summer diary

日記らしきページ

果たして、人生は?

2021年01月20日 | Weblog
 これまでもそうだけど、新しい事を始める時、どうしても思う事がある。
それは、これで本当に良いのだろうか? 
自分の選択は間違っていないだろうか? これまでも、いろんな事をしてきた。
でも、その都度、やはりどこかで、本当にこれは間違いでは無いだろうか?
と、もう一人の自分が問いかける。
人生は常に、どちらにするのか?を余儀なく、繰り返す選択の連続である。
それは、もちろん、人生が一度しかない事でもあるし、1人の人間が同時に重なるような人生はあり得ないだろう。
どの道を選ぶのか? どの道を選んだら、正解であるのか? 未来なんて物が保証されている訳でもないし、今の自分が求めている物がなんなのか?
先の人生を考えてみても、おそらく、想像している人生は訪れないだろう。
何故か? それが人生だからである。
それが、生きる意味があるのだ。 
生きる意味とは何か??
生きていて何を求め、何を望み、何が自分に訪れるのだろうか?
人生は100年時代だと言うけれど、100年だろうと、30年だろうと、50年だろうと、それほどの違いは無いだろう。
人間の肉体的な年齢なんて物はあてにならない。
精神的な時間と意識は、肉体的な年齢とは比例していない。
80歳でも、処女のような意識で居られる女性(おばあさんでもい)だって、珍しいことでもないだろう。
男も、同様に、50歳でも80歳でも、精神的な純粋な精神を持っている人も珍しいことでもない。
それは、特に芸術家などを見ると、顕著に見て取れる。
抽象画家のミロやクレーなどの作品を見れば、そうした肉体的な年齢なんて物は、単なる時間的な物過ぎないことは明らかである。
精神はある意味では、時間軸とは対比する物なんだろうと思う。
私も同じように、定年を迎えてから3年を過ぎているけど、やはり、今でも二十歳の頃と同じ感性が潜んでいて、その感性が常に、何かを選択する基準になっている気もする。
当然だけど、経験値は歳を重ねる毎に世間の常識や慣習、役割を意識することで、行動を制御したり、抑制したり、協調するすることを学ぶことになる。
幼い子供の頃とは違い、自分の意思をコントロールする術を学ぶのだ。
でも、果たして、どうかな? そうした術が本当に人間の純粋な物だろうか?
もちろん、この世間で暮らすには、他人との協調や、常識は必要不可欠だろう。 人間が1人で生きる事が出来ないならば、そうした共存する互いの規律は絶対的な個人の自由や意思を遵守するためにも、必要な制約となるだろう。
これは、何も特別な規約でもない。
地球でただ一人なら、こうした規律なんて物は無用だ。
しかし、一旦、自分以外の誰かと同じ世界で生きる時には、どうしても、不可欠な要素なのである。
で、こんな話はどうでもいいけど、そうそう、人生は不確かであるから、生きるだけの価値があると、以前から繰り返して言って居る事だけど。
私は勿論、理解しているけど、それでも、尚、自分の選択が正しいのか?それとも、誤っているのか?_  と、思案する事には変わりは無い。
だって、人間は何時でも、損をしたくないのである。 損???
何か損で何が得なのか???? これも、考察する必要があるけど、
損とは果たして、お金の問題か? それとも、精神的な問題か?
得とは何か? お金が儲かるのは得で、儲からないのは損なのか?
棚ぼた的にお金が入ってくることは得だろう。 でも、それは本当に幸せを実感する事が出来るだろうか? 
今回、新しいギターを購入いた。 ギターなんて、数千円から数百万もするような高級品もある。 でもね、果たして、数千円と数百万のギターの差は何処で決まるのだろう????
これは、絶対的な個人的な感性によるだろう。  どんな物でもそうだけど、それに興味がない場合には、それがどんなに素敵な物だろうと、意味がないのである。 これこそが、人生を豊かにする絶対的な条件だろう。
人生は何かが必要ではない。 なんでも良いのだ。 その物が自分に取って、必要不可欠な要素であることを認識する事だろう。
必要か、不必要かは、全て、その個人の感性が決める事で、間違いなく他人が
理解できるものではない。 10億、20億、30億、さらにもっと。
人の数だけ、人生の価値が違い、だから、生きる意味がそこにある。

ギターの椅子

2021年01月20日 | Weblog
 クラシックギターの場合には椅子に腰かけて、左足を足台に乗せて、ギターを左足腿にギターの窪みを乗せ、右足の腿にギターの底部を乗せて固定する。
これが一般的な姿勢だし、この姿勢が一番疲れないし、弾きやすい。
で、その椅子が大切で、この高さは太ももが床と並行になる程度の高さが理想的だと言われているし、実際に私もその高さで弾いている。
これまでいろいろと高さを試したけど、結局はほぼ床と並行になる高さが一番安定するし、弾きやすい。 
現在、私の使用している椅子は妻のドレッサーの椅子に薄いクッションを2枚置いてクッション性を少し高めて、高さも調整している。
この高さは凡そ床から座面までは43Cmぐらい。 
しかし、もう少しだけ、後2~3Cm程度高さが欲しい気もする。 クッションをもう何枚か敷くことで対応しようか、それとも、もう少し厚めのクッションに変更しようか? でも、クッションの柔らかさが増すと、意外と疲労する。
ただし、コンパクトで置き場には困ることもないし、使用しない時に邪魔になることが無いので重宝している。
でも、長時間座っているとどうしても疲れる。 なので、今はピアノ椅子をネットで探しているのである。 が、これが意外とお高い。 かなりの数の同様の商品があるので、実際にどれが良いのか分からない。 ただ、座面にボタンで固定しているタイプはそのボタンがお尻に当たって痛いことが有るらしく、やはりフラットの物が良いだろう。 
安い物でも8千円前後する。 高い物は2万、3万する物もある。
その中である程度期待しても良いだろうと思うのは、やはりyamahaの椅子だろうと。 レビューを見てもあまり悪い評価はない。価格も1万円程度である程度平均的な価格帯である。 
と、思ったのだが、座面までの高さが最低でも48Cmあるので、もう少し低い物が欲しい。 で、探してみると、今度はRolandの椅子がyamahaよりも2500円安くあった。 こちらは高さが46Cmからなので、まっ、ある程度よい気がする。 レビューを見る限りではそれほど悪い評価も無い。
いろいろあるけど、無段階調整可能であること、ギターの場合には必要以上の大きさは要らないので、出来る限りコンパクトで安定性がある事。
座り心地は勿論、最も重要なポイントだけど、Rolandならyamahaと同様に電子ピアノを制作しているメーカーだし、ある程度信頼度も有るだろう。
普通のワークディスクでも1万円では購入することは出来ないし、7500円ならかなりコストパフォーマンスは良いのではないか。
今回、ギターを新しく購入したので、せっかくなので、椅子もちゃんとした物を買って、本格的にギターを弾く環境を整えることも考えている。

今週末には自転車を売却して、新しいギターを置くスペースを確保できるし、先週は家具を少し移動させて、ギターを弾くスペースに十分な余裕を作った。
後は椅子をしっかりとした物に出来れば完璧だ。
で、完璧な環境を整えても、ギターの上達は努力以外にはない。
先日からソロギターの練習を開始した。 12か月間のプログラムだけど、もちろん、期限が有るわけでもないので、しっかりと完璧に練習を重ねて行きたいと思って居る。 初回の1か月目は4曲の課題曲がある。 簡単な編曲で、ある程度ギターが弾ける人なら1曲を完璧に弾けるまでに3日程度である程度弾けるだろう。 譜面を見ないで弾けるには、記憶力も必要だけど、何度も弾いているうちには完全に覚える事もそれほど難しいことも無い。
すでに、3曲目を練習している。 ただし、完璧に譜面を見ないで弾けるようになるにはやはり少し時間が必要だろう。

こうして、いよいよ、ギターが唯一の私の趣味となる。 筋トレは趣味と言うよりは、あくまでも体力維持、筋肉維持のエクササイズであるので、趣味とはちょっと違うだろう。
それ以外は全て辞めて、ギターに専念することにする。 これまでは、あれもこれもやりたいことが多々あり、いろいろと手を出してきたけど、やっぱり一つの事に専念することが上達する為には重要だ。 さらに、特にギターなどの楽器の習得にはどうしても時間が必要で、毎日数時間の練習でもなかなか先に進むことは難しいのである。 人間の身体は全体を使うことは意外と覚えることが容易だけど、指先などの一部を使用する動きを身体に覚えさせるのは意外と難しい。 しかも、指を単純に動かすのでなく、左手、右手を普段動かすことがない動きで同時に連動させるのはやはり相当な時間が必要になる。
さらに言えば、楽器の場合には単なる技術だけではなく、音楽と言う芸術性を必要とするのだ。
と言っても、私はプロではないし、そんな芸術性と言っても無理だろう。
自分で弾きたい曲が楽しく弾けるレベルになるだけでも十分である。
この楽しく弾けるレベルになるためにも数年を要するだろう。

さて、今日も4時間程度の練習をすることにしている。 新しいギターを十分に生かすためにも、練習あるのみだ。