私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

梵天界について

2014年03月12日 14時23分16秒 | 私の成り立ち
◇梵天界について◇

つい最近になって梵天界のことについて少しずつ分かってきたことがあり、輪廻との関係で改めて考え直しています。
先日書いた悟りの階梯という記事の中では、悟りの階梯の第三の段階に到達した存在は、死後は梵天界へ行き、その後真我への執着の消滅と共に消滅すると書きました。
これは実はお釈迦さまが仰ったことなのです。

私も最初はお釈迦さまが仰ったことをそうなのかと受け入れていたのですが、実は本当にそうなのかと思わないでもなかったのです。
梵天界での経験で無明の迷いから本当に脱せられるのかと思ったのです。
そして、梵天界のことを理解するに連れ、ことはそう単純ではないように思い出したのです。

梵天界は「私」という感覚が落ち、真我に完全に覚醒した存在が行く世界ですから、梵天界の存在の感覚は、私たちの感覚からすると、私という自我の感覚よりも真我の感覚が主体となります。
また、真我以外に対する執着は既に解放されていますので、殆ど空っぽの真我だけがある世界です。
ですからそこは基本、何も無い暗闇なのです。
その暗闇の中で、空っぽの真我に附属した私という自我が時折顕在化するのです。
それはおそらく、途方もなく続く真我の眠りの中で、私という自我がうっすらと時折目を覚ます、そういう感覚なのです。

うっすらと目を覚ますように自我が顕在化したとき、そこは何も無い暗闇の世界なのです。
但し完全な暗闇という訳ではなく、あちらこちらと自我の意識を展開させれば、遠くの方に微かに感じる光が見える場合があるのだろうと思うのです。
あるいは、暗闇に耐えかねて自我が考えにより光をつくり出す場合もあるのだろうと思うのです。
そして、その光が、新たな迷い、つまり執着をつくり出してしまうことがあるのではないかと思うのです。
そしてさらに、その迷いによりこの現実世界へ再び生まれてくることがあるのではないかと思うのです。
このような迷いによりむしろ、梵天界を経て解脱に至るケースよりも、再び現実世界に生まれてくるケースの方が圧倒的に多いのではないかと思わないでもないのです。


賢き人よ、その肉体のあるうちに私という存在の本質を完全に理解し、すべての迷いを断ち切られんことを切に願います。


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読んで頂いてありがとうございました。

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