北のパラダイス

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赤毛種

2013年03月28日 | 農業問題
北海道でお米が本格的に作られるようになったのは、1873(明治6)年に、島松(現北広島市)に入植した中山久蔵(なかやまきゅうぞう)さんが米作りに挑戦したことがきっかけです。
当時の北海道では道南の渡島地方などで米作りが行われていたものの、北海道では稲作は向かないとして米作りは禁止されていました。

中山久蔵さんは道南の大野(現北斗市)から地米の「赤毛」と「白髭」を持ち帰り、当時は不可能とされていた道央地方で初めての米づくりに挑戦しましたが、苦難の連続だったことは容易に想像できます。
中山さんは数々の試行錯誤の末に「赤毛」から寒冷地向きの品種を選び出し、「石狩赤毛」と名付けたそうです。

その後、中山さんは毎年種もみを増やして各地の農家に配って行ったそうで、その成果が実を結び、明治40年代には全道の水田の約8割を「赤毛」が占めるようになり、寒冷地での稲作の基礎が出来上りました。

中山さんが初めて米作りに挑戦してから今年でちょうど140年になります。
現在、北海道米は収穫量も品質(食味)も全国のトップクラスとなりました。
特に、新品種の「ゆめぴりか」は全国で最も美味しいお米の1つとまで評価されるようになりました。
それもこれも、中山久蔵さんが140年前、不可能と言われた米作りへ果敢に挑戦したお陰です。

昨年(2012年)の春、北広島市の農家や商工会の有志が<北広島市「赤毛種」保存会>を立ち上げ、赤毛種の栽培に乗り出しました。
今年は、140周年を記念し様々なPR活動やイベントなども企画されているそうで、イメージキャラクターも決まったそうです。

弊社の取締役で北広島市のタカシマファームを経営する高嶋浩一さんも保存会のメンバーで、今年は自らの水田で「赤毛」を栽培することになりました。
高嶋さんは100年続くタカシマファームの五代目で、「中山久蔵」や「赤毛」に寄せる想いも並々ならぬものがあります。

今年の秋には、「タカシマオリジナルゆめぴりか」と「タカシマオリジナル赤毛」をセットにしたお米がお目見えするかも知れませんよ。