと両手で握手し、さらに立ち上がってゲートさんに抱き付きました。
するとゲートさんは温かく抱擁を返してくださいました。
セッション会場で同席頂いた方々からも大きな祝福を頂きました。
その日のセッション会場での時間は、決して色あせることがなく、今でも輝きに満ちています。
続きは来週月曜日にでも書かせていただきます。
私の覚醒体験談はあと2回で終わる予定です。
<補足(2014年11月19日)>
私自身の見性のタイミングについて補足したいと思います。
この文章を書いた当初は、私自身の見性のタイミングについてハッキリとした確信がなく、ゲートさんから見性印可を頂く直前におきた、すばては考えだという確信的な気づきが見性印可に繋がったかのようか印象があったのですが、それは誤解だったのです。
この誤解に気づいたのは、1年近くも前なのですが、いままで放置してました。
今回そこを補足したいと思います。
私の見性のタイミングは、この記事の一つ前の記事(見性体験(4))で書いた、自分自身の考えや行動を「私」が起こしているんだという実感が起こったときなんだと思います。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
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私は今年2013年4月9日にゲートさんから見性印可を頂きました。
見性印可は、その日の講話の最後に頂きました。
実は私は、自分の見性印可が間近であることは分かっていたのです。
見性印可を間近に感じるようになる前は、私はいつもゲートさんの講話を一番前の席に座って聴いていました。
それが、見性印可を間近に感じるようになってからは、ゲートさんと目が合うと見性印可のことが頭によぎってしまい気まずい感じがして、わざとゲートさんから少し離れた席に座るようにしていたのです。
でも印可を頂いた4月9日は、講話が始まる直前になってもゲートさんの前の席に誰も座らず、席が空いたままになっていたのです。
せっかくの一番前の席が空いるのはもったいないので、暫くぶりに私はその席に座ることにしたのでした。
その席は、ゲートさんとリビングテーブルを挟んで向き合う本当に間近の席でした。
暫くぶりの距離感に戸惑ったのと、やはり自分の見性印可が頭をよぎってしまって気まずいのとで、私は殆どゲートさんの目を見ることができないまま講話を聴いていました。
それで、あることに気がついたのです。
それは、ゲートさんが放たれているエネルギーのことでした。
うまく表現できませんが、ゲートさんが放たれているエネルギーにメッセージのような、あるいはもっと抽象的な情報のような何かが含まれているような気がしたのです。
それで、私はゲートさんのエネルギーに意識を向けてみたのです。
エネルギーに意識を向け始めてから数分が経ったころでしょうか、私は考え(思考)というものが何なのかが分かったのです。
私は、ゲートさんが放たれているエネルギーから読み取るようにして、それを理解したのでした。
私はそのとき、この宇宙(現実世界)が私自身が創った「考え(幻)」であることが分かったのでした。
私たちはみな、「考え(思考)」という手段を通して、各々の宇宙を創りながら、それと同時にその宇宙を感じ、経験していたのです。
だからこそ、私たちは考えの主になり、考えを使いこなせるようになる必要があったのです。
私はゲートさんが放たれているエネルギーから読み取るようにして、それを理解したのでした。
私はそれが分かった瞬間、「これは!」と思ったのですが、それをゲートさんに気づかれるのが気恥ずかしく、講話の前半部分が終わったときも、下を向いたままでいたのです(ゲートさんには私が考えていることなどお見通しなのですが、笑)。
すると、講話の前半部分が終わったときに、ゲートさんが私に、
「慧空さん、変わられましたね」
と、声を掛けて下さったのです。
なお、講話のときゲートさんは韓国語で話され、それを通訳担当のメンバーが日本語に通訳します。
声を掛けて頂いたときは、不思議と見性のことは頭をよぎらず、私の理解をゲートさんが分かって下さったことが嬉しくて、喜びに浸っていました。
その日の講話の後半部分では、今回の東京での講話セッションは、主に韓国の101キャンドルライトのメンバーの方々のご厚意で行われているというお話しや、ひとりの人の悟りがどれほど尊く、掛け替えのないものかというお話しがありました。
私は有り難い気持ちと、かたじけない気持ちで一杯になり、目を伏せてずっと泣いておりました。
そして、その日の講話の最後に、ゲートさんが、
「今日は二人の仏陀が誕生されました」
と仰り、メンバーのKさんの名前と共に、私の名前を挙げられたのです。
私は思わず、目の前のゲートさんと両手で握手し、さらに立ち上がってゲートさんに抱き付きました。
するとゲートさんは温かく抱擁を返してくださいました。
セッション会場で同席頂いた方々からも大きな祝福を頂きました。
その日のセッション会場での時間は、決して色あせることがなく、今でも輝きに満ちています。
続きは来週月曜日にでも書かせていただきます。
私の覚醒体験談はあと2回で終わる予定です。
<補足(2014年11月19日)>
私自身の見性のタイミングについて補足したいと思います。
この文章を書いた当初は、私自身の見性のタイミングについてハッキリとした確信がなく、ゲートさんから見性印可を頂く直前におきた、すばては考えだという確信的な気づきが見性印可に繋がったかのようか印象があったのですが、それは誤解だったのです。
この誤解に気づいたのは、1年近くも前なのですが、いままで放置してました。
今回そこを補足したいと思います。
私の見性のタイミングは、この記事の一つ前の記事(見性体験(4))で書いた、自分自身の考えや行動を「私」が起こしているんだという実感が起こったときなんだと思います。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
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