ハナウタ うたこの「宝物がいっぱい」

自分にとっての「好き」や「嬉しい」を集めて綴る、ささやかなことのブログです。

騙す女(だます、おんな)

2015年04月23日 | ❻ 〇〇な女

母という人は、私の母という人は 本当に罪深い人です。

私が里帰り出産をした14年前に初めて知った真実を今日は記しましょう。

 

小さい頃から私の小食は母の悩みのたねだったようで

好き嫌いはダメ、もっと食べなさい、やれ残すなとさんざん言われて育ちました。

だからといって量を減らすでもなく カットや味付けに工夫をするでもなく、

“出されたものを食べる”という子ども側の努力を強いました。

そして期待に応えられない私はいつも怒られてばかり。

「食べる」辛さをいくつかの古い光景の中に今でも思い出したりします。

 

父は始発電車で出勤して終電で帰るような生活だったので

食事は母と妹と3人が多かったのですが、

忙しい母は始終 台所とちゃぶ台を行ったり来たりしているし

食べ終わるとすぐに別の家事に取り掛かるために先に席をたってしまう。 

こうした巧妙な隠ぺい工作にまんまと騙されて

私は全く気づかなかったのです、母の隠された真実に

 

 

14年前に知った母の真実、それは罪深いにもほどがある

実は母が超が付くほどの『偏食家』だったということです

 

仕事を無事勤め上げて退職した母は その頃頼まれて市内の神社の事務をしていました。

娘が出産するからと仕事に融通を付けて貰った母と

初めて3度の食事を共にするわたし。

そしてコトは発覚したのでした。

 

 

鶏肉ダメ、牛肉ダメ、豚肉はOK。

チキンやビーフでダシをとったスープなども当然ダメ。

魚は小田原アジ(開き)と塩鮭のみ可。

刺身NG。

うなぎもダメ。

野菜も苦手多し。特にネギ、ニンジンが。

納豆、牛乳、チーズ、バター、ヨーグルト・・・乳製品全般ダメ。

おい、おい、おい

何食べて生きて来たんだ

 

母の口から 次々と明かされていく真実に

「うそ?・・・ホントに!?」を連発するばかりの私。

 

  知らず知らず歩いてきた 細く長いこの道

  振り返れば遥か遠く 故郷が見える・・・・

 

母の大好きな美空ひばりがどこかで歌っています。

ああ、そうか、私の心の中で、か。

知らなかった・・・・本当に知らなかった。

ひばりさん、私30年以上知らずに生きてきたんです・・・。

 

本当の自分を告白出来たことにほっとしたのか

隠し事のひとつを公にしたことで肩の荷を下ろした母は解放されていきました。

 

私が戸棚の奥にカップヌードルシーフード味の買い置きを発見したのは

それから間もなくのこと。

禁止したよね、私には

体に毒だから食べちゃダメだよって言ったよね

 

孫が成長するにつけ、我が目を疑う事ばかり。

実家にジュースが買い置きしてある

あー、うちの子にこっそりヤクルト飲ませてる

まだ解禁していないラムネやチョコ 食わしてる

 

 

でも大人になると昔の辛かったあれこれが、懐かしくも遠い過去のこととして

笑い話になってしまうのですね。

私の富士山は噴火することなく 鳴門の渦潮のように荒れ狂う事もなく

笑い話としてお披露目される程度で許されていく。

時の流れは偉大なのです。

ただ川の流れのように緩やかに過ぎていく 母と子の確執なのでした。

 

 

  PS.この事実を知った当時 私はすぐさま妹にチクりました。

   「マジーーーー なんなのお母さん

    と妹が噴火してくれたので 私も「でしょでしょーー」と同調し、

    妹の驚きっぷりで スッキリしたのでした。

    めでたしめでたし。

 

 

 


祝!猫散歩

2015年04月22日 | ➍ 犬とか猫とか

約1ケ月前の3月23日に 我が家の男チームの小さい方の人がパニック状態になり、

以来 家から1歩も出ない状態が続いていましたが

昨日1ケ月ぶりに猫道散歩に誘われました

一喜一憂していては身が持たないのは自分が一番よく知っているのに

着替えも出来なかった1ケ月間を思うと やっぱり少しホッとします。

 

どうかどうか いっぱい猫に会えますようにと必死に念じつつ、

でも、全くいない日もあるんだからこればかりはどうにもならないんだよな~

と心にダメージを受けた時の防衛をはりながらのスタートです。

あれやこれや考えてしまうのは 小さい方の人といる時のクセになってしまいました。

どこかで必要以上に気を使ってる~。

親なのに ・・・・親だから

気は「遣ってる」を含めた「使ってる」です。

もう習慣化してる。

分からないことが多いから、かも。

だから知ろうとして アンテナを張ってしまう。

そう、いろんなスイッチをおおかたOFFにしても、

必ず入ってるスイッチというのがあります。

誰のためでもなく 自分のために入れてるんですけどね。

そういう自分をわかっていても疲れます。

ラクな自分に戻って からっぽの心で風に吹かれるのは 

一人でいるときにしか出来なくなっちゃった。

みーんなそうかもしれないですけど。

 

 

と、気持ちを整理したところで 昨日の猫道。

久々の「ほぼくろ」さんです。

会いたかったにゃ~ 

ほぼくろさんにそっくりな でもほくろのない子が他に2匹います。

昨日は会えなかったけど。

 

 

「ゆすりん」?  違う?  ・・・どなた?

私 昼間ゆすりんに会ったことないから 実は顔がよくわからない

 

 

こちら様、片腕がトラ模様なので「てとら」と呼ぶことにしました。

 

 

モンローウォークみたいにセクシーに歩くから「マリリン」と。

 

 

マリリンにそっくりな猫が3匹くらいいて 身内なのでしょうね。

マリリンは人懐っこさが半端ないのですが、他のマリリン似の仔たちは

警戒心が強くて2~3m離れたところまでしか近づいてこない。

 

 

小さい人曰く この子もマリリンたちのグループだそうです。

 

 

近所の子どもたちが「魔っくろ」と呼んでる猫かな?

黒猫も結構いるのでこちらも身内かな、と。

 

昨日は小さい方の人 「明日も猫散歩行きたい」と言いました。

もうそれだけで私の気持ちは「」です。

例え明日行かなくてもです。

進んだり戻ったりが他の人より多い小さい人の人生ではよくあるのです。

急に大きくは変化しないので見落としがちなのですが 

小さい変化に大きな意味があったりします。

「自分だったらこうだな」という私自身の感覚があまり通用しないので

余計なアンテナを張るわけですが、

今の「明日も行きたい」は、

“ひとりで飛行機乗って北海道旅行に行く” くらいすごいことだと思うことにします。

 

 

さて 今日は天気がよいので ひとりでも散歩に行くつもり。

小さい人も一緒だったら嬉しーな。

 

 

 

 


ワカメちゃんはあのままでいいの?

2015年04月21日 | 🐤 日記

日曜日の夕方、久しぶりにサザエさんを見ました。

何年振り? いや、十何年振りかな?

のどかでした~サザエさん。

お手本のような2次元で。

 

磯野家はまだ昭和の設定なのですね。

あいかわらず 家族団らん時に子どもたちは座布団なしだし、

黒電話使ってるし、

スポンサーは東芝だし、あ、これは関係ないない。

冷蔵庫や炊飯器なんかの家電は古いしタイプだし、

ワカメちゃんは9才なのにパンツ丸見えだし

 

サザエさんが24才だから、姉妹の年齢差は15才

波平さんもああ見えて 実は54才?の現役バリバリのサラリーマンですもんね。

(ご本人には言えませんが 私には70過ぎ、80才近く見えます。)

 

そしてサザエさんといえば 何といってもやはり私の中では嘉門達夫大先生ですね。

『NIPPONのサザエさん』じゃなくて「山の幸」編の方です。

「もしもサザエさんの登場人物が海の幸ではなくて山の幸だったら」みたいな方です。

短いんだけど大好きです。

「は~い 来週のキノコさんは~~~

 ワラビでーす!   」

 

・・・と続くやつ。途中忘れちゃって今思い出せないのが悔しいけど、最後は

 

「『ゼンマイ兄さんフキノトウさんと大喧嘩』

 『つくしの初恋』

 『タケノコ ヨモギと飲みに行く』

 の3本でーす!」

ってな感じで終わるんです。

 

・・・・ちょっとCD探してこよう。

どっかにしまってあるはずだから。

小ネタだからさすがにYouTubeにはないかな~。

・・・小さい方の人、記憶力いいからもしかしたら覚えてるかな?

よし、後できいてみよう

あ~~久しぶりに嘉門達夫な気分になってきました

今日はな感じでスタートできそうです。

 

ワカメちゃんの問題提起をしようと思ったけど、この件はしばらく様子見で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


近所の難しい家

2015年04月20日 | ❺ 追憶の日々

実家のはす向かいに 超がつくほど節約家の一家が住んでいました。

農家じゃないのに ほぼ自給自足的な生活をしていらっしゃいました。

畑を借りて野菜を作り、ニワトリを飼って卵をとる。

近所のスーパーを自転車で回って 捨てるような半端なものを貰ってる。

いいんじゃない、ってことと いいのかな・・・ってことが入り混じってる。

 

庭はほとんどないのですが、家と道の間に柵を作っていないので

道も自分ちの一部のように使っていました。

駐車場として。駐輪場として。それから花壇として。

よく、役所の人ともめてました。

 

また家の南側が人んちの畑に面していて その畑は家庭菜園として貸し出されていたので

(住宅地なのですが、取り残されたように畑があったんです。去年とうとうマンションに

なってしまいましたが)

自分ちに面した1区画を借りて その畦道も含めて庭のように使っていました。

段ボールや発泡スチロールのケース置き場として。

使わなくなった鍋やフライパンなどのゴミ置き場として。

 

極力電気を使いたくないと言って、夜明けとともに起き 日の入りとともに寝る生活。

日が暮れてからは家族全員一部屋に集まり、その部屋以外は消灯です。

灯の消えた家は人の気配もありません。

寒い冬に暖を取るのは 電気でもガスでも灯油でもなく練炭だそうです。

 

3人の子どもはいつも薄着で 痩せこけて 体が汚れていましたが

とても凛としていて 近寄りがたかったです。

近寄りがたかったのは私だけではなかったようで、今思えば子どもに罪はなく気の毒ですが

おじさんもおばさんも恐そうな人だったし、何しろ変わってて・・・・。

 

私が小学校に上がる時、

鍵っ子になるので何かあったらよろしくとあいさつに伺ったおり

お茶を入れていただいたのですが

お茶請けは スイカの皮のぬか漬けでした。

誰のかわからない不気味な歯形がついていて 何度も勧めて貰ったのですが

恐ろしくて手が出せませんでした。

こういうお茶請けを見たのも、

出されたものに手を付けない失礼な母を見たのも初めてでした。

 

ある時 回覧板を持って来てくれたおばさんの服に目が釘づけになりました。

「〇〇工務店」とか「△△水道」とか印刷された薄いペラペラの手ぬぐいを

4枚縫い合わせただけの布を服の代わりに着ていたのです。

 

工務店や水道屋さんはおばさんに広告宣伝料を払ってあげて。

もしくは営業妨害だと訴えて。

 

 

そんなある日私はまた不思議な光景に出合いました。

我が家の周囲を塀に沿ってぐるりと様々な容器が取り囲んでいるのです。

容器には水がなみなみはってあります。

何のまじないだ?

雨乞いか?

それとも新種の猫よけか?

あ・・・うちで猫飼ってるんだからそれはないな。

遊びか?

容器はどれもひん曲がっていて そうとう年期が入ってるから

・・・容器の消毒か?

「お母さんたら何のつもりか知らないけど みっともないからやめてよ」

と言いに行くと母は首を横に振りました。

「あれ、角のおばさんだから」

 

どうやら水を温めて 料理やお風呂に使っているらしい。

いいアイデアかもしれないけど なぜ うちで

・・・・お願い、うちから手を引いて。

自分ちに戻って。

・・・・・と言えるはずもなく、暫く黙認していましたが、

近所の人からはうちがやってると思われてるらしく興味本位にいちいち聞かれるし、

うちとしてもヘンな家として地域で孤立してもなんなので 

とうとう父が 角のおばさんにやめて貰えるよう申し入れることになりました。

その後、あたらずさわらずのお付き合いが出来てるところをみると

父はうまくやってくれたのでしょう。

 

 

ずっと、貧乏なのだと思っていました。

でもそれは大いなる誤解であることが ある日判明したのです。

そこのうち、なんと市内に3件も家を建てていたのです。

3人の子供たちに1件ずつ

将来のことを考えて

 

なにをもって幸せというかは、家族の数、いや 人間の数だけあるということでしょう。

そしてその幸せは人に判断されることではなく 自分が決める事。

住宅街で自給自足的な精神を貫いた両親を 子どもたちは今どう思っているのか

機会があったら是非とも聞いてみたいです。

でも聞く機会ないだろうし、あっても私が聞けないな。

 

今私が知っているのは、末のお嬢さんが結婚して北海道に行っちゃった・・・ってことだけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ママと呼ばないで

2015年04月17日 | ❸ ブラックハナちゃん

男チームの小さい人は私のことを「母ちゃん」と呼びます。

4歳の頃からずっとです。

かれこれ10年「母ちゃん」です。

そして父親である旦那のことは「父さん」と。

ちなみに私はこの呼ばれ方がすごく好きです。

 

ところが旦那は私を小さい方の人の前では「ママ」と呼び、自分のことを「パパ」と呼びます。

「ママに言ったのか?」とか「パパによこせ」のような使い方です。

そして旦那の実家の両親も 小さい人に対して私のことを「ママ」、旦那を「パパ」と呼びます。

「ママに渡してね」とか「パパと相談しなさい」のような使い方です。

 

 

私は子どもが私を「母ちゃん」と呼ぶのに

なぜ旦那とその両親が私を「ママ」呼ばわりするのか全くわかりません。

気持ち悪いです。

はっきり言って、すっごーく気持ち悪いです。

旦那には

「子どもが母ちゃんて呼ぶのにあなたがママって呼ぶのはおかしいよ。

 ママって誰よ せめてお母さんにしてよ」

と何度も申し入れていますが、まったくやめてくれません。

 

旦那の実家の両親にしても、なぜ子どもが使ってもいない「パパ」「ママ」で

呼ぶの???。

ちょっとキモイんですけど。

そんなに「ママ」って呼び名を使いたいの?

もしかして旦那たちはアメリカンファミリーに憧れているのでしょうか?

私はそこに巻き込まれているのでしょうか?

こういうところでの旦那家族の一致団結感がすごく怖いです。

 

 

 

  ※ママ友から「〇〇君ママ」と呼ばれることや、Nちゃんが私を「うたこママ」って

   呼ぶのは全く別物です。だって全然ニュアンスが違うでしょう?