私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

主導権は自我にある

2014年03月18日 16時32分10秒 | エッセイ
◇主導権は自我にある◇

悟りの世界では、自我は邪魔なもの等の雰囲気があるような気がします。
悟りの道が、結果として自我を滅していくことになるので、そのような雰囲気というか風潮が生じやすいのかも知れません。

しかし、そのような風潮には大きな誤解が含まれている可能性があるのです。
どういうことかと言いますと、私という存在の展開の方向性を決めているのは常に自我なのです。
例えば、今世で金持ちになる、出世する、有名になる、さらには悟りを得るなども、自我がその意思により決定した展開なのです。

なぜなら、私を中心としたこの世界は、そもそものところ、自我が分別によりつくった考えにより展開された世界だからです。

但し、自我がつくった考えがすべてリアルタイムで直に世界に反映される訳ではないのです。
ここが自我の自我たる所以でもあります。
自我(分別)が成立するためのには、不可避的に自我に意思実現の不完全性が内包されている必要があるのです。
自我がつくった考えは、リアルタイムで直に世界に反映されるものと、執着として真我に一旦溜められて所定時間経過した後(来世持ち越しのケースも多いです)、世界に反映されるものとがあるのです。
そして、各瞬間の世界は、過去に蓄積された執着に基づいて真我が展開する世界のベースの上に、リアルタイムで自我がつくった考えが重ね合わされるようにして構成されます。
ここに、自我の意思実現の不完全性の原理があります。
しかし念のため繰り返しますと、真我が反映する執着も、もともとは自我が過去につくった考えですから、この世界を構成する考えは、すべて自我がつくった考えなのです。

それで、私が言いたいのはこういうことなのです。

根本的には、自我がつくる考えがすべてなのだということです。
この世界をつくっているのは、自我の考えなんだということです。
どうしたいのか、どうなりたいのか、それを決定するのは自我なんだというこです。
その主導権は常に自我にあるんだということです。
主導権を握っているのは真我ではないんだということです。

そして、自我を放棄して私という存在を終わらせるときの選択権も、自我にあるんだということです。


なんと素晴らしき、私、自我!!!


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読んで頂いてありがとうございました。

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