◇一つに絞る◇
多くの方は、あっちこっち、あれもこれもと目移りし、気持ちや行動が定まりません。
どうしてそうなってしまうのでしょう。
それは、何が自分にとって大切なことなのかについて、追求と吟味が足りないのです。
そもそも人が集中して取り組めることは、一つだけです。
あれもこれもは無理なのです。
一度立ち止まり、何が自分にとって一番大切なことなのかを徹底的に追求してみて頂きたいと思います。
今からでも遅くはありません。
◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
◇セッションのご案内はこちらです。
※現在は講話会や対面セッションはやっておりません。
スカイプを使った無料の30分程度(最大1時間)のセッションのみ行っています。
ご希望の方は、suiku2013☆yahoo.co.jp(☆を@に替えて下さい)へご連絡ください。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
哲学・思想 ブログランキングへ
多くの方は、あっちこっち、あれもこれもと目移りし、気持ちや行動が定まりません。
どうしてそうなってしまうのでしょう。
それは、何が自分にとって大切なことなのかについて、追求と吟味が足りないのです。
そもそも人が集中して取り組めることは、一つだけです。
あれもこれもは無理なのです。
一度立ち止まり、何が自分にとって一番大切なことなのかを徹底的に追求してみて頂きたいと思います。
今からでも遅くはありません。
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それはとてもいいことだと思います。
モヤモヤについてその正体が何なのかと気になったり、それをどうにかしようと思われるでしょうが、それはなかなか難しいことです。
それが解決するのは、悟りの行程が終わるときです。
いまは、自身の内面にモヤモヤしたものがあることに気づけていればそれで十分です。
いずれそこに、意識をフォーカスするようになるときが来ると思います。
ですが、2015年の4月のもので、モヤモヤを誤魔化さないで というのが気になりました。
モヤモヤするものあります。まさに今あります。それを見つめるとはどういうことですか?気分を切り替えて他所を向かずにモヤモヤしているな〜と思っていること?モヤモヤが起こる自分の内面の原因を理解すること?的外れな質問かもわかりません。
先日、嫌な感情が起こっているときに「うわ〜こんな感情が起こっている」と思って、そんな感情になったことを悲しくなりました。起こった瞬間は気づいていませんでした。
今まで思考が起こってから感情が起こるものだと思っていました。でもそのときは思考もないままに感情に気づいたのですが、思考に気づかずにいたのか、感情から先にくるものなのかわかりませんが、少し戸惑いました。ご返事いただいて、このまま続けようと決心しています。ありがとうございました。
>感情が起こったときに(不安感、嫌悪感など)は消えません
無理に消そうとしなくても、大丈夫です。
継続的に考え(感情等も含めた)の連鎖が展開しているときは、なかなか消えません。
えむさんは、感情等を含めた考えが湧いてきているに気づけていますか?
それができていれば、考えが消えなくても大丈夫です。
気づいた状態を維持していれば、問題ありません。
しかし、感情等を含めた考えが湧いてきているときに、それに気づけなくなってしまうようなら、私に対する集中力が足りないのでしょう。
自分はもう絶対に、感情等の考えに翻弄されないぞという強い決意の下、自分への集中を続けてください。
ここは自覚の基本というか、ベースになるところなので、上手い方法等はありません。
単純にやるしかない、そういうものです。
思考は気づいたら消えて私の状態に戻ることができていると思うのですが、感情が起こったときに(不安感、嫌悪感など)は消えません。しばらく残っていて、なかなか私の状態に戻れないです。そういうものなのか、続けていたらだんだんと上手くいくようになるのか、やり方が間違っているのか...
そのような感覚になってから、今にいようとしても集中できる時間が少ないとかいろいろと、ワークについての思考も渦巻いたり...
とりあえず、胸に手を当てて私を感じることに集中することだけはできてると思うのですが、こんな私に何かアドバイスあればお願いしますm(_ _)m
返答していただけるかわからないと思っていたのに、
こんなに丁寧に教えていただいて感謝します。是非やってみます。
自覚というか、思考を観察するという取り組みはできておられると思います。
初心者と仰る割には、上手くやっておられるとも思います。
>気づいたとたん、思考が消えてしまう
それで合っています。
思考に対する強い気づきが起きたときは、思考が消えてしまいます。
>このまま気づくだけを続けるのでしょうか?
気づくだけを続けて行くというやり方もありますが、私としては、「私」に対する観点にもっと注目しながらその取り組みを続けられることをお勧めします。
具体的にどうやるのかと言いますと、まず基本として、「私」に意識を向けた状態を作ります。
そして、その状態を保ちながら何か思考が浮かんできたら、その思考に対してそれを観る(観照する)という取り組みを行います。
「私」に意識を向けている状態で思考が浮かんで来て、その思考に意識を向ける(注目あるいは集中する)と、「私」へ向けていた意識は瞬時に消え(「私」も消えますが)、思考に意識を集中した状態となります。
しかし、次の瞬間、意識を集中したその思考も消えてしまいます。
そうしたら、また「私」に意識を向け直し、その状態に戻り、次に浮かんでくる思考に備え、思考が浮かんできたらその思考に意識を向け集中します。
以下、その繰り返しを延々と続けます。
>思考が消えたあとその思考(考え)を分析するのでしょうか?
分析する必要はありません。
>思考が湧いている状態と、気づいた状態は同時に存在できるものですか?
同時には存在できません。
ご質問の内容から真剣に取り組んでおられる様子はよく分かります。
さらにご質問等があれば、遠慮なくどうぞです。
いつの間にか思考が湧いてきていて、「思考が出てきているな」と気づけることはできるのですが、気づいたとたん、思考が消えてしまうので、観察というか、続いてみていけません。
このまま気づくだけを続けるのでしょうか?
思考が消えたあとその思考(考え)を分析するのでしょうか?
思考が湧いている状態と、気づいた状態は同時に存在できるものですか?
どうぞ「本当にやりたいこと」に取り組んで頂きたいと思います。
応援してます!
さすが慧空さん、おっしゃる通りです。
自分の中では薄々分かっていたのですが、「ひと押し」が欲しいとわずかながら感じていたためにコメントさせてもらったんです。
2〜3年前から漠然と感じていた「このままではいけない」という思いに従い、お盆から自覚を本格的にすると決断しました。
(病気なら症状放置で早期発見は失敗ですね笑)
それでやりたいことも明確化されていくうちに、「本当にやりたいこと」と「自覚」が繋がっているように感じたんです。
「本当にやりたいこと」をできないほど自我が厚いうちは、自分にとっては自覚が「やりたいこと」であって、その気持ちは「本当にやりたいこと」を知っている心の奥からの要請なんだと。
自覚により自我が薄くなった時には「本当にやりたいこと」が「本当にやりたいこと」になると心の奥では分かっていたために自覚がやりたくなったんだ、全ては繋がっているんだと分かったんです。
ですから、まだたまに怠けてしまうこともありますが、そういう時はしっかりと自覚して、少しでも本心を明らかにし、行動します!
忘れてませんよ^^
自覚をやっておられたのですね。
それで、ご自分のやりたいことに向き合えるようになられたと。
素晴らしい!
>そこで質問なのですが、「やりたいことをする」という行動と「自覚をする」という行為はバランスよく考えるべきなのでしょうか?
私がお答えするより、ご自分で既に答えを分かっておられるはずだと思いますが、一応お答えしますね。
簡単な話です。
その「やりたいこと」と自覚と、ウォッカさんはどちらの方をよりやりたいと思われてるのでしょうか?
ご自分のその気持ちに素直に従えば良いだけです。
(私のことは忘れているかもしれませんが笑)
自覚をやっているうちに、本心(本当にやりたいこと)が明らかになってきました。
初めて分かったような書き方をしましたが、厳密には、やはり昔から変わらずずーっと分かっていたようです。
これじゃないんじゃないか、とかボーッとして快感に浸ったりして目を背けていただけでした。
そこで質問なのですが、「やりたいことをする」という行動と「自覚をする」という行為はバランスよく考えるべきなのでしょうか?
例えば、やりたいことをやって、またサボり気味になったら自覚をして調整して…というふうに臨機応変にやっていくほうがいいのか、もしくは自覚の中にやりたいことががある(またはやりたいことの中に自覚がある)というふうに、どちらかが優先されるべきなのでしょうか?
後悔しないようにやっていれば、結果は問題になりません。
基本的には、そうなのだろうと思います。
人には常に否応なく希望や願い、欲があり、それが満たされたら感謝することがあるという傾向がありますね。
また、悟りさえも、明け渡し等の初期段階の悟りは苦しみを通してもたらされることがあり、そのような悟りが起こったときは、まさに苦しみ対する感謝が起こります。
過去の悟りの過程で、苦に感謝したことはあります。
しかし、今は少しは感謝する気持ちもありますが、余りありません。
なんせ、苦ですからw
苦に感謝することはできるでしょうか 慧空さんは苦に感謝してますか