◇悟りの階梯(4)◇
さらに昨日の続きです。
第四の段階は、真我も幻であると認識した段階です。
この段階において、「私は在る」という感覚のうち、「私」という感覚だけでなく、「在る」という感覚も消失します。
この感覚を敢えて表現すると、幻がふわっと存在しているような感覚になります。
この第四の段階と上の第三の段階の違いは、真我に対する理解のみです。
真我を幻であると理解し、真我に対する執着を手放しているか否かの違いです。
真我に対する執着を手放すことにより、実質的にすべての執着が解かれるため、上で書いた無明の迷いからも開放されます。
輪廻との関係については、肉体が滅ぶとき、真我に対するものも含めて、一切の執着が消失してますので、死後は肉体が滅ぶのに伴い、すべての存在要素が消滅します。
この段階へは、真我について行きつくところまで徹底的に理解することにより到達できます。
あるいは、私という存在を延々と展開している迷いの連鎖を絶てば至れます。
この記事の最後に。
悟りの道を歩む際の最大の原動力は、私という存在に対する探求心です。
悟りの道を進むに連れ、私が抱え込んでいた考えである執着が減り、私という存在に対する理解、つまり自覚だけが残るようになっていきます。
そして最後は、その自覚とともにすべてが消え去るのです。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
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第四の段階は、真我も幻であると認識した段階です。
この段階において、「私は在る」という感覚のうち、「私」という感覚だけでなく、「在る」という感覚も消失します。
この感覚を敢えて表現すると、幻がふわっと存在しているような感覚になります。
この第四の段階と上の第三の段階の違いは、真我に対する理解のみです。
真我を幻であると理解し、真我に対する執着を手放しているか否かの違いです。
真我に対する執着を手放すことにより、実質的にすべての執着が解かれるため、上で書いた無明の迷いからも開放されます。
輪廻との関係については、肉体が滅ぶとき、真我に対するものも含めて、一切の執着が消失してますので、死後は肉体が滅ぶのに伴い、すべての存在要素が消滅します。
この段階へは、真我について行きつくところまで徹底的に理解することにより到達できます。
あるいは、私という存在を延々と展開している迷いの連鎖を絶てば至れます。
この記事の最後に。
悟りの道を歩む際の最大の原動力は、私という存在に対する探求心です。
悟りの道を進むに連れ、私が抱え込んでいた考えである執着が減り、私という存在に対する理解、つまり自覚だけが残るようになっていきます。
そして最後は、その自覚とともにすべてが消え去るのです。
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