猛暑が続く中で、ここしばらくは雨模様の天候が続きそうな気配である。
今日も朝から雨が降っていて、今日の日中は断続的な雨が降り続く予報。
日差しが無く、雨が降っていても、蒸し暑く、気温も35度近い予報。
実際に、雨が降っていても気温が高いことは外の空気を感じると実感する。
エアコンの設定温度も26度にしていても、丁度程よい感じなのである。
エアコンは家に居る時間は切る事は全くなく、夜でもずっとエアコンのスイッチは入れっぱなし。 さらに、今日は休みで家に居るので、全く切る事も無いだろう。
梅雨時のような蒸し暑さなので、体調には気を付けたい。 エアコンも付けっぱなしだと、鼻水が出たり、ちょっと体調を維持することが難しい気もする。
それでも、エアコン無しでは家に居られない。
特にギターを弾いていると、やはりそれなりに体力を消耗する。 しかも、それなりに力を使っているのだろう。 汗が出る事があるほどである。
ギターは今、カルカッシ教則本の中等科を始めたばかりで、斬新的練習曲50曲の4曲目に入った。
でも、その前にある曲、スラーの練習曲5曲などは全く練習していないので、これから少しづつ練習する予定だ。 さらに、ポジションの練習。 第4ポジションの練習曲もまだ全く出来ていない。
これは模範演奏の曲もCDには入ってないので、曲調を感じる事が無く、ちょっと戸惑いもある。 さらに、曲の中間ではポジションをどのように解釈するのかもちょっと疑問がある。
開放弦を指定しているように見える押弦の指定が0になっているので、これは開放弦だろうと予想するけど、ポジション的には第4ポジションでもいいので、これをどちらで押弦するのかは独学ではちょっと苦しい。
この点はネットなどで調べることにしたい。ネットや動画にあるだろうか?
独学でクラシックに限らず、ギターの練習や取得は意外とこうした事が多々あり、やはりレッスンを受ける事がギター上達には必須な要素なんだろうと思う。 それでも、私はレッスンを受ける予定もない。
ギターのレッスンはかなり高額で、とてもじゃないけど、私の小遣いではレッスンを続けるのは無理である。
幼い頃からピアノやバレエやその他の習い事などでも、受講料はかなり高額で、やはりお金に余裕がある家庭に限られた物だろうと実感するのである。
そうした意味では、やはりこうした情操教育などを受ける事が出来るのは、一定以上の収入のある家庭に育った子供達だろう。
もちろん、義務教育など、その他、高等教育を受ける事は、今では日本では当然の事になった気もする。 それでも、家計の事情などで、高校や、大学に進学できるのは、それなりに家庭の家計に余裕が無ければ無理だ。
そうした教育を受けるために必要な費用を持つことが出来ない若い人達も、等しく教育を受ける事が出来る制度を国がもっと作る事が、今後の日本を発展、豊かな国にするためには必須なのだ。
成績優秀者はある程度そうした制度を活用する事が出来る場合もあるが、そうでない学生でも、一律に制度が適用できる環境を作る事が必要だ。
国はもっと、若い世代に資金を提供する必要がある。
高齢者への負担が増加する中でも、若い世代をより優先する資金を作る事が日本の未来を築くためには必須だろう。
特に、これまで日本のノーベル賞受賞者が続いている事も、今後は居なくなる可能性が高いと言われている。 これは、経済優先主義、費用対効果を求める姿勢、即効性を求める企業体質など、国もそうした姿勢を優先する傾向があり、地道に基礎研究を継続できるための環境が無くなってきている。
どんな発見も、既存の物からでは生まれない。 そこには、まだ知られていない未知の物を見つけ出すための愚直で地道な研究が欠かせないのだ。
そうした物は、見た目や結果では評価できない。 長い道のりが必要で、仮に何もできなくても、その過程にはそれなりの成果を残している事があるだろう。 日本や世界的にも、そうした本来、見つからない物を見つける為に必要な基礎力を養う環境が薄れている。 先端産業などにはそれなりの資金が投入されることもあるが、成果を求められることが優先されるような体質では、決して新しい技術開発は難しい。
ちょっと話がズレたけど、これは人生においても同じだ。
基本的な生活基盤が無ければ、人生を豊かに過ごすことが出来ない。
これは生きるためには経済的な物が欠かせない事を意味している。
しかし、自分の人生をどのように構築するのかは、個々の人間の能力に左右される。 そして、多くの場合、その能力や生活環境はその子の両親の生活環境に大きく影響を受けるのだ。
特に政治家のほとんどは世襲が当たり前で、親の力が必須な世界なのである。
また、医師などもそうだけど、ほとんどは親が医者であることが多い。
開業医などのほとんどは親からの継承である。
医学部は少なくとも、それなりの経済的な余裕が無ければ入学すらできない。
なので、経済的な余裕は勿論、将来医者として働ける環境が整っている開業医がほとんどである。
単なるサラリーマンの家庭から医者になるケースは少ない。 もちろん、優秀な学生は奨学金などの制度を活用して医師になる人も居るが、それはかなり少ない。
こうした現状を見ているだけでも、やはり生まれた時から、人間は不平等な環境で人生を生きる必要が有るのだ。
私は人間が平等だと言う観念は全くの嘘だと思って居る。 絶対的な家庭環境の違いは、それ自体がすでに不平等なのだ。
全ての要望を満たすことが出来る子供と、日々の食事さえまともに取る事が出来ない環境にある子供とは、雲泥の差は確実にある。
なので、単なる個人の努力だけでは克服できない事情もあるだろう。
私も貧乏な家庭に育った子供だ。 今はそれなりの家庭を築き、それなりに満足できる人生を歩んでいるが、仮にもっと違った家庭事情だったのなら、今の人生とはもっと違う豊かな人生を生きているかも知れない。
経済的な豊かさだけが幸せではない。 そうした考え方もあるだろう。 実際に幸せを感じるのは、決してお金では買えない物だろう。 しかし、それは人生をどのように捉えるかで変わる。 さらに、人生をお金を稼ぐために使う時間と、自分を向上させるために使う時間の差異が生まれる。
ちょっと、いろんな意味で、こうした人生の在り方を考える事もあるだろう。
少なくとも、私は今はある程度満足できる人生を生きている。 それでも、もっと、自分の為に使う時間が増える事を望んでいる。
この歳になっても、仕事をしないと生活基盤を維持できない人生より、お金を稼ぐ事を必要としない環境になる事の方が、より自分の為の時間を作る事が出来る。
ギターの練習やトレーニングの時間を計画的に作れるし、健康的、精神的な観点からも、やはりそうした環境を望むのは当然だろう。
後1年半後には私は仕事は辞める。 それからは、そうした環境を作る事が出来ると思って居る。
もちろん、それでも、ある程度はお金を稼ぐことも必要になるだろう。
今よりもそうした時間は少なくなるだろう。
さて、今日、明日は仕事は休みなので、しっかりとギターの練習、トレーニングをしようと思う。