私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

苦しみは私の本質へのゲート

2014年03月11日 23時51分36秒 | エッセイ
◇苦しみは私の本質へのゲート◇

悟り世界では通常、幸福感、満足感、喜び等と、苦悩、不足感、おそれ等とは、相対的なものであり、それらは互いに対を成す等価なものであると考えられています。
しかし、この考えは本質的に間違っています。

幸福感等と苦悩等とは対をなす相対的なものではなく、苦悩等がベースにあり、幸福感等はそこから派生的に生じる感覚なのです。
あくまでもベースは、苦悩等なのです。

それはなぜか。

それは、私という存在の根底にある感覚(考え)が苦悩、不足感、おそれ等の否定的な感覚だからです。
私たちの知り得ぬ何らかの要因により私という存在が生じたとき、私は最初に苦悩等の否定的な感覚をつくったのです。
あるいは、つくってしまったのです。
私という存在は、まず最初に苦悩等の否定的な感覚(考え)をつくったため、その否定的な感覚から逃れようとして連鎖的に延々と考えをつくり続けているのです。
幸福感等の感覚は、その連鎖的につくり出される考えに含まれる一時的な過程でしかないのです。
私という存在の根っ子の感覚が苦悩等の否定的な感覚ですから、私という存在のベースとなる感覚も自ずと否定的な感覚の方に偏っているのです。
お釈迦さまは、このことを無明の迷いとか、一切皆苦等と言いました。

この文章を読まれた方は、この慧空という人はどうしてこんな暗い話題を記事に書くのかと思われるかもしれません。
でも私は、この記事を敢えて書くことによってお伝えしたいことがあるのです。

その伝えたいこととは、苦悩や不足感等にこそ、私という存在の本質へ向かうゲートがあるなのだというこです。
また、苦しみにしっかり向き合ってこそ、私という存在の本質に到達できるのだというこです。
なぜなら、私という存在の本質は苦悩そのものなのだから。

敢えて言います。
苦しみこそ、あなたご自身が得られた貴重な貴重なギフトなのです。
苦しみが大きければ大きいほど、貴重なギフトなのです。
そして、あなたがそのギフトを得られたということは、あなたがそのギフトを享受し得る存在だという証明なのです。

幸せの中には、私の本質へのゲートはないのです。
苦しみに中にこそ、私の本質へのゲートがあるのです。

苦しみは自ずと、あなたの意識をあなたの内面に振り向けさせます。
そして、あなたの心の勉強を推し進め、あなたを私の本質のゲートへ向かわせます。
これに対し、幸せは一時の休息にしか過ぎないのです。

苦悩の中におられる方は、つい苦しさに翻弄されてしまいがちです。
しかし、あなたがせっかく得られた貴重な貴重なギフトなのです。
どうか、しっかりと経験していただきたいと思います。
向き合っていただきたいと思います。
受けて立っていただきたいと思います。

そして、ぜひ私の本質へのゲートを潜っていただきたいと思います。
そのギフトを得られたあなたは、そのために生まれて来られた方なのだと思います。


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読んで頂いてありがとうございました。

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