私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

見性体験(3)-自覚ワークを始めたころ

2013年07月21日 08時45分42秒 | 私の体験
自覚ワークを始めたころは、自分や自分の考え(思考)を観るんだと言われても、どうやればいいのかよく分かりませんでした。
頑張って何とかそれをやっているときも、本当にそれで正しいのか手応えが得られず、まさに手探りという状況でした。
それでも教えてもらったことをがむしゃらにやっていました。

最初に私が取り組んだことは、「私」を意識することでした。
「私」がいまここにいるんだ、ということを意識するようにしました。
多くの方もそうだと思うのですが、私の場合、「私」という存在はあまりに当たり前になっていて、それまで「私」を意識したことがなかったのです。
そのため、この「私」を意識するということは、私にとって非常に新鮮だったのです。

「私」を意識すると、うまく言葉で表現できませんが、冷静に自分を観ることができ、気持ちの面でも落ち着いた大らかな気持ちになりました。

そして私は、この「私」を意識することと共に、自分の考え(思考)を観るワークを始めていったのです。

主なワークとしては、前述のようにこの自分を観るワークの他に、自分を愛するワークがあるのですが、自分を愛するワークの方は私にはあまりピンと来るものがなく、見性の直前まで殆どしませんでした。

自分の考えを観るワークでは、各瞬間ごとに自分が考えていることを観ていきました。
それを始めたころは本当に手探りの状態で、ちゃんと観れているのかよく分からないまま取りあえずやるという感じした。

そうやって頑張って自分の考えを観ていると、自分が起こしている考えを捉えられる瞬間があったのです。
そのとき初めて、考えを観ることに少し手応えが得られたのでした。

私の場合は、よく晩ご飯を材料にして考えを起こし、その考えを観察していました(このとき、晩ご飯は職場で食べることが多く、何かを買って来て食べたり、どこかへ食べに行ったりしていました)。
例えば、晩ご飯の選択肢(考え)を順番に頭の中(あるいは、心の中)で思い浮かべていき、その選択肢(考え)が思い浮かぶ瞬間や、選択肢(考え)が頭の中に留まって浮かんでいる様子や、消えていく様子を観察しました。
そのとき、そうやって考えを起こしているのも、その考えを観察しているのも、「私」がやっていることんだということを常に意識するようにしていました。

特に、「私」を意識することは日常の中で徹底的にやっていました。
歩いているときも、「私」が自分の左右の脚を動かしているんだということを意識していました。
左右の脚を前に送り出す度に、「右」、「左」、「右」、「左」という具合に、一歩一歩意識しながら歩いていました。
そして、道を曲がるときも、立ち止まるときも、「私」がそういう考えを起こしてそれを体の動きに繋げてるんだと意識していました。

食事のときもそうです。
例えば、ご飯を食べるのは、「私」がご飯を食べようという考えを起こして、自分の体を動かしてお茶碗のご飯を自分の口に運び、噛んで呑み込む様子を観ていました。
おかずを食べるときも、「私」が次に食べるおかずを選び、選んだおかずを口に運んで味わっている様子を観ていました。

そうやって少しずつ、私は自分や自分の考えを観られるようになっていきました。

また、私はキャンドルライトのメンバー掲示板(キャンドルライトメンバー用のネット掲示板です)への書き込みもやっていました。
自分の自覚ワークで気がついたことや思ったこと、分からないことなど何でも書き込んでいました。
書き込むとことで、自分や自分の自覚ワークを改めて客観的に観ることができましたし、私の書き込みに対する他のメンバーからの沢山のレスポンス(コメント)も得られ、そこから多くのことを気づかせて頂きました。

これを読まれている方は、私の自覚ワークが順調に進んだように思われるかも知れませんね(笑)。
でも私の内面では、いろんな葛藤もあったのです。
ゲートさんと最初にお会いしたとき、ゲートさんは私のことを悟っているとは言って下さいませんでしたが、それでも私は悟っていると思っていましたから(笑)。
それに、明け渡しによって「自我の私」という意識が薄くなってましたので、「私」という存在を強く意識する自覚ワークのやり方に違和感を感じたのです。
自分はもう「自我の私」はないんだということを知っているのに、どうして「私」を意識する必要があのかと思ったのです。
もっと言えば、自覚ワークが自分の悟りに逆行するもののように感じられたのです。

でもそれは、私の誤解だったのです。
自覚ワークで意識する「私」は、「自我の私」というよりはむしろ、「大いなる存在である私」のことだったのです。
それが分かってくるにつれて、自覚ワークに対する違和感がなくなり、ワークに集中できるようになりました。

続きは今週水曜日にでも書かせていただきます。

コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。

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コメント (2)
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