summer diary

日記らしきページ

新年

2021年01月01日 | Weblog
 2021年の初日、元旦。
今年はまだまだ厳しい歳になりそうだ。 コロナ感染は以前として拡大状況。
年末年始からおめでたい事は何もない世の中である。
かつてない程に生きる事が難しい時代になった気もする。 それでも、生きて行かないと行けないし、生きる意味もあるだろう。
どんなに厳しい時代でも、その中で幸せを実感することは出来る。
人間が生きる意味は何だろうか?  生きる価値のある世界だろうか?
価値とは何か? 生きる価値とは何か? 自分に取っての人生の生きる価値とは何か? 
今年はコロナの影響で女性の自殺が増加している。 自殺はこれまでもある程度は有った。 しかし、このコロナ禍の中で生きる意欲や生きる価値、生きるために大切な未来への希望を無くしている人が増加しているのだろう。
生きる価値とは何なのか? さらに、自ら命を絶つことを選択する気持ちや心はどこから生まれ、どこに絶望とするのだろう。

私は少なくとも、どんな状況でも、自ら命を絶つと言う選択肢はない。
なぜか? 自殺と言う選択肢はすでに若い頃の意思だった過去の思い出でしかない。 なので、今、その思いを抱かせるような若き頃の情熱?思考?信念や、経済的な意識は今の生活状態から全てオブラートに包まれるように、直接的な感情としては心に染み入るような物では無くなっている。
これは、年齢を重ねる事で、ある意味では純粋な青春時代の若き情熱や正義感や真実を求める意識が薄れた結果だろう。
さらに、いろんな物に出あったことで、人生への意識の変化出あるだろうし、生きる事への価値の変化や、自分が立つ位置を納得できるような心の寛容だろう。 

今年はこれまでと変わらない日々を過ごすだろう。 去年に比較すると生活は少し楽になる。 特別枠で年金も少し貰えるし、仕事自体は全く変わることも無い。 これまでの生活はほとんど変化することも無く、65歳まではほぼ、何も変化することは予想することも無く、代わり映えしないだろう。
その先、2年後は今より変化する。 
それでも、生活自体の経済的な問題はない。 2年後は時間的な余裕が生まれるだろうし、今以上に自由な時間が増えるだろう。
肉体的な物も変わらないだろう。 トレーニングは今後も継続するし、ギターの練習も変わることも無い。
2年後、自由な時間を満喫する時には、今以上に充実した時間が待っている。
私はその時を待っている。 2年後のギターのレベルも楽しみだし、時間を今以上に自由に過ごせることも楽しみだ。
今年、来年の2年間はほぼ全く何も変化は無いだろう。 
なので、今年のこの元旦も特に何も感じる事も無く、いつも通りの生活を過ごしている。
それでも、この元旦は朝からビール、焼酎を飲んで、正月らしい日を過ごしている。 午後からも正月らしい日を過ごして、今年の始まりを楽しく過ごすことにしている。
元旦は一年を占う日と言う。 だから、正月は楽しく、のんびりと過ごせる日にしようと決めている。 今日は何も特にしない。 トレーニングもしない。
ギターはちょっとだけ弾こうと思うけど、午後からも酒を飲みながらTVで正月番組を見ながら笑いたい。
今年は歯の治療をしっかりとする予定だし、子供の就職の話もあるし、ギターがどの程度のレベルまで行けるのか? トレーニングもしっかりと維持して、体力も精神力も維持することを目指している。
仕事は変わることも無く、これまで通りに続け、平和な一年を過ごせる事を願いたい。

この年齢になり、やっとのんびりと過ごせる日々を送ることが出来る。
仕事の事を考える事もなく、何かに追われるような事も無く、自由に時間を過ごせる休日を過ごせることは何よりも幸せだと実感することが出来る。
今年は初詣も行かない。 外食もしない。 どこにも行かない正月だけど、それも良いだろう。 家で十分にのんびりと過ごせることも何よりも幸せな事だろう。