ハナウタ うたこの「宝物がいっぱい」

自分にとっての「好き」や「嬉しい」を集めて綴る、ささやかなことのブログです。

戦いに敗れて、今日はもう風に身を任せようと思う

2015年04月15日 | 🐤 日記

ひと月ほど前に髪を切りました。

 

ようやく広瀬すずも射程圏内に入ってきたので

揃えて貰って あとはいよいよすずちゃんになるのを待つばかり って状態に

しようと思っていたのですが

「ハナウタさんにボブはちょっと・・・どうだろう・・・」

と10年来の旧知の店長が渋るので ワケをきいたら

私の後頭部はとっても丸みがあって自己主張が激しく ハチも大きくて立派なので

ある程度その形に合わせてカットした方が見た目がいいのだそうです。

私が広瀬すずにすると、ハチの部分から下が さらりと落ちずに

スキーのジャンプのように髪が勢いよく外に跳ね

結果 末広がりの縁起のいいスタイルになってしまって残念な感じになるのだそうです。

知らなかったよ。

もしかして中学生の時のあだ名がピラミッドだったのは そのせいだったのかな?

 

そこまで私を知り尽くし、私が少しでもよく見えるように心をくだいてくれる店長に

全幅の信頼を寄せた私は 今回は全てお任せしてみることにしました。

この命預けるよ、店長

私をシンデレラにしてちょうだい

 

どこをどう間違ったのか

最終的に鏡に映ったわたしは イモトアヤコでした。

んーーーーこれは・・ちょっとどうだろう・・・・

・・・もう テンションがだだ下がっていくのを自力で止められないんですけど・・・・

 

さすがに焦ったのか店長はバックヤードから コテ?カールドライヤー?を持って来て

私の短い髪をクルクルしてくれました。

ちょっとだけ可愛くなる私。

ああ、なるほど ここまで込みの髪型だったのか。

「でも店長、私コテ持ってない」

と言うと 店長は

「さっきウクレレ貰うって言ってたの、アレ コテに変更できないの?

 ウクレレなんて一時の気の迷いで貰ったって 熱が冷めればそれまでだよ。

 それに譜面とか譜面台とか色々買い足さなきゃいけなくて結構な出費だよ。

 絶対コテがいいって。」

 

そうだよね。  

結婚式のお祝いのお返しに貰ったカタログギフト、ウクレレやめてコテにしよう。

ウクレレに決めてたけど、

店長も さっきまでは 

「ウクレレ、いいじゃないですか~。自分も今 ヤマハのギター教室通ってるんですよ。

 弦楽器 いいですよね~」

って言ってくれてたはずだけど やっぱりコテにする。

ウクレレなんて一時の気の迷いなんだから。

 

そのコテが、メーカーの生産中止を経て 紆余曲折した後に

代替え商品になってやっと届いたのが1週間前です。

うれしい~。

待ってたの、この時を。

あの日のクルクルヘアをようやく再現できるのね。

クルクル クルクル。

 

生まれて初めて使う道具に四苦八苦しながら

それでも出来上がりを夢見て頑張って

今日こそは 今日こそは と日々精進を重ねてきましたが

この道具とは 少し相性が悪いようです。

可哀想に、髪の毛だけが傷んでいきます。

まだ続けますか? 私。

 

どうやら一時の気の迷いだったのは コテも同じだったのではないかと自分に問いかける。

朝からの驚くほどの強風に 心も砕け散りそうになりながら

でもこんな風じゃあ、今日はもう戦わなくても大丈夫だね、安心していいよと

セット前の傷んだ髪に語りかける私なのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


強すぎる女

2015年04月14日 | ❻ 〇〇な女

Wさんから私の母が面白い人かという質問をいただきましたのでお答えします。

今はともかく、昔の母は権力そのもののような存在です。

我が家の立法・行政・司法を独り占めですね。

歴史的に見ても、そういう存在が統治する世はよろしくありません、

いっときはいいけれど、そのやり方も時代に合わなくなっていつか終わりが来る、

そんな感じかと。

本人一生懸命だし、悪気ないし、苦労人だし、働き者だし、、、ありがたい存在なのですが

何しろ強すぎる。(そして面倒くさい)

それに絶対謝らなかったんです、母。

そのことに気づいた私は、母の言動を観察するようになったのですが、ま~謝らないこと

人として、どうなの

極端な性格でちょっと面白かったですけどね。

小さい頃から私は母のイエスマンとして生きてきてしまった。

そしてそんな関係性が、私の人生を振り回したことは間違いないであります。

ああ、思春期はそのことに気づくひとつのチャンスだったのに、

棒に振ってしまう愚かな私なのでした。

 

さて、現在ですが

その強い磁場から逃れて・・また別の強い磁場にはまるという笑えない私の人生です。

このあたりでようやく気付く私。

ちょいと遅めですが、きっとこれがベストタイミングだったのでしょう(ということに)。

今だからできたことなのだと思います。

てなわけで、この先世代間連鎖しないように、今頑張っているところです。

強さは弱さの裏返し、かもしれないな~とか思いながら。

強い人たちのいいところは見習って、嫌なところはイヤだと言って。

自分のだめなところもボロボロ出てきますが、それもまた面白いものです。

 

私の良くないところを見つけた方は、それとなく教えて下さいね。

まだ打たれ弱いところがありますが、頑張りますので。

 

 

 


思うツボな女

2015年04月13日 | ❻ 〇〇な女

市内にある母方の実家は製菓店を営んでいます。

小さい頃、母が残業で遅くなると

代わりに二代目を継いだ母の弟の修(しゅう)ちゃんがお迎えのピンチヒッターを

してくれたものでした。

忙しい両親に変わって、修ちゃんは幼少期の私の育ての親の一人でした

 

配達のある日には

「うたこ、行くか?」と、

私を助手席に乗せて近隣の市町村のあちこちに連れて行ってくれました。

次の配達までに時間がある時には、遠回りして景色のいい場所を見せてくれたりもしました。

道中 修ちゃんが車の中でかけていた『チューリップ』のカセットテープが懐かしい。

 

  わがままは 男の罪   それを許さないのは女の罪~

 

修ちゃんの鼻歌。

修ちゃんの青春だったのかもしれない。

修ちゃんの思い出。

修ちゃんのアオハル。

 

そんなある日、配達の途中で私は妙なものを見つけて修ちゃんに聞きました。

「あの道の端に立っている お巡りさんみたいな変なの 何?」

「ああ、あれはお巡りさんの代わりだよ。代わりに見張ってる人形。」

「え~あれでお巡りさんの代わりになるの?ならないよ。絵だもん。誰もだまされないよ。」

「まあそうだね。でももしかしたら、あれをお巡りさんだと思って違反をやめる人間が・・

 ・・・確かにいねーだろうなー、そんな間の抜けたヤツは。あれじゃムリだ・・。」

 

私は思いました。

警察は一体なにをやってるんだか、と。

一般市民をなめているのか?子どもにだって通用しないぞ、と。

あの程度の対策で交通ルールを守らせようとは 非常に危険だ。

怖いぞ、警察。 その甘さが怖いぞ、と。

20代後半の青年にも保育園児にも、その陳腐さ、無意味さははっきりとわかるのでした。

 

それを覆すような衝撃が私を襲ったのはそれから間もなくのことでした。

忘れもしない、その日 母は急いでいました。

というより母は時間に追われる生活で 今でも常に急いでいます。

私と修ちゃんが通った同じその道を 私と妹を乗せた母の車はスピードオーバーで走っていました。

急にブレーキをかける母。

後部座席から転げ落ちそうになる保育園児2人。

「びっくりした~ おイスから落ちちゃうよ。どうしたの?」

と問う私に

「しーーっそーーっと後ろ見てごらん。お巡りさんがいるから。」

 

おっかなびっくり

そーーっと後ろを見る私と妹。

そして遠ざかりつつ後方に見えるのは かの人 そう、あのお巡りさんっぽいパネル

ひ・ひ・ひ・ひえぇぇぇ~~~~~・・・・・・

 

 

修ちゃん、ここにいたよ。

あの日2人で「そんな間抜けなヤツはいねーな」と言って笑った「幻の間抜け人間」が

こんな身近にいたよ・・・。

そしてその人は私のお母さんで 修ちゃんのお姉さんだったよ・・・。

 

この日から私は 心が壊れそうな程の衝撃を小さな胸に抱えたまま

まるで自分の母の罪に頑なに口を閉ざすサスペンス劇場の子役のように生きてきました。

心に傷を負ったまま この事実を人に知られないようにビクビクしながら

今日まで生きてきたのです。

自分がバカにした人間像が母親そのものだったとは、保育園児の私には

抱えきれない苦しみでした。

そんなこんなを背負って 母の代わりに贖罪しながら生きてきたような40年でした。

母には反省して貰いたい。

もうとっくに時効を迎えたと思うので 今日ここに公開させて頂きます

 

 


本当は根こそぎいきたい

2015年04月12日 | ❸ ブラックハナちゃん

あんなに頑張った鬼門部屋の壁のカビ取りも

ここ最近の寒さと長雨のおかげで すっかり再生の春を迎えました。

芽吹きの春、恐るべしです。

 

この間来たHさんによると、ここの住人はほぼ皆さん、塩素系の漂白剤や「カビ〇ラー」を

常用していらっしゃるそうで、私の地道な重曹での掃除に

「すごいですね~ 大丈夫なんだ、重層で

と言ってくれましたが、全然大丈夫じゃありませんでしたよ、Hさん

連日の凄まじい結露に 「来る、きっと来る・・・」と戦々恐々としておりましたが

あっけなく来ました

 

花粉の季節が終わったら 梅雨の始まる前に対策を取らねば・・ネバ・・ネバーギブアップ

カビには負けないぞと闘志に燃えつつ、本心は無駄なイタチごっこをもうやめたい

うんざり感でいっぱいの私。

面倒くさ~い。

面倒くさ~い。

 

 

そういえば南方先生は江戸の町でペニシリンを作るために

沢山の青カビを集めていらっしゃいましたね。

そしてそんな期待に応えて、江戸の町には青カビがごじゃごじゃありました。

・・・わたくし、ちょっと勇気を貰いました

 

 

 


何が自信になるかはわからないものです

2015年04月11日 | ❺ 追憶の日々

小学5年生になった春のある日それは起こりました。

校庭で体育の授業の始まりに みんなで準備運動をしていた時です。

冬枯れた芝生が緑色に変わりつつありました。

 

私たちは2人1組になって柔軟体操をしています。

ブルマからむき出しの足を 芝生の新芽がちくちくとくすぐるそんな季節。

 

異変が起きたのはその時です。

「か・かゆい・・・」

脚がかゆいのです。

みると芝生のチクチクした場所が ぷつぷつと隆起してるではありませんか。

脚の裏側全体が見事なぷつぷつ模様です。

こんな可愛らしいパターン模様が私の体に出現するなんて

規則的な間隔で同じ大きさで同じ高さのぷつぷつがびっしりです。

ぎょぎょっとなる私。

見たことない体の異変に喜ぶ私。

私にこんなすごい能力があったなんて

 

生まれてこのかた 人前で体調を崩したことがなかった私は

朝礼で倒れたり 授業中に鼻血を出したり 骨折した腕を三角巾で吊ってる人を見ては

「いつかはああなってみたい」

と憧れていました。

ついにその時が来たのです。

 

「先生こんなになっちゃいました」

と急いで先生に駆け寄る私は嬉々としていたことでしょう。

授業を中断させる私。

ちょっと目立ってる。

友達が集まってくる。

ああ、至福。

 

「気分悪い?」

「いいえ」

「痛い?」

「いいえ」

「痒い?」

「少し」

「辛い?」

「いいえ」

「体育出来る?」

「・・・はい」

授業は無事再開されました。

ちょっとした不満を私に残したまま。

 

でもこの日から私は「何かに触れると皮膚がとぷくっと隆起する」という特異体質を

手に入れることになりました。

なんのことはない、「接触性じんましん」というそうですが、

子どもには関係ない。

何の取り柄も才能もない私に初めて宿った、人と違うという個性(個性)。

超能力かと思いました。

以来、授業中に鉛筆の先でちょんちょんと左腕に絵を描く私がおりました。

徐々に浮かび上がる文字や絵をこっそり隣の席の子に見せて

その子の驚く姿を楽しんだものです。

100%の確率で「触ったらうつる?」と聞かれました。

「たぶんうつらない、今まで人にうつったことないから」

と答える私は得意げでした。

 

人づきあいが苦手で友達の少ない私を心配した神様がくれたギフトだったように思います。

私にとってはたった一つの、確実なコミュニケーションツール。

でも弊害もありました。

アプローチのちょっと変わった子、と

かまいません。

人にこの体質を羨ましがられたこともありません。

気持ち悪がられたり、

気の毒がられたことはありましたが。

・・・かまいません。

 

体の成長とともに症状は消え、今ではやろうと思っても出来ませんが

私が自分の内面世界から出て、外に向けて自分を発信し始めるのを助けてくれた

影の功労者です。

人生に無駄な事なんて何もない、と誰かが言っていましたが、なるほど

その通りかもしれませんね。

母はこの症状を治そうとしてくれていたようですが、治ってもらっては困る私がいましたから。

一見無駄に思えることも 何かの役に立っている。

そう、それは私の存在自体が身を持って証明していることなのです。