最近、私の職場でもコロナ感染者や濃厚接触者が多発している状態だ。
昨日も勤務明けで感染者の報告があり、急遽シフト変更があった。
今日は公休日だが、勤務となり、通常の人員の勤務ではなく、1人足りない人員の勤務割となっている予定で、私は今日の勤務を承諾して出勤。
がしかし、職場に到着して勤務を見ると、さらにひとりいない状態での勤務となっていた。 これは相当にキツイ勤務体制で、本来4人体制のシフトを2人体制に置き換えたもので、到底容認することが出来ない。
所長なども他の部署からの要請で来ていたが、私はこの体制なら仕事は出来ないと言って、その時点で家に帰る事を伝えて、実際に帰宅して家に帰った。
この会社の仕事は絶対数の人員が必要な仕事であり、足りない人員での体制は数倍の負荷が掛かる。
もちろん、それでも敢えて仕事をする人も居るだろう。 しかし、以前から私が指摘しているのは、このコロナ禍でなくても、こうした急に休まないといけない人や、急病やケガや冠婚葬祭などでの人員が足りない場合に備える体制が全く整備されていない点、そうした事に対する会社としての姿勢に対しての憤りもあり、口先だけの対応しかできないような全社的な慢心に対する怒りもあり、さらに私が今日の仕事をしない事で起こるだろうと思われる体制の混乱を想像するのだ。
こうした基本的な体制を維持することは会社の使命だし、従業員に対する誠意が求められる時代錯誤だ。 ましてや、定年を迎えてから仮に働くような人の集まりである会社なら猶更だろう。 私も何時でも辞めても良いと思っているので、無理強いするような仕事の依頼の対しては断固として取り合わないと言う思いである。
で、明日はそのシフト変更前の体制とのことで、一応は仕事に行くけど、今年末で退職する予定を2カ月早める事も考えている。
少なくとも、今の状態が続くなら、収入よりも自分の体調や健康を優先することにしようと思っている。
なので、何時でもくびにしてもらっても良いよ!! と私は公言しているのである。 実際に、後3か月で辞めるのであるから、給料的には40万程度だろうし、逆にその間にアルバイトなども出来るし、さらには、来年からはあるアルバイトもしようと思っていて、いろいろと探しているのである。
生活費用に関しては特に心配する要素はなく、たかが3か月程度の給料が無くても何も問題はないし、そんな金の為に自分の意思を見逃す気持ちににはなれない。 多くの人や若い人ならお金の為に自分を押し殺して会社の言いなりに働く事もある意味では致し方ないだろう。
しかし、私のような高齢になり、年金の受給も可能な状態なら、今後の人生をどのように生きるのか、どのような人生を送りたいのか、さらには自分がやりたい事をどこまで出来るのか、残されている人生の時間をどのような時間にするのか? 私はそうした自分の人生に対して悔いのない人生を生き抜こうと思っているのである。
健康寿命と言う事が言われているが、私は最後の死まで今の状態を維持する事が出来ると思って居るし、そのために身体にはかなり気を付けても居る。
気を付けると言っても、タバコを止めるとか、酒を控えるとか、そんなどうでもいいことを考えてはいない。 そうではなくて、体力維持のために身体を鍛える事や、ギターを弾いて楽しむことや、楽しい事を優先する事や、好きな物を好きなだけ食べる事や、嫌いな事、やりたくない事はやらない姿勢、気を遣うような事をしない事、ストレスを溜めない事、お金に関しては気にしない事。 医者には行かない事。 敢えて、人間ドッグもしない事。
病気になっても医者には行かない。 自分の力で治癒できないなら、諦める。
怪我をしない事や、計画的な筋トレを継続する事や、こうしていろんな事に対して、思っている事を書いたり、考えたり、想像したり、妄想したり、さらにはやりたい事、やらないといけない事を即日実行すること。
もちろん、掃除やいろんなメンテナンスなどは確かにやりたくない事だろう。
しかし、やらないといけない事としては掃除や洗濯や洗車や家のメンテナンスなどは生活する上での最低限の事柄だし、そうした事は意外と厭わしくは思っても居ない。 風呂掃除やトイレ掃除、キッチンの掃除や庭の掃除、その他の掃除や綺麗にすることは気持ちも綺麗になるし、心地よい環境で生活するための楽しいことでもある。
ギターの弦交換や、毎回綺麗に拭き取ってからケースに入れるとか、筋トレ後も整理してダンベルなどを綺麗に並べるとか、ベンチを綺麗に拭き取るとか、
机の誇りも毎回綺麗に拭き取ったり、その他の部屋のPC、TV、ベッドの棚やギターケースやその他の物などを丁寧に扱い、綺麗な状態を維持するなどなど。 自分が大切に思う物に対する敬意を持って対することは自分自身の心を浄化する意味もあるだろう。