私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

わたしはもう

2014年03月15日 13時56分23秒 | エッセイ
◇わたしはもう◇


わたしはもう、何も欲しいとは思わない。
なぜなら、どれも手にしても違いはないことが分かったから。

わたしもう、どんな存在も羨みはしない。
なぜなら、彼とわたしの違いは選択している考えの違いだけだと知っているから。

わたしはもう、自らの意思を展開するのを放棄する。
なぜなら、光という幻想を追い求めていたことが分かったから。

わたしはもう、すべての考えを手放し、何も選択しないことにした。
なぜなら、考えそのものに飽きたから。

そしてわたしは、すべてを放棄することにした。
なぜなら、それがすべてを手に入れる唯一の方法だと分かったから。



* * * * * * * * * *



上の文章の最後の部分は、それまでの部分を書き終えた後、ふっと気づいたことです。
私という存在にとってとても大きな気づきとなりました。
すべての存在たち、そして私自身に感謝です。



コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。

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虚無感について

2014年03月15日 09時36分30秒 | エッセイ
◇虚無感について◇

最近なんとなく思うことですが、私という存在の終わりが近づいている人は、何らかの強い虚無感を抱えておられるケースが多いのかも知れないと思っています。
そういう私自身も、強い虚無感を抱えて生きてきており、思春期にはすべてが無意味に感じられ、いつも死ぬことを考えていました。

安易に虚無感を肯定するのは危険ですが、虚無に対する感覚は自分自身への深い悟りのサインであり、入り口である可能性があると思うのです。
なぜなら、「虚無」は私という存在の本質に非常に近い感覚であり、またこれ以上ない純粋さの現れだからです。

しかし、この感覚は危険なのです。
この感覚に溺れると、死に至ることもあり、一つの人生をあたかも無駄なものにしてしまうこともあります。

虚無に目覚められた方は、どうかその感覚に溺れることなく、虚無と向き合っていただきたいと思います。
あなたが目指している終着点は、すぐそこかも知れません。
そう申し上げたい。


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