私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

しっかりと生きることが悟りの種を育む(1)

2014年04月14日 10時54分36秒 | 悟り
◇しっかりと生きることが悟りの種を育む(1)◇

多くの方の場合、その生でどの段階の悟りまで得られるかは、それまでにその方がつくり上げた、その方自身の本質に向けられた意識のベクトルの強さによって決まるのだろうと思っています。
つまり、存在の本質に向けられた意識のベクトルの強さが肝要なのです。
言い換えれば、それまでにつくり上げられた自我の方向性と強さによって決まるのです。

どういうことかと言いますと、多くの方の場合で、内面に向けられた意識のベクトルに導かれるようにして悟りの道に入るのですが、最後まで行く前に途中の段階で一旦終了される方が多いのです。
その方がつくられた意識のベクトルの強さに応じた段階の悟りが得られると、満足感が生じてしまうのです。
その段階の悟りを掴んでしまい、そこで停滞してしまうのです。

別にそれが悪い訳ではなく、各自がやりたいようにやっているだけなのでそれでいいのですが、その方が本当にそれで納得できているのか大いに疑問を感じるのです。
なぜなら、まだ迷っており、殆どの例でまだ苦しんでいるのが分かるからです。
迷っている以上、やはり納得できてはいないのです。

ではどうしたらいいのでしょう。

悟りの道を歩まれ、それなりの悟りを得ておられる方に申し上げたいことは、まずは、それでご自身が本当に納得できているのかを深く深くご自分に問うていただきたいのです。
どこかで自分の心をごまかしてないか、深く深く確かめていただきたいのです。

深く深く問い、深く深く確かめていかれるうち、きっと新たな発心が起こってくるだろうと思うのです。
そうやって、最後の最後まで進んでいっていただきたいのです。

既に悟りの道を歩まれている方に申し上げるのは少し抵抗を感じるのですが、悟りについて云々される前に、しっかりとした自我をつくっていただきたいと思うのです。
なぜなら、内面に向かう強い意識のベクトルを持った自我をつくり上げること、それがすべてであると言っても過言ではないからです。
そういう意識を持った自我がつくられたなら、その時点でその後の展開はもう決まっていると言えるからです。
そのような自我は、いずれ自己の本質を解き明かそうとする強い衝動が生じ、その衝動に突き動かされるようにして自ずと進んでいくのです。
そして、行きつくところまで自ずといくのです。

では、そのような自我をつくり上げるためにはどうしたらいいのでしょう。

それは善行であり、しっかり生きることなのです。

しっかりと生きることが悟りの種を育むのです。


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